第49話 眼鏡の奥の感情

 アレンダからざっくりと作戦を説明され、摩李沙まりさは激しく首を横にふる。


「無理です! 私、魔法が使えないんですよ? 忘れてませんか?!」

「そこはね、僕や誰かが補助すれば何とかなると思うんだよねー」

「このやり方だと、私とバルタザールはマリサを手伝うのは無理よ。まさか秘密を他の人に話して、協力してもらうつもり?」

「そんなことはしないよ。これからもう少し、詳細を詰めていこうと思ってるんだ。あ、マリサちゃん。君が戻るための転移魔法の準備もちゃんと進めるから、そこは心配しないでね」


 アレンダの考えは、こうだ。

 魔法学校の演習の際、偽物の青の女王である“エミリア”が現れた。あれはトアンが出現させたまぼろしだったわけだが、それを利用しようというのだ。


 つまり摩李沙を“時間魔法の使い手である青の女王”として皆の前に出現させる。そして実際に時間魔法を行使し、忽然と姿を消す。こうすればバルタザールへの注意がそれるという作戦だ。


 頭をかかえる摩李沙の隣で、静かにバルタザールは告げる。


「俺は反対です。マリサは充分、危ない目に遭いました。これ以上負担をかけることはできません」


 こちらへ向きなおった真摯な空色の瞳が、摩李沙の胸を打った。


「君はもう充分、助けになってくれた。おまけに、母さんの残した蒼蘭そうらん光石こうせきまでもたらしてくれた。欲張ってさらに求めるなんて、申し訳なくて出来ないよ」


 バルタザールはまた正面に向きなおり、体を傾けて腕を組むアレンダに訴えた。


「他の作戦を考えましょう。マリサを巻き込みたくないです」

「……私、やります」


 三人の視線が一斉に刺さる。

 バルタザールは、驚きのあまり声を荒げた。


「何言ってるんだ。危ないんだぞ! もし失敗でもしたら……」

「で、でも! バルタザールはこの後どうなるの? 魔法省の監視が続くのなら、アレンダさんもエミリアも、あなたを守り切れなくなる日が来るかもしれないんだよ?」

「そうなったら、時間魔法を使ってこの国から逃げるよ。時を止めるだけだから簡単だ」


 そうだろうか。摩李沙はきゅっと両手を握りあわせた。


「魔法省の人たちは、バルタザールが魔法を使ったら記憶喪失になる場合があるって、もうわかってるよね。その状態で逃げ続けるのは危険だよ。回復できないまま捕まるか、もっと悪い人たちに出会っちゃうことも有り得るんだよ?」


 バルタザールは、机の下で拳を固く握りしめる。

 わかっているのだ。行き場のない身であることを、誰よりも。


「でも、君が関わるのはだめだ!」


 摩李沙は、なだめるようにバルタザールの手に己の手を重ねた。


「ねえ、あなたは一人じゃないんだよ。アレンダさんもエミリアもいる。そこに、私も入っちゃだめかな?」

「マリサ……」


 摩李沙はバルタザールの目をしっかりと見た。決意が少しでも伝わるように。

 観念したのか、彼は肩を丸めてため息をつく。


「君は、本当にお人よしだね」


 アレンダが静かに告げた。


「じゃあ、この作戦は改めて練り直しておくよ。また明日、打ち合わせということで」








「アレンダさんってずるいですね」

「どうしたんだい?」


 廊下を一人進む青年へ、摩李沙は声をかけた。

 部屋に戻るフリをして、彼が一人きりになるのを狙ったのだ。


「気配は感じていたけど、僕に何の用かな?」


 眼鏡の奥の柔和な微笑みを、油断なく伺う。


「昼間、お屋敷が壊れた件ですけど。あれはアレンダさんが、わざと被害が大きくなるように仕向けたんじゃないですか? それを目の前で見た私が、バルタザールを助けたくなることを見越して」


 笑顔は崩れない。摩李沙はさらに続ける。


「エミリアの替え玉になる時だって、転移魔法にはエミリアの魔力も絶対に必要なんだって説明して、私が協力せざるを得ないようにしましたよね? 二回も、私を利用するためにうまく誘導したんですね」


 首だけ振り向いていたアレンダは、摩李沙に向きなおった。


「そうだよ。それが必要だと思ったから、僕はそうしたんだ」


 そして眼鏡を外す。目の形がやや細まって見えるので、彼の印象に冷たいものが混ざった。


「つまらない昔話だけどね。学生の頃に『魔力はそこいらの魔法使いの七倍はあるのに、代償として性格が終わってる』って陰口をたたかれたことがあってさ。腹が立ったからそいつらをしめあげて、最初に吹聴ふいちょうした奴には一か月くらい家で大人しくしてもらったんだ」


 やってることが不良の所業だ。摩李沙は思わぬ過去に唖然とする。

 優秀だがちょっとだけ変人かと思えば、彼にはこんな裏があったのか。


 袖口で丁寧に眼鏡を拭きながら、アレンダは続ける。


「これでも、小さい頃と比べたらだいぶ変わったよ。魔力の調節もしやすくなったし、何より可愛い妹と弟同然の子がいてくれたから、道を外さずに済んだと思ってる。あの子たちの手本になりたいし、困っていたら助けてあげたい。俺がとどまれているのは、二人のおかげなんだ」

「……だから、私も容赦なく使うんですね」

「あはは。マリサちゃん」


 眼鏡をかけたアレンダは、感心したように笑う。心からの笑みに近いと、摩李沙は感じた。


「お人好しで流されやすい子かと思ってたけど、度胸もあるしハッキリ言うんだね。安心して。君はもうあの二人にとって大事な知り合いだ。作戦実行の際には君の安全を保障する。僕もそのために全力を尽くすよ」

「そうですね。私を守ることが、結果的にバルタザールを魔法省から守ることになるから」

「こりゃあ参ったなあ」


 眉をハの字にする彼は、人の良さそうな魔法使いにしか見えない。

 良さそうに見えるだけで、その奥には秘めたる深淵があったということか。


 摩李沙は、引き返す前に付け加えた。


「アレンダさんのこと、嫌いになったわけじゃないですよ。でもずるい人だと思ったから、ひとこと言わずにはいられなかったんです。それだけです」


 きびすを返した摩李沙の背中に、あっけらかんとした「おやすみなさい」という挨拶が届いた。

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