第50話 ヘンな日になりそう


 

  ◆◆



 数日後。

 リクスイユ魔法学校の一角では、朝から一部の生徒がざわついていた。

 久々にそろって登校したエミリアとバルタザールの雰囲気が、とんでもなく険悪だったからだ。


 クラスメイト達は、二人が別々の席に座ったことに違和感を覚えた。エミリアの護衛も兼ねているバルタザールが、彼女を無視して他の生徒の隣に座るなど前代未聞だからだ。


「おい、バルタザール」

「なんだ、リック?」


 やや棘のある問い返しに、リックは思わず背を伸ばした。


「エミリアの側にいなくていいのか?」

「ああ、今日は気にしないでくれ。俺のこともあいつのことも」


 周辺にいた全員が息をのんだ。

 貴族階級のエミリアと、元々は孤児のバルタザール。二人の関係は非常に気さくなもので、バルタザールは敬語を使うよう指示されていないが、それでもあいつ呼ばわりはありえないことだった。


「頭でも打ったのか? もしくは毒ヘビの干物の粉末を間違えて飲んじゃったとか?」

「え、そっちこそ何言ってるんだよ?」


 一方エミリアの方へは、リーゼラ達が近づいていた。

 エミリアは左のひじをついて頬に手をそえ、ある一点を獲物でも射殺すかのように見ている。右手の指は、せわしなく机を叩き続けていた。


 その険しさに不穏なものを感じ、女子が一人後ずさった。リーゼラはひるんだ友人を視界に入れながら、居丈高に言う。


「いやあねえ。そんな態度じゃクラスの雰囲気が悪くなるでしょ。せっかく良いお天気なのに。もうちょっと周りを見なさいよ」


 すると、エミリアは下からリーゼラをにらみあげた。

 リーゼラは、ひとりでに足が震えそうになるのをこらえる。


「今のは私に対して言ったの、リーゼラ?」

「え、ええ、そうよ。周りに影響が出てるでしょ。少しは気をつけ……」

「大きなお世話よ! 私の気持ちは私だけのものよ! 気を使ってばかりじゃつぶれちゃうことだってあるの! 一年のうちにたった一度か二度くらい、こうなっても多めに見てくれていいじゃない! あなたも同じような家柄なんだからっ!」


 立ち上がったエミリアは一方的にまくしたて、再び座り込んで腕を組み、全てを遮断するかのように目を閉じた。


 とげとげしい空気をまとっている彼女へ、リーゼラが「ほんっとうに元気ね。いっそうるさいくらいよ」と言って講義室の端へそそくさと移動する。

 終始見ていたリックとクラウスは、こそこそとささやいた。


「エミリアは今日も絶好調だな」

「やっぱりあれくらいでなくちゃ、こっちの調子がおかしくなるよ。でも、いつにも増して機嫌が悪そうだよな」


 二人はほぼ同時に、バルタザールへと視線を移し。


「だから。あいつのことはほっといていいんだよ」


 その声音にも瞳にも、呆れと苛立ちがありありと混じっている。

 仕える立場のバルタザールがそんな命知らずな態度をとるとは、今日は変な日になりそうだ。リックはそう、心の中でつぶやいた。








 授業は滞りなく進んでいく。トアン先生とアダリリィ先生が急病のために退職したというニュースはまだ、生徒たちの間で面白おかしく話題の俎上そじょうにあがっていた。


 本日トアンの代打としてやって来たのは、魔法省の職員であるアレンダ・レアルデスだった。


「ごく短い期間だけど、教壇きょうだんに立たせてもらうことになりました。教員免許は持ってないけど、特例措置ということで許してね。いやあ、後輩たちに教えるなんて緊張しちゃうなあ」


 皆は度肝を抜いた。彼がエミリアの兄であることはほとんどの生徒が知っていたし、仮に知っていなくてもある種の伝説を残したことで有名だからだ。

 よりいっそう不機嫌さが増すエミリアを尻目に、生徒たちは互いにささやきあう。


「えっと、エミリアのお兄ちゃんだよね? 魔法省の人だっけ? よく理事会が許可を出したね」

「トアン先生の代わりを見つけるのがそんなに大変なのかな? 魔法省に頼りすぎないようにするのが今の理事長の方針なのにね」

「そういえばアレンダ・レアルデスって、些細なもめ事で上級生数人をコテンパンにして、後日三倍の人数でお礼参りされたのに楽勝で返り討ちにしたって聞いたことあるよ」

「先生も魔法で火傷させた前科があるのに、なぜか成績はずっと学年上位だったって」

「慈愛の微笑みを浮かべる悪辣あくらつな魔法使い、って言われてたんだよね?」


 頭上で風が吹き、生徒たちは何気なく上を向いて――あちこちで悲鳴があがった。

 炎をまとった巨大な竜が、天井を我が領土といわんばかりに悠々と旋回せんかいしていたのだ。


「私語はどうぞ慎んでくださいね。他の先生の前では許されても、僕はそういうの好きじゃないから」


 笑顔のアレンダが指を鳴らしたとたん、竜は夢のように消えた。

 兄をにらみつけるエミリアと呆れるバルタザール以外、全員が激しく首肯する。


 やがて昼休みになった。バルタザールはリックとクラウスと共に回廊を歩いていた。

 しばしの休息時間、学校内の空気は開放感で満ちている。昼食は食堂で売っているパンを食べる生徒もいれば、弁当を持参する生徒もいた。


 授業で使うところならばどこでも、昼食を摂っていいことになっている。三人は噴水のある中庭を目指していた。最も人気のある休憩所のひとつだ。


「いいのかバルタザール? エミリアのお守をしなくても」


 お守と表現してしまったリックをクラウスが軽く叩くが、バルタザールは時に気にとめていない。


「俺もいい加減、エミリアに疲れたからな」

「今までは疲れていなかったのか。そりゃすげーよ。大いに尊敬する」


 余計な一言のせいで、またもやリックははたかれた。


「何だよさっきから」

「あのな、エミリアは偉大な魔法使いの子孫なんだぞ? 時々女性を王族にすほどの家系なんだからな?」


 リックはぺろりと舌を出す。


「悪いな。お前と違って俺はその辺の一市民だからね。お偉いさんの事情なんてすぐに忘れちゃうよ」

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