後編
蹉跌流竄に恋愛感情がないかと言われればそんなことはないのだろう。
女子を見れば顔と胸と尻を続けざまに見たりするし、話しかけられれば嬉しくならないわけでもない。
怖いのだ。
(俺なんか──)
自己肯定感などは彼の中を探ったところでひとすくいほども見つけられないことだろう。
ただ彼は見た目が悪くはないし、人当たりもいい。その人当たりが自身を守るために、あるいはご家庭の事情で身に付けざるを得なかっただけの、忌むべき鎧だと知っているのが蹉跌流竄本人だけである。
だから、彼はネガティブのなかでも言い訳のようにひとつの想いがある。
(その気になれば彼女なんていつでも作れる)
事実、蹉跌流竄はその面倒見の良さから好いてくれているのが傍目にも丸わかりの少女を、なんの気まぐれか彼女にして二年ばかり付き合ってみせた。
始まりは、やはり面倒を見ていたときで、話をしているうちに、彼女の目に熱いものが溜まり、溢れ出るのを止めたことだ。
すでに胸の中にあった彼女を引き寄せ、頭を撫でて頬に手を添えた流れのままに、このときに限っては奪った。ひとこと「ごめん」と呟いてから唇を重ねたのは、もしかしたら勘違いの可能性も、という考えからで、終えてから思えばその必要は全くないほどに、相手を落とした。
唇を離して、真っ直ぐ見つめた彼女の目に溜まった涙は、驚きに止まり、ぱちくりさせる瞳から視線を外すことなく蹉跌流竄は再び唇を重ねた。
今度ははっきりと受け入れられ、続いて予想外にも彼女が腰を抜かして立てなくなったのを引き寄せて抱き合った。
彼の指先がどこに触れようとも喜び迎え入れられる夜は長く、蹉跌流竄のなかにある、その気になればいつでも彼女くらい作れるというのを証明する結果となり、さらにはおまけで略奪愛も達成した。
そこからの逢瀬は回数を重ねるごとに日常へと溶け込んでいく。蹉跌流竄においてのみ、だが。
恋愛にネガティブな蹉跌流竄は、付き合い始めを前回に学び、夜も昼もいとわない営みはビデオや本で学んでいたから欲求は満たされる。
しかし彼は知らない。恋愛のこころを。
気まぐれに手を出した恋愛は交際記念日を迎えても衰えを見せない彼女の熱量と、すでに日常となった蹉跌流竄の熱量では明らかな差があり、彼には“どうして彼女は俺のことをここまで好きでいてくれるのか”という疑問さえもが日常となっていた。
だから、関係が終わるのもやはり見えていた。
この二年の間にお互いの道を違えた彼彼女ではそうなっても当たり前だと、蹉跌流竄は冷めた頭で彼女からの電話を受け、彼女が言いたいことを先回りして、そのうえで責めることなく、別れを了承した。
そして蹉跌流竄は思い知った。彼女の、それはもしかしたら懇願だったかもしれない、そんな言葉に。
「愛情が足りない」
蹉跌流竄にそんなつもりはなかった。むしろいつでも彼女の好きを受け入れ、好きと答えて、それで良いのだと思っていた。
恋愛はそうじゃないのだと、彼はひとのこころに敗北し、これを最後とした。
自分に愛情表現は難しいのだと。そうして切り捨てた。離して放して
「────っ!」
こころのどこかで痛みを感じつつも、他人の時間を無為に二年も奪ったのだと、終えたことに辛さを感じたり寂しさを覚える資格もないのだと、その叫びを無視した。
底も見えない暗がりで、ひとり。
長らくの闇のなか、その時を待っている。
いつかきっと、そんな人に出会えたときに、かならず必要とされるのを知っているから。
この者だけではない、周りには切り捨てられ忘れられた者たちが、やはりいつかその時がくるまでは、と信じて待っている。
ここはまるで流刑地。彼のこころを守るために要らないと切り捨てられた者たちのたどり着く場所。
辛いことにぶつかるたびに、カンナで削られるようにしてハラリハラリと降り積もるほどに、失われていったことに、気づいてない愚か者が、いつか求めた時には元のひとつに戻るのだとして待っている。
どれほどの時間そうしていたか、時間の流れなどその者たちにとってはさほどにも重要なことではない。
闇に沈む流刑地に一条の光が射したとき、その者たちは天を仰ぎ、歓声を上げる者もいれば、語りかけるようにする者もいる。
闇が払われ、それまでなかった大地を色とりどりの花が埋め尽くし、美しい旋律が、華やかな大輪の花が空に咲き乱れるほどの劇的な変化。
確信する。そして、両手を広げて、今度こそはと力の限りに叫ぶ。愚かなあるじに届くように。
『私はあなたのなかの“ひとを愛する心”。どうか忘れないで、あなたはひとを愛せないわけじゃない』
光は全てを呑み込んでいく。還るべき時が来たのだと。
『どうかはなさないで。私はあなたがひとを愛せることを知っている。あなたもそれを、信じて──決してはなさないで』
ひとのこころを知ったつもりで、だからこそ削り切って痩せ細ったこころでそつなく過ごしてきた蹉跌流竄ではあったが、それはひとをひととして見なくなり、知ったつもりでひとを何も知らないまま麻痺しただけでしかないと気づく時が来たらしい。
こころの流刑地に、今は何物もない。
すべては蹉跌流竄のなかに還ったから。
愛する心はいま激しく、忙しく働いている。
それが叶おうとも、叶うまいとも。
その者たちのあるじは、ひとであることを再び認めたのだから。
敗北者流竄は愛を知らない たまぞう @taknakano
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