敗北者流竄は愛を知らない
たまぞう
前編
長らくの闇に身を堕としていたらしい。
彼、
(認めたくはない。ないけれど、これはどうしようもなく──)
長らくの闇と表現しつつ、その心に灯ったものがまるで初めてのものとしか思えないことに、彼自身戸惑い、受け入れるにも確信がなく、ただただ、胸が張り裂けそうな想いだけを自覚し、腰掛けるベッドのシーツを握りしめた。
蹉跌流竄は人の心が読める。
当然ながらそれは超能力だとか超自然的な何かではなく、他人よりも秀でているということである。
もしくは劣っている、ということである。
蹉跌流竄の人生は考えることの連続であり、その根元には後悔の連続があった。
ひととの出会いと別れ。異性とのそれに限らず、交友関係も社交も、もちろん恋愛だって。
蹉跌流竄は人の視線に敏感である。相手の目を見れば、自分に対してどんな感情を持っているのか……親しみか疎み嫉み、怒りも悲しみも。
そして蹉跌流竄が蹉跌流竄らしくあり、彼をかたち作っている要素として外せないことが、そういった場合に彼は最も悪い判断に任せてしまうという思考がある。
つまり、自分は他人にとってひどくつまらなく、好意とはほど遠い感情をいだかれ、愛されることなどあり得ないのだという、最初からそれを前提にひとの視線を感じている。
蹉跌流竄がおかしいのは、その思考を否定する答えも導き出してなお、駄目な方に偏ってしまうところだ。
ポジティブとは対極の人間、それが蹉跌流竄である。
いつかの2月14日、バレンタインデーに蹉跌流竄は義理ではない、確かなものを受け取った。
その時の蹉跌流竄が受け取ってから「ありがとう」と返事をするまでに要した時間は普段の会話や挨拶と同じ間隔。
つまりは平静を装っての返事だったが、その実、彼の頭の中は思考回路が焼き切れんばかりに目まぐるしく駆け巡り、やはりひとつの回答にたどり着いていた。
──いかにして、振られるか。
目の前の、頬を桜色に染めて勇気を振り絞ったであろう可愛い同僚に、その笑顔に、彼は始まってもいないと言える現時点で、終わり方を決めていた。
だから蹉跌流竄は「ありがとう」と答え、その週の休みの前日に食事に誘い、夜のライトアップされた噴水のそばのベンチで、彼女からはっきりと告白してくる流れを作って、唇を重ねた。
柔らかく、触れた唇から漏れる吐息は熱く、冬にも負けない彼女の心に灯っているものの暖かさを蹉跌流竄も受け取った。
そこに、きっと愛もあったのだろう。
そして、きっと愛を取りこぼしたのだろう。予定通りに、想定通りに。
仕事中は目が合うたびに蹉跌流竄と彼女の間でだけ分かるであろうアイコンタクトがなされていたが、そんなのは他者から見てもバレバレである。
噂はすぐに広まり、そういった話が大好きな周りの目を誤魔化せるわけもなく、公式に付き合っているという認識が社内に知れ渡るのは時間の問題で、ふたりが居合わせる場面でそんな拙いアイコンタクトを見逃す同僚もいない。
手を握り、軽くキスをしたふたり。だが、バレンタインデーのアンサーである日には元通りの他人に戻っていたのだから周りもざわつく。
蹉跌流竄は見た目に関しては並よりも良い評価をいただいている。彼女のほうもそうであり、応援する声も嫉妬の声もそれなりにあった。
蹉跌流竄の駄目なのは中身のほうである。彼女の好意は誰の目にも明らかであったが、蹉跌流竄とは何を考えているのか今ひとつ掴めない人物である。
彼は天秤にかけていた。彼女と仕事を。
私と仕事どっちが──なんて話ではない。自分と仕事を守るために、人間関係を守るために、みずからは悪役にならないよう、告白されて付き合ったうえで振られる、そんな絵図を2月14日のあのときに、描いて、決めていた。
灰色の青春時代を送った蹉跌流竄にとって、恋愛というのは素直に受け取れない好意の視線と、蹉跌流竄というおおよそ駄目人間の顛末が気になる周りの好奇の視線にさらされるものだったのだ。
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