使徒にはなりたくなかったアス



 それはアスが10歳の時であった。いつものように青空学校が終わり弓の訓練を行っていた時、リュークは彼女に話しかける。


「もうすぐ天恵を受けられるかも知れない年齢だよな?」


「そうね。それがどうかした?」


「俺が女神の使徒になったら、お前の事ずっと守るからな!」


「あっ、うん......まぁ一応、期待しているわね」


 リュークとしてはそれがある意味プロポーズみたいな物だったのだが、そうだとは思わなかったアスは、それに対して生返事をしてしまい、この日からそれを了承したと勝手に誤認した彼と、何とも思っていない彼女との間で大いなる齟齬が生じたのだ。


 バルハーラ族内で使徒の数が一人になってから、既に二年ほど経過している状態だった為、彼女達の世代から新たな使徒が生まれる事が大いに期待されていた。


 それからしばらくしたある日、バルハーラ族の巫女であるオババから啓示が有ったと発表が有ったのだ。


「なんと! 我が娘のアストレイアが使徒として啓示を?」


「兄上! これは少々、困った事になりましたな!」


「う、うむ......しかし我が一族から使徒が選ばれるなど、200年ぶりの事。こんな名誉な事もあるまい」


「しかし、これから先、外周の民は聖道教に改宗せねば生き残れないと、つい先日、話し合ったばかりではないですか!」


「う、う~ん......しかしなぁ......これがマリーザ様の意思なのだとしたら、やはりその話は考え直した方が良いのではないか?ギルバートよ!」


「兄上! 状況はひっ迫しているのですよ? 兄上の判断次第では、我らが部族に未来は有りません!」


「そうは言ってもなぁ......仮にリュークが使徒として啓示を受けていたとしたら、お前に今と同じ事が言えようか? この話は一旦、保留にしよう」


「わかりました。兄上がそこまで言うのならば、この件は引き続き検討していくと言う事に致しましょう......」



 一方、この件の事を聞いたリュークは、アスに祝福の言葉をかけに行くと同時に決意を述べる為、彼女を呼び出していた。


「アス。使徒に選ばれたんだってな! おめでとう!」


「ありがとうリューク。でもどうして私なんかが使徒に選ばれたのか、とっても不思議だわ」


「それがマリーザ様の意思なんだから、きっと何か意味が有るんだと思うぞ?」


「うん、それはそうなんだけどね......私、戦うなんて嫌いだし、部族の未来を背負うなんて責任を追うのも正直、自信ない」


「本当は俺がなりたかったんだけどな......なぁ、アス! 約束を覚えてるか?」


「ん? 約束って?」


「俺が使徒に選ばれた時は、お前の事を一生守るって約束!」


「あー、確かにそんなような事、言ってたよね? でも一生だったかしら?」


「とにかく俺は使徒には選ばれなかったけど、お前の事を守りたいって気持ちに変わりはないぜ! だから俺、今よりもたくさん訓練して、使徒のお前よりも強くなるよ! そしたらお前の事、守ってやる事ができるだろ?」


 アスにしてみれば正直、彼にそこまで言われるのは重いと感じた。彼女にとって、あくまで彼は従弟であり、幼馴染みでしかないのである。


 しかし、彼の気持ちを無下にもできない。


 そう思った彼女は何の気なしに「わかったわリューク。一緒に強くなりましょ!」と返事をしてしまったのだ。


 彼女の何気ない答えにより、更にリュークの中で大きな誤認が生じてしまう。


 それ以来、二人の厳しい訓練が行われる事になったのだが、残念ながらリュークには、全くと言って良いほど戦闘の才能が無かったのである。


 アスもアスで本来、戦う事が嫌いな性格でも有った上に、強くなろうと一生懸命な彼の姿に対し、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 勿論そこに恋愛感情など一切なかったのだが、あまり使徒として期待されたくないと言う彼女の気持ちに対して、なりたくてもなれなかったにも関わらず頑張る彼の姿を見ては、どうしても自分だけ強くなりたいとは思う事ができなかったのだ。


「レベルがもう10を超えると言うのに、霊気の伸びが異常に低い。とんだ期待外れだ」


「今までに無いくらい才能が無い。過去最弱の使徒だろう」


 いつしか彼女はそんな風に、周りから言われるようになってしまっていた。


「アス! 周りの言ってる事なんて気にするな! お前は俺が守ってやると誓ったんだからな!」


 リュークはそんな事を言ってはくれるものの、アスとしては正直なところ余計なお世話だった。ともすれば彼の言い様には憤りの感情すら覚えていた。


 アスの評判に反比例するかのように、彼の尊大な態度は日増しにあからさまになっていった上に、最近では周囲に対して「アスは自分の女だ」と公言するようになっていたのも、彼女は知っていたのだ。


 そしてついに彼女の運命を大きく変える切っ掛けとなった、その日はやって来たのである。



 女神を強く信奉する隣の部族、デーン族との会談が行われる事になり、父と叔父のギルバートは10名程の部下を引き連れ、数日前より部族の集落を留守にしていた。


 その日は父達が集落に帰ってくる予定の日だったのだが、慌ただしい様子で一緒に行ったはずの部下の一人が先に帰還してきて、機織りをしていた集落の女性達に報告をする。


「大変だ! 族長がデーン族の連中に殺されてしまったぞ!」


「えっ! と、父さんが? そんなの嘘よ! デーン族が父さんを殺すなんて事あり得ないわ!」


「この目で確かに見たんだ! 族長が連中に殺されるところを!」


 一人の女性が詳細について問う。


「一体どう言う事なんだい? いくら強硬派だって言っても、デーン族はうちらとは親戚みたいな物じゃないか!? しかもうちらの族長は、どちらかと言えば女神信奉派なんだよ?」


「そんなの知らん! 3日目の会談中に急に連中が怒り出して、一旦は帰るように言われたんだけど、その後わざわざ追って来て......一番後ろを歩いていた族長は、盾になるように一人で連中の矢を受けてしまったんだ!」


 部下の報告からしばらくして、族長と、もう一人、彼が一番信頼していた従者の遺体が集落に運び込まれて来たのだが、彼らの状態はそれは酷いものであった。


「いやーーーっ! お父さーーーんっ」


 兄弟もなく、早くから母を亡くしていたアスにとって、父は唯一の家族だった。


 遺体をよく見ると報告の為、先に帰還した者の説明からは、少し腑に落ちない点が見受けられた。


 盾になるようにと言っていたはずだが、何故か二人とも周囲から攻撃を受けたように、全身に矢が刺さっていたのである。


 どうしても納得がいかなかったアスは、他の者には一切告げずに、その日のうちにデーン族を問いただす為に彼らの集落に向かう。


 しかし、その様子をリュークに目撃されてしまい、彼女はすぐにギルバートの部下達に捕まってしまったのだ。


「一人でデーン族のところに行こうとしていたのか? そんな危険な真似はもうよすんだ!」


 ギルバートにそう窘められ、彼女は父の葬儀が行われる日まで、外からしか開かない鍵付きの部屋に軟禁状態にされてしまった。


 その後、葬儀は滞りなく執り行われたのだが、彼女の監視状態は相変わらず続く。


 流石に様子がおかしいと悟ったアスは、ある晩ギルバートを問いただす為に、彼の部屋を訪問しそのドアの前に立つ。


 ノックしようとしたところで先約がいたらしく、中から声が聞こえて来る。


「アストレイアの件はどうされるおつもりですか?族長」


「リュークのやつが気に入っているからな。なるべくなら殺したくはないのだが」


「しかし、彼女はマリーザの使徒。今後、樹海の外の人間達と親交を深めて行く上で、この上ない障害になるのは必定です」


「う、う~ん。しかし、殺すにも何か理由がなければな」


「理由など要りません! デーン族を問い詰めに行こうとしているなら、むしろ好都合ではありませんか? 道中、待ち伏せでもして、また連中の犯行と見せかけ殺してしまえば良いのですよ!」


 その言葉を聞いた瞬間、アスはドアを勢い良く開けると、即座に壁に掛かっていた剣を取り、ギルバートの喉にそれを突き立て彼を問いただす。


「叔父さん! 今の話はどう言う事なの? 私を殺すって、まさか父さんもあなたが殺したの!?」


「どうやら全部、聞かれてしまったようだな」


 アスを取り押さえる為、動こうとするエルフィンを手で制し、ギルバートは話を続ける。


「そうだとも、お前の父は私が殺したのだ!」


「どうして!! どうしてそんな事をしたの!?」


「部族の為には仕方がなかったのだよ。もはや外周の部族が今後、生き残って行くためには、人間達と手を携えるより方法はないのだ」


「そ、そんな......マリーザ様を裏切ると言うの?」


「その通りだよ!アス」


 ギルバートの答えを聞いたアスは、彼に立ち上がるよう促し、喉に剣をあてがった状態で彼を人質にとって、そのまま集落を出たのである。


 そして彼女はしばらく行った所でギルバートを解放し、大叔父の集落に向かって逃亡劇を始めるのだった。

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