アスの気持ち
『とにかく大叔父さんのところに行こう! そして事情を説明して叔父さんを説得してもらおう!』
この後に及んでまで、アスはそんな事を考えていた。勿論、復讐したい気持ちが全く無かったわけではない。ただ彼女は親族同士、一族同士で争うなどと言う事はしたくは無かったのだ。
後方から追っ手の気配が迫る中、彼女は前方から来る異様な気を放つ気配を感じ取る。
木の陰に隠れながら様子を伺うと、一人の人間が悠然とこちらに向かって歩いて来るのが見えた。
『人間? 何でこんな所に一人で......まさか最近、噂になっている、やたらと強い人間ってアイツの事?』
そんな事を考えながら、アスは震える手を何とか立て直し横に構えた弓を引く。
彼女にとって動物以外の殺しは初めてである。正直な話、例え相手が憎い人間であったとしても、殺したりするのは基本的に嫌なのである。
『アイツらのせい! そうよ! アイツらのせいで皆おかしくなってしまったんだわ!』
心の中でそう唱えながら意を決した彼女は、ついにその矢を彼の後頸部に向け放ったのだ。
「カンッ!」と乾いた音と共に、彼の首に直撃したはずの矢は弾かれ地面に落下した。
振り返った後ゆっくりと近付きながら、その人間は言う。
「僕の名前は涼森翔哉。いきなり攻撃してくるなんて、酷いじゃないですか?」
そんな彼と何故か今は手を繋ぎながら、二人してどこ行く当てもなく歩いているのだ。
彼女の心臓は、爆発寸前であった。さっきから動悸が止まらない。
続く緊張感の中ずっと歩き通しだった事で、疲労困憊だったのも理由として有ったのかも知れないが、とにかく一旦落ち着く為に手を離してもらおうと、彼女は勇気を出して彼に話しかける。
お互いの事を軽く話し合い、彼について何となく知る事ができたアス。
窮地を救ってくれた精悍な顔立ちの彼。見た目に反して優しい物腰の彼は、人外な能力を持った、自分より少し年上の女神の使徒だったのだ。
動悸が止まらない原因。それが恋だと気がつくのに、さほど多くの時間は必要としなかった。
しかし、ショウヤと名乗った彼は人間。自分はハイエルフ。こんな気持ちは一時の感情に過ぎない。
そう思い、必死でその気持ちを押し殺そうとするアス。
葛藤する自分に対し種族の垣根を越え、自然体で接してくれる彼。次第にアスはそんな事で悩んでいる自分が、馬鹿らしいと思うようなっていた。
リザードマンの集落でお世話になった夜。彼女は意を決して彼の気持ちを聞いてみる事にした。
「アスが望むなら、僕は君の為に戦うよ!」
その言葉を聞いた彼女の心の中に僅かに残っていた葛藤は、完全に消えて無くなっていた。
自然と体が動き出し彼の首に手を回すと、恥じる事もなく夢中で口づけを交わす。
私は彼の為に戦おう。彼が私の為に戦うと言ってくれたように。
この先、彼に足手まといだと思われない為には、もっと強くならなければ。
女神の使徒となって以来はじめて、アスはそう強く思うのであった。
翔哉とのこれまでに辿った道のりを思い出し、アスは優しさの中にも強い意思が感じられる眼差しを彼に対し向けていた。そして、そんな彼女に彼も微笑み返す。
「また二人だけの世界に入ってずるいにゃよ!」
ニケはそう言うと、ヘソを曲げてソッポを向いてしまう。
「なかなか強敵だな......」
メルは自分に対してとも、ニケに対してとも取れる事を小声で言った。
その後、翔哉は三人に対しマリーザとした事についてはぐらかしつつも、まだ話していなかった内容について伝えると、実際に転移陣が有るかどうかを確認をする為、全員で表に出てみる事にした。
庭先を見た結果、来た時には描かれていなかったはずの魔法陣のような物がそこに出現しており、四人は意を決してその中央に立つ。
するとマリーザから受け取った指輪が輝きだし、彼らの姿は忽然とその場から消えてしまったのだ。
転移陣の行く先として設定されていたのは、迷宮の入り口と言われていた巨兵の守る大きな門の前だった。
翔哉達がその場所に転移し終えると、魔法陣はすぐに姿を消し元の石畳の広場に戻ってしまう。
そこは何故か巨兵達との戦いで荒れていたはずの痕跡まで無くなっていて、元の整然とした石畳の状態であった。
「どうせなら国の近くまで送って欲しかったにゃね?」
ニケがそう愚痴を溢す。
「ここから3日も無い距離だったし、もう一頑張りしよう!ニケちゃん」
メルに喝を入れられ、ニケだけでなく全員が気力を奮い立たせる。
それじゃ獣人族の国に向け、さあ出発しようか? と言った雰囲気になったところで、石畳の広場に女性の声が響き渡る。
「ヤッホー☆翔哉くーん♡ さっきぶり~」
「えっ? マリーザ様? 一体どうされたんですか?」
翔哉がマリーザの名を口にした事で、アス達に緊張が走ったのは言うまでもない。巫女でもない彼女達にとっては、初めて聞く女神マリーザの声なのだから当然の事だろう。
「マリーって呼んでって言ったでしょ? 翔哉くんのバカバカバカ!」
「あっ、ごめんねマリー。それで一体何の用なのかな?」
「ちょっと言い忘れちゃった事が有るのよ」
「何? 言い忘れちゃった事って」
「翔哉くんが持っているアンチマテルブリンガーなんだけどね。それってレプリカなのよ」
「えっ? そうなの?」
「オリジナルの方をあげるから、よく聞いてくれる?」
「うん!」
「私が造った塔の200階層から鍵を取ってきてって話はしたよね? それと同じ塔の101階層に、オリジナルのアンチマテルブリンガーが置いてあるから、ついでに持って行くと良いわよ」
「オリジナルの方がやっぱり強いのかな?」
「とーぜん! 性能は雲泥の差よ!」
「へぇー凄いねー」
「早くしないと先を越されちゃうかも知れないから、ちゃっちゃと国造り済ませて取りに行った方が良いわね」
「先を越されるって?」
「天上寺隼人くんと、そのパーティーメンバー達が、今70階層付近の攻略に乗り出してるみたいね。物凄いペースでレベルアップもしてるみたいだから、この分だと三月もしないうちに100階層も攻略しちゃうかも知れないわよ」
唐突に出された元クラスメイトの名前に、翔哉は何とも言えない複雑な心境になる。
「天上寺くんか......皆、元気してるかなー?」
「あら? あれだけ酷い目に遭わされたのに、一応、心配はするのね?」
「心配って言うか、全く関心が無いわけでもないからね。でも、あまり再会はしたくないかな?」
「翔哉くんがしたくなくても必ず再会する事になるけどね! ま、それは良いとして、悪い虫さん達にも一応プレゼントが有るから、国に帰る前に持って行ってくれる?」
「悪い虫?」
アスがポロっとそう呟くと、マリーザは彼女達にとって信じられない事を言い出す。
「そう悪い虫! 今、喋った、あのエレーナの馬鹿女を思い出させる巨パイ娘のあなた、あなたの事よ! それと変な口癖の戦闘大好きにゃんこ娘と、貧パイわんわん娘の二人もそうね! それに加えてドリュアスまでいるじゃない! 私だけのモノである翔哉くんに手を出したら本当は許さないんだけど、味見くらいはさせてあげるから、これからしっかり彼の役に立ってあげてね!」
樹海の民達が信奉して止まない女神ともあろう存在から、あまりにも酷い言われようをされた三人は、彼女とフランクに話す翔哉の事も手伝って衝撃のあまり言葉を失ってしまう。
続けてマリーザは詳細について説明をする。
「そこから西の方に見えてる建物、あれ宝物庫だから、そこから好きなアイテムや武器を持ってって良いわよ! それと、あなた達に新しいスキルも付与しといたから、後で確認しといてね!」
「ありがとうマリー。なるべく早く鍵を取ってこれるよう頑張ってみるよ!」
「うん、なるべく早くお願いね! 愛してるわ♡ 翔哉くん」
最後にマリーザはそう言うと、その後一切、彼女の声は聞こえなくなってしまった。
早速、言われた場所に向かって移動し始める翔哉達。
アスは翔哉の腕に自身の腕を絡ませながら、彼の手を握り締め確認するように問い始める。
「ねぇ、ショウヤ。ショウヤは私だけのモノだよね? マリーザ様とショウヤは何か特別な関係でもあるの?」
「うん、僕にとっての一番はアスだけだよ! マリーザ様の事は気にしないで! 何だかあの女神様、最初に会った時からずっと、あんな感じなんだよね。彼女と何か関係が有るかどうかについては、聞いてもはぐらかされちゃうから僕にもよくわからないんだ」
翔哉の答えを聞いたアスは、安心したのか歩きにくいのも構わずに、彼の肩に頭を寄せながらゆっくりと歩き、その表情はとても幸せそうであった。
そして、そんな二人を後ろから見ていたニケは、一人嫉妬の炎を燃やすのだった。
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