第46話 腹いせのお時間?



  ◆◆



 バルタザールが目を覚まし、彼の記憶も戻った。

 蒼蘭そうらん光石こうせきのおかげで、頭痛の辛さもだいぶやわらいだそうだ。


 摩李沙まりさはこれで彼に振り回されなくて済む。それに一連の騒ぎが落ち着いたので、いよいよ日本へ帰る手筈てはずも整えてくれるだろう。

 いいことだらけのように思えたが――それは摩李沙にとってだけだったのかもしれない。


 朝食後アレンダの個室には、四人の魔法使い及び人間がつどっていた。

 アレンダとエミリアとバルタザールと、そして三人を順番に見比べる摩李沙だ。


 学校へは行かなくていいのかとエミリアに問いたいが、どうもそういうことができる雰囲気ではない。


 アレンダは長方形の重厚感ただよう机に腰かけ、両肘をつきにこやかにバルタザールを見下ろしている。

 エミリアはというと、机の角に体重をあずけるようにして立ち、腕組みしてバルタザールを軽くにらんでいる。

 そしてバルタザールは昨日までの態度とは打って変わって、騎士が主人にかしずくかのように、片膝を床について頭を垂れていた。


 その視線は、いたたまれなそうにあちこちを彷徨さまよっている。服がしぼれるくらいには冷や汗をかいてそうだなと、摩李沙は緊迫した雰囲気なのに思ってしまった。


 最初に口を開いたのはアレンダだ。


「バルタザール、君が元に戻って何よりだよ。たった四日程度だったけど、こっちはすごくびっくりしたんだからね」


 曇りのない笑顔だ。労わっているのか強烈な嫌味なのか、測りかねるほどの完璧な笑みだ。


「ご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした!」


 バルタザールは謝罪と共に頭をさらに下げる。ひたいで床掃除でもしかねない勢いだ。


「いやー、そんなことしなくても大丈夫だって。僕も君にかしずく立場になってみていろいろ学べたことがあったから、貴重な経験だったよ。僕の家系だと、頭を下げるべき相手が限られてきてしまうからね。君のおかげでこれからは、権威に寄りかからず無駄におごらないようにしようと思えたわけさ」


 部外者である摩李沙でさえも、お腹が緊張でそわそわしてきた。


(これ、嫌味だよね? 絶対にそうだよね?)


 少年はさらに頭を床にこすりつける。


「本当に、何とお詫びをすればいいのかわかりません。お気の済むまで、罰でも何でもお与えください!」

「言ったわね? バルタザール」


 冷ややかな声が割って入る。エミリアだ。

 アレンダは不思議そうに妹へ視線を移し、バルタザールはバネのように頭を上げる。


「い、言ったけど……」


 エミリアは無言で膝をついた。視線だけでも下げようとしたバルタザールだが、すかさずエミリアがあごに指をそえて上向かせる。


「わっ! エ、エミリア」

「そうねえ、敬称なんてつけなくていいって随分昔に言ったけど、しばらく私の気のすむまでエミリア様って呼んでもらおうかしら?」


 兄と違って表情をはっきり見せない分、怒りの深さがわかるというものだ。

 日頃口やかましい彼女とはだいぶ違う様子に、バルタザールがおののいているのは明らかだ。


「しょ、承知いたしました、エミリア様」

「そうよ、あなたってやれば出来るんだもの。物覚えも良いんだし、本当は時間魔法の使い手なのに風の魔法だって自在だし……な・の・に!」


 エミリアはかっと目を見開いたかと思うと、両手で拳をつくりバルタザールの側頭部にぐりぐりと押し当てた。バルタザールはたまらず悲鳴を上げる。


「痛たたっ! エミリア! じゃなくてエミリア様! やめてくださいっ」

「そうだよエミリア、将来の毛根に影響するよ!」

「お兄ちゃんは黙ってて! ねえバルタザール、私がどれだけ心配したかわかってるの? こっちが気をもんでることも知らないで、魔法を使った後遺症で私のことすっかり忘れちゃうし、マリサにも迷惑かけちゃうし! 何してんのよこのポンコツちゃん! バルタザールの馬鹿ぁ!」


 叫び続けるエミリアは、最終的にアレンダが羽交い絞めして引きはがした。摩李沙は自然と、頭を押さえるバルタザールの元へと駆け寄る。


「大丈夫?」

「うん、昔はよくあることだったから」


 バルタザールは急に、火であぶったかのように顔を朱に染めた。謝ったり攻撃されたり、今日の彼は忙しい。


「どうしたの?」

「マリサちゃん。バルタザールは年頃の男の子だよ? エミリアと勘違いして君に迫ったことが、すごく恥ずかしいんだよ」


 アレンダの解説のせいで、さらに耳や首まで真っ赤になっていく。


「うわああああ! ごめん! どうかしてたよ本当に悪かった!」


 とうとう両膝までついて、頭を床にこすりつけた。


 止めさせようとした摩李沙だが、アレンダが割って入る。再び身を起こしたバルタザールは、文字通り凍りついた。

 アレンダは、また柔和な笑みを浮かべていた。


「で、あの豹変した人格は君の本性かい? 僕を手足のようにこきつかいたいし、あわよくばエミリアに手を出そうと考えてるってことでいいかな?」

「ご、誤解です! 全くもってありえません! ありとあらゆるものに誓って本当です、アレンダさん!」


 アレンダはなぜか眼鏡を外した。その眼光は刃物のように鋭い。


「えー、本当かな。信じていいの?」


 バルタザールはさらに弁明しようとしたが、アレンダの気迫に圧され、最期を悟ったかのように顔を伏せた。


 そのまま部屋に、重苦しい沈黙が流れ続ける。

 氷点下の冷たい視線のアレンダに、刑の執行を待つ囚人のようなバルタザールに、腕組みして二人を注意深く見守るエミリア。


 そして一人だけ、おろおろしている摩李沙。


(このままじゃ、バルタザールが可哀想すぎる)


 意を決し、思い切って口を開く。


「あの! お取込み中悪いんですけど、私が元の世界に戻る方法について……」

「よし! この話はこれで終わりだ、バルタザール!」


 再び眼鏡をかけたアレンダは、バルタザールの肩をぽんぽん、と叩いた。軽い足取りで、再び執務机に腰かける。


「……え?」


 バルタザールの口から、間抜けな声が漏れた。


「もういいよね、エミリア。さすがにこれ以上責めるのはかわいそうだし」

「その割にはどこか楽しそうだったわよね、お兄ちゃん?」

「やだなあ、僕が問題ある人みたいに言わないでよ」


 太陽も負かすほどの笑みを放つ兄を一瞥いちべつし、エミリアはひたいに手を当てる。


「もういいわ。今ので私のモヤモヤも消えちゃったみたいだし。もうこの件で怒らないわ」


 そしてバルタザールに向きなおると、エミリアはふわりと笑った。


「言ってなかったけど、あなたが我が家に帰ってきてくれてよかった。本当に、心配してたんだからね」


 バルタザールはゆっくりと片膝をつき、再び頭を下げる。


「もったいないお言葉です、エミリア様」

「ああ、ごめんなさい、敬称はもういいわ。今まで通りにしゃべってほしいの」

「はい……あ、うん、わかったよ」


 摩李沙は急展開に唖然となった。


(この人たち意地悪なの? でも結果的には優しいの? 一体どっち?!)


 こちらを向いたバルタザールは、疲れは見えるが微笑ほほえみとともに頷いた。


 彼にとって二人は家族同然だそうなので、バルタザールが納得しているのなら、摩李沙は何も言うことはない。事実、バルタザールがレアルデス家に戻るために、アレンダが骨を折ったのは間違いないことなのだろうし。


「俺も改めて、お礼を言わせてください。アレンダさん、エミリア。俺の出自を知っていたのに隠してくれて、ありがとうございます。エミリアは、俺のせいで怖い目に合せて本当に悪かった。アレンダさんも、俺を魔法省から何事もなく連れ出すためにたくさん苦労されたと思います。何度感謝しても足りません。それから、マリサ」


「え、私?」

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