第52話 からくり



  ◆◆



 朝から晩まで延々と大海原おおうなばらを泳ぎ続けたような、とてつもない疲労感だ。


 摩李沙まりさは魔法学校の屋根の上で、青の女王の格好のまま大の字に横たわっていた。言葉を発する気力もない。


「お疲れさまでした。見事でしたよ」


 かたわらでねぎらってくれるのは、ソフィーだ。


 アレンダは「秘密を知っている者は少ない方がいい」という考えだったようだが、最終的にソフィーに協力を頼んだ。


 彼女にはバルタザールの出生について明かしていないし、時間魔法が使えることも伝えていない。ただ何かしら勘付いているかもしれない、とアレンダは言っていた。

 それでも作戦に巻き込むということは、よほど彼女を信頼しているのだろうと摩李沙は思った。


「本当に私たちの姿、周りの人には見えていないんですね」


 ソフィーは優しい表情のまま頷く。


「ええ、保証します。私が扱える数少ない魔法のひとつですから」


 これはエミリアもバルタザールも驚いていたのだが、なんとソフィーも魔法使いの家系らしい。

 遠い国の出身だが、婚外子だという理由で幼い頃に売られ、縁あってアレンダの父に引き取られたそうだ。


「私は皆さんと違って素養がありませんので、姿を隠す魔法と強い光を生み出す魔法くらいしかできないのですが」

「いいえ、おかげてすごく助かりました」


 彼女の魔法は、アレンダが企てた大芝居を派手に演出するものとなったのは間違いない。

 地上からざわめきと混乱の気配がするが、のぞき込む元気はなかった。


「もう、帰ってもいいかなあ」


 ぼやきを受け取ってくれたソフィーは、屋根の下を確認する。


「そうですね、問題なさそうです。ではちょっと失礼して」


 ソフィーは摩李沙の背とひざ裏に手を差し入れる。そのまま抱き上げ、三階の高さから飛び降りた。

 どんな力をつかったのか、羽のように着地したソフィーに摩李沙は感心する。


「本当は他にも魔法が使えるんじゃないですか?」

「これはアレンダ様の手配のおかげですよ。さあ、一足先にお屋敷へ戻りましょう」


 地面に降ろされた摩李沙は周囲を見渡す。

 正門まで数十メートルはあり、人目につきやすい場所だ。中庭へ向かって何人か走っていくが、誰もこちらを気に留めようとはしない。


 流れていく人々に気をとられていた摩李沙は、すたすた歩いていくソフィーに遅れまいと、あわてて駆けだした。




  ◆◆




「あれ? 二人とも残っていたんだ」


 夕方、講義室へ戻ってきたバルタザールは、リックとクラウスの姿を目にとめ驚く。


 一連の騒ぎで午後の授業は中止。ほとんどの生徒は自宅や寮へ帰ることになった。バルタザールやエミリアは治療を受け、そして先生達や魔法省の職員からいくつか質問を受けた。


 いざ帰宅となった時、教科書を忘れていたので探しに来たというわけだ。


「体は大丈夫なのか?」

「ああ、問題ないって。心配かけてごめん」


 クラウスに応じたバルタザールは、その視線に違和感を覚えた。


「どうかしたか?」

「……いや、何でもない」


 一方リックはというと、上体ごと机に突っ伏して大きなため息をつく。


「お前は無事でよかったけどよお。俺の昼飯がグチャグチャになっちまった! ちくしょう、あいつが次に現れたら絶対に攻撃してやる! 食べ物を大切にしない奴は成敗だ!」


 クラウスはぽん、とリックの頭に手を置く。


「やめとけ。レアルデス家次期当主ですら怪我したんだぞ。お前なんかぺしゃんこにされるだけだ」

「そんなこと言うなよー。ていうかさ、あの女は結局何者なんだ?」


 リックの問いに、クラウスもバルタザールを改めて伺う。

 バルタザールは首を横にふるしかなかった。


「全然わかんないよ。アルシノエの後継者を自称している魔女だ、ってことくらいかな」


 教師達や魔法省の職員は、先の実習で現れた青の女王の正体が、トアンが共謀して作ったまぼろしだと知っている。だが実在しない女王が再び現れ時間魔法を使ったことで、大人たちは疑問の渦中にいた。


 ――バルタザールは勿論、今回現れた女王が摩李沙だと知っている。


 女王が使った時間魔法は本当のところバルタザールが発動させたし、アレンダが彼女のせいで怪我を負ったというのも嘘だ。

 奪われたペンダントはこの日のために準備した偽物で、本物はバルタザールが首から下げている。


 大人たちの慌てようからして、しばらく魔法省は“女王”を追うことになるだろう。作戦は一定の成果をあげたわけだ。


「しばらく落ち着きそうにないな。時間魔法の使い手が現れたんだから、みんな大騒ぎにもなるよな」


 不自然にならないようにぼやいてみるが、クラウスはずっとこちらを注視したままだ。バルタザールは、イヤリングが耳元で揺れたのを機に当初の目的を思い出した。


「まずい、エミリアを待たせてるんだった」


 教科書を探索し始めたのと同時に、リックが家の手伝いがあるからと去っていく。中腰になって探していたバルタザールだったが、ふと顔をあげる。

 クラウスが何かを持っていた。お目当ての教科書だ。


「悪い、助かる」


 手を伸ばし受け取ろうとしたが、友人はそれを自らの頭上へと遠ざけた。


「……クラウス?」


 日が暮れかけているせいか、彼の顔半分に濃い影がかかっている。


「今日も、イヤリング片方しかつけてないんだな?」


 バルタザールは左の耳に手をやった。


「ああ、そうだけど?」

「じゃあ、エミリアはそのもう片方をつけてたか?」

「え? そんな訳ないだろ」


 普通に返したつもりだが、次の言葉に固まった。


「エミリアそっくりの青の女王はつけてたよな? お前と同じイヤリングを、片耳だけに」


 焦る心を無視し、バルタザールは笑う。


「勘違いだよ。あの魔女が俺と同じイヤリングをつけてるって? 仮にそうだとしても、見間違いか偶然だよ」

「いいや。あれは絶対に同じものだった」


 強く断言したクラウスは、机をはさんでバルタザールに顔を近づけた。

 さらに笑いとばさなくてはならないのに、喉が貼りついたように言葉が出てこない。


 クラウスは重ねて言う。


「お前、何か隠してるよな?」

「や……だから、勘違いだって」

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