第53話 守る理由は単純

「俺もそうだったらいいって思ってる。でも視力にはそれなりに自信があるんだ。なあバルタザール。誰しも秘密にしたいことや、人に言えないことがあるのはわかってる。でも心配なんだ。ちょっと前はエミリアの様子もヘンだったし、お前は頭痛に悩まされてるみたいだったし、先生がいきなり二人も学校を辞めるし。まさか妙なことに首を突っ込んだり、巻き込まれたりしてないよな?」


 クラウスは、痛ましげに眉根を寄せる。


「俺じゃなんの力にもならないのはわかってる。けどもし、エミリアにすら言えない悩みがあるなら、せめて話だけでも聞き……」


 突如、講義室の扉が開いた。


「エミリア……と、アレンダさん?」


 兄妹の出現に、バルタザールが目を丸くしたのもつかの間。

 エミリアは険しい顔で、クラウスとの距離を詰める。


「へ? 何だよ?」


 息が触れそうなほどに顔を近づけられ、困惑したクラウスが後ずさる。その分また、エミリアは彼にせまり。

 それを繰り返すうちに、クラウスの背が窓枠に当たった。そして。


「あっ」


 バルタザールが声をあげた時には、クラウスは回り込んでいたアレンダに首の根元を打たれ、倒れてしまっていた。








「エミリア、出来そうかい?」

「特定の記憶を曖昧にする。そして曖昧になったことに対して、疑問を抱かないようにする――大丈夫。やってみせるわ」


 二人はクラウスを仰向けに寝かせた。エミリアが側に膝をつき、クラウスのひたいに両手をかざしながら詠唱する。

 駆け寄ろうとしたバルタザールだが、アレンダが腕でさえぎった。


「偶然にしろ、二人で迎えに来てよかったよ」

「聞いていたんですか?」

「途中からね。気の毒だけど、女王のイヤリングを見たことを忘れてもらう。たった今の君との会話も。実はさっき、キールさんから個別に質問されちゃってさ。彼は決定的なものを見てないからごまかせたんだけど、まさか君のお友達が致命的な仕掛けを目撃してたとはね」


 講義室は先ほどよりも夜の気配が増している。

 エミリアの魔法で周囲はほんのりと明るくなっているが、兄妹の表情は夕闇のせいでよく見えない。


「バルタザール。これは君のためだ。そこのお友達のためでもあるけどね。女王に対する違和感は、ひとつでも残してはいけない。彼女を、時間魔法を操れる存在として印象付けさせるためには必要なことなんだ」


 バルタザールは何も言えなかった。

 その判断に異を唱えるつもりはない。

 だが、後ろめたさが腹に溜まっていく。


「これは俺の問題なのに。お二人を巻き込むなんて」

「勘違いしないで。私もお兄ちゃんも、おせっかいであなたのことに首を突っ込んでいるだけよ」


 エミリアの手元から光が消えた。

 夢幻魔法による、記憶を操作する処置が済んだようだ。


 膝の上に置かれた少女の指には、金色の指輪が三つ。

 女性がするにはごつい作りのはずなのに、彼女の白い指にとても似合っている。


「私は私なりの方法で、あなたを守りたいだけ。今この世で生きているすべての魔法使いの中で、誰よりも重い宿命と秘密を背負ったあなたに、穏やかなまま一生を過ごしてもらう。それが私とお兄ちゃんの目標なの」


 アレンダはゆっくり二度首肯した。


「君の秘密がばれたら混乱は必須だし、下手すると大きな戦いになりかねないからね。そうなると僕も大変な目に合いそうだし。それは避けたいんだよ」


 エミリアは立ち上がり、バルタザールの手をとる。励ますように、宝石がはじけるごとく笑んだ。


「私はあなたの血縁者でもないわ。これから味わうかもしれない孤独や葛藤も、理解してあげられるかわからない。けどあなたのこと、家族だと思っているから。だからバルタザール、自分の身を守るために、使えるものはすべて使ってね。私たちの家柄も立場も、必要ならば思う存分利用していいのよ?」


 エミリアはバルタザールの耳元へ手をやった。

 片方だけに光るイヤリング。おそらくは彼の母が、息子のためにつくったもの。


「それが、私とお兄ちゃんの覚悟なの。あなたはひとりぼっちじゃない。必ず、私たちが力を貸すからね?」


 バルタザールは唐突に、講義室の出入り口まで逃げた。


「ちょっと、大事な話をしてるのにその態度は何?」


 ふくれっ面になる妹を、兄がなだめる。


「いいじゃないか。照れてるか泣いてるかのどちらかだよ」


 アレンダの優しい言葉につられ、バルタザールの頬に一筋の涙が流れた。

 彼は、首から下げたペンダントを握りしめる。


(母さん)


 寂しさのあまり乞うような問いかけなら、これまで何度もした。

 けれど今日は違う。


(心配してるかもしれないけど、俺は元気だよ。本当にいい人たちと出会えたんだ。ずっと一緒にいれなくてごめん。俺のために、魔法具を残してくれてありがとう)


 脳裏に残る母の懐かしい笑顔が、講義室の壁の向こうにあるような気がした。

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