第44話 不穏な出来事と少女の心痛
「何事だ」
痛みをこらえ、バルタザールは立ち上がる。すぐさまアレンダがやってきて膝を折った。
「失礼しました。屋敷の上に不穏な気配があったので、私の独断で始末した次第です。お騒がせして申し訳ありません」
報告の口上もなめらかだ。違和感の一切ないその様は、実はバルタザールにかしずくことを楽しんでいるのでは、と疑いたくなるほどだ。
バルタザールは何も言わず、また顔をしかめてこめかみを押さえた。顔中から汗が浮き出ている。
「ごめん。少し休むよ」
青白い顔のまま、少年はフラフラと屋敷へ戻っていった。
その背中を見送りながら、アレンダはつぶやく。
「参ったね。痛みをやわらげれるものなら、そうしてあげたいんだけど」
「出来ないんですか?」
「僕は治癒魔法も使えないことはないけど、得意じゃない。かといって我が家のかかりつけの医者に来てもらうのも、今はあんまりやりたくないんだよね」
あの子には申し訳ないんだけど、と言うアレンダの横顔は真剣だ。
風が吹いて、摩李沙の足元に先ほどの黒い何かが転がってくる。怯えながらも観察していたが、徐々にほぐされたようにバラバラになり、消えた。
「一体、何があったんですか?」
アレンダは眼鏡を指でなおし、にこっとほほ笑む。
何事かをたくらんでいるようにも見えた。
「近いうちに話すよ。エミリアと、バルタザールも含めてね」
その日の晩、バルタザールは自室から出てこず、夕食を取らなかった。
アレンダも昼から仕事へ行ったまま、帰宅していない。テーブルに座っているのはエミリアと摩李沙だけだ。
給仕の人数が少なくなるのを見計らって、摩李沙は口を開く。
「バルタザールの様子を見に行ってあげたら?」
エミリアは眉根をよせたまま、一口大に切った肉を口に運んだ。
「いいわよ。今のあいつにとっては、エミリアは私じゃなくてあなただもの」
「でも、そのうち元に戻るよ。今あなたに冷たくしていること、きっと後悔すると思う。バルタザールの頭痛はまだ収まりそうにないから、せめてそばにいてあげない?」
「そんなことしたら、あいつが私を見て怒ったりしないかしら?」
いくつか言葉のやり取りを通して、エミリアは彼に対して不満を抱いているものの、心配していることもわかった。
食後の果実やタルトも平らげた後、エミリアをなだめすかし、共にバルタザールの部屋へと向かう。その際ソフィーに、紅茶と軽食の準備をお願いしておいた。
音を立てないように扉を開ける。薄暗い照明の中、うめき声が聞こえた。
「かあ、さ」
エミリアはすぐさま、ベットに横たわるバルタザールへと駆け寄る。
「やだ、すごい汗」
そして服の袖を使い、そっと
「……っ」
「かあさ、ん……どこに、いる、の」
立ちつくしていたエミリアだったが、意を決したように椅子をベットのそばまで移動させ、腰かけた。
摩李沙は思わず声がはずむ。
「エミリア」
「こうなったらつきあってやるわ。元々、バルタザールを見つけて保護したのは私だもの。だからどんな態度をとられようとも、私には一定の責任があるの」
摩李沙もまた同じように椅子を移動させ、エミリアの隣に並ぶ。
「あなたはいいわ。無理しないで」
「エミリアこそ、明日はまた実習なんでしょ?」
「大丈夫よ。マリサが代わりに出てくれた時のような、あんな大規模のものじゃないから」
そういえばそんなこともあった。既に遠い昔のように感じながら、あの日の光景を思い起こす。
ソフィーが紅茶やパンを持ってきてくれたが、バルタザールは目を覚ます気配はない。悪夢と痛みにもまれ、なすすべなく記憶の海を漂っている。
天井へと伸ばされた手を掴み、エミリアはつぶやいた。
「思い出しちゃうな。夢を
その横顔は、沈痛な表情をたたえている。
「あの時私は、バルタザールを助けたかった。その結果、彼の秘密を知ってしまったわ。生い立ちのこと、母親のこと、いつか話してくれるまで待っていようって思ってたけど。この事件のせいで、もっと早く寄り添ってあげればよかったのかもって考えるようになっちゃってね」
目元がわずかに潤んでいた。摩李沙はただ、耳を傾ける。
「私も、お兄ちゃんもお父さんも、バルタザールを魔法省へ突き出そうなんて一切言わなかったの。そんなことをしてしまえば、彼の人生はそこで終わったようなものよ。様々な魔法の実験に駆り出され、自由を奪われ、あらゆる悪意や善意のある人間から常に狙われる。いろんな種類の騒ぎがおきてしまう。そうなることは目に見えていたから。知らないふりをすることがバルタザールを守る一番良い方法だって、あの時は信じてたの」
ぽたり、と涙がひとつ落ちる。エミリアは、未だにあがく手を己の
「我が家でアルシノエの血族をかくまうことが、全ての魔法使いにとって正しいのかなんてわからない。けど少なくとも、バルタザールにとっていいことだと思ったの。でもごめんね。あなたが一人で苦しむ必要はないって、もっと早く伝えればよかったね」
涙に濡れた独白に、摩李沙はただ、肩を抱いてあげることしか出来なかった。
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