第5話
興信所が調べた内容を前にして、亜矢は言葉もなくうなだれている。
客間の机の上に、真新しい無地の封筒があった。
封筒の中身は昨夜一瞥したきりだが、調査報告書とともに同封された、飯島と内縁の妻が子供を公園で遊ばせている写真は、亜矢の瞼に張り付いたままだ。
机の向こう側には、床の間を背にして、浅川と名乗る新しい占い師が坐っている。
川喜多夫人に紹介されたというその人で、飯島の正体を見破った男だ。
正座した足が痛くなって膝を崩したが、まだ、浅川の経は続いている。いや、それが経なのかどうか、亜矢にはわからない。強いて言えば経のように聞こえるというだけで、聞き取れる言葉はひとつもなかった。
ふいに、浅川の声が大きくなった。浅川は目を閉じ、陶酔した表情になっている。
その顔を見て、どこかで見た顔だと思った。浅川を玄関で出迎えたときからずっと気になっているが、どうしても思い出せない。
特徴ある風貌だ。母が言うとおり、これぞ占い師の風貌かもしれない。
肩まであるまっすぐな白髪、太い眉に、ぎろりとした目。
肌は蝋のように白い。服装は、洋装の作務衣といったらいいだろうか。
いつの間にか浅川の経は終わり、気が付くと、母が浅川にお茶を差し出していた。
そのお茶を、浅川は一礼してからすすった。
ふたたび、目を閉じる。大袈裟なほど深く息を吸い、そして吐く。
そろそろお告げがはじまるのだろう。亜矢は横に坐った母に習って、膝を直した。
「まず、生活を変えるべきです」
浅川が節くれ立った手で、お茶を机の上に戻した。
「――生活を、ですか?」
母が拍子抜けしたような声を、上げた。母の膝の上には、凝りもせず、次の見合い相手の写真と履歴が書かれた紙がある。
今度の相手はどうなのか。お告げを聞きたい母としては、意外なお告げだったようだ。
浅川はコホンとひとつ咳をした。どうやらお告げの前には咳をするのが、浅川の癖らしい。
「お嬢さんは生活のひとつひとつを見直し、変える必要があるのです。光が見えます。輝く太陽の光。そしてお嬢さんが駆けています。太陽に向かって、まっすぐに」
ホゥ。
母がため息を漏らした。横顔を覗くと、食い入るような目で浅川を見つめている。
情けないような、物悲しい気持ちになった。母が願っているのが、娘のしあわせだけだと思うと、さらに切なさが募る。
浅川がパッと目を開いた。
それから見えない何者かに応えるように、頷く。
「朝、会社へ行く前にジョギングをしなさい」
「ジョギング?」
亜矢の声は裏返ってしまった。亜矢は毎日優に一時間二十分かけて大手町まで通っているのだ。
無理!
そう言おうとした亜矢を、母が制した。
「できないことはありませんよ。ちょっとだけ早起きすればいいじゃないの。毎日会社からまっすぐ帰って寝ればいいのよ」
すると浅川が突然片手を挙げて、
「静かに。まだお告げが続いています。よろしければメモを取って」
母が腕を延ばして、電話台の上のボールペンと紙を取った。
「ひとつ、カルシウムをたくさん摂りなさい。二つ、黒及び、グレーの服は身につけてはいけません。三つ、テレビやネットサーフィンは一日三十分まで。四つ、新聞は毎日読むこと。五つ、週に一冊は、本、特にミステリーを読み終えなさい」
こ、こんな奇妙なお告げがあるだろうか。こんなお告げを守って、しあわせになれるというのか?
亜矢はただ、目をぱちくりして、目の前の二人を見つめるばかりだった。
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