第43話 豹変なんてやめてほしい
「これが魔法を使った後遺症なら、僕には何もできない。エミリアも知ってるだろ? こういう場合は放っておくしかないんだ」
「じゃあ、マリサをあんな目に合せて良いっていうの?!」
エミリアが指さした先には、赤子のように寝息をたてるバルタザールと、干上がった魚の目をした
摩李沙は手を上げた。
「後遺症って、どれくらいで元に戻るんですか?」
「三日から一週間かな。もっと遅いこともあるらしいけど」
「そ、そんなぁ」
この数時間でもかなりの衝撃を受けているのに、まだまだ続くと知らされ泣きたくなる。
エミリアの声が一段と大きくなった。
「学校はどうするの?!」
「休ませるしかないよ。エミリアに冷淡な態度をとっているところを見せられるかい? ウチの威厳にもかかわるし、バルタザールの記憶が戻った時、彼が可哀想だし」
(そう言われればそうだ)
確かに、バルタザールはいずれ元の状態に戻るはずだ。
この面倒事は、やがて終わるはず。
そうやって己を奮い立たせないと、ぽっきり心が折れてしまいそうな摩李沙だった。
◆◆
翌日は雲ひとつなく空が晴れ渡り、日光浴
レアルデス家の中庭――以前アレンダとバルタザールが魔法を見せてくれた場所だ――にて、摩李沙は身の置きどころのなさを感じていた。
その隣には当然のように、バルタザールがいる。
二人は中庭に設置されたベンチに腰かけていた。さりげなく距離を取ろうとする摩李沙に対し、バルタザールは手を重ねてくる。
「わっ」
すかさず近寄られ、腰にも手を回された。おそるおそる見上げると、バルタザールはハチミツのような柔らかな笑みを浮かべていた。
こんな状況でなければ、彼の端正さにうっとりしてしまったかもしれない。
じっくりと顔を見たことがなかったが、水色の瞳は吸い込まれそうなほどに澄んでいて、頬も絹を一枚貼ったみたいにきめがいい。
数日前に見たアルシノエも、あどけなさは残るがかなりの美人であった。バルタザールは、母の魔力だけでなく容貌もしっかり受け継いでいるのだ。
「照れなくていいだろ、エミリア。本当に、俺には素直じゃないんだから」
そう言うと、摩李沙の頭にこつんと
昨日から百回近く感じたことを、また心の中で絶叫する。
(だから人違いだってば! バルタザール!)
整った顔立ちの少年が一方的に恋人のように接してきて、浮ついた気持ちを一切持たなかったといえば、嘘になる。
だがいつも、摩李沙をエミリアと勘違いしていることを突き付けられ、頭から冷水を浴びせられた気持ちになる。バルタザールと再会したのは昨日だというのに、この繰り返しに
ちなみに、自分はエミリアではなく人違いだと説明を試みたが、バルタザールが徐々に不機嫌になったためにアレンダに止められた。
摩李沙は、視線を周囲に巡らせる。
薔薇で出来た垣根の向こうに、アレンダの頭が見える。約束通り監視してくれているようだ。
安堵したのもつかの間、バルタザールが急に目を細めた。
「のぞき見するな、馬鹿者!」
言うや否や、片手を振って風の球を飛ばした。頭に命中したのかアレンダは「ぎゃっ」と悲鳴をあげ、倒れる。
しかしあの程度の攻撃では、アレンダならば避けるのは朝飯前だろうし、仮に命中したとしても屁の河童のはずだ。
ということは、面倒なことを避けるためにわざとやられたフリをしたのだ。
(アレンダさんの気持ちもわかるけど、ベタベタされる私の身にもなってほしいな)
「驚いたよね? せっかく二人きりになれたのに、あんな奴の邪魔が入ったらたまったものじゃない」
数日前の彼とは全く違う態度に、もしかしたらと勘繰ってしまう。
(アレンダさんに対してかなり不満があったのかな?)
心の奥底に抑え込んでいた感情が、この機会に噴出してしまったのかもしれない。ありえそうな仮定だが、口にしないでおこうと決めた。
だがひとつだけ、どうしても気になることがある。
「ねえ、バルタザール」
「何だい、エミリア?」
たずね返される声音すら甘い。たじろぎながらも、目を見てたずねた。
「エミリアのこと、やっぱり好きだったの?」
バルタザールは不思議そうに目を瞬かせる。
「エミリア、何を言ってるんだ、俺たちは」
そこで彼は言葉に詰まった。すべての記憶が突然漂白されたかのように、呼吸すら一瞬止まってしまう。
「バルタザール?」
伺うように名を呼ぶと、かすれた声が返ってきた。
「いや、ごめん、その……」
そして唐突に、バルタザールは両手でこめかみを押さえてうめいた。
記憶が戻ってくるときの、辛い痛みに違いない。摩李沙はそっと背に手をあてた。
「大丈夫だよ」
「エミリア……母さ、ん……」
たまらず、バルタザールの肩に手を回そうとした。
その時だ。
屋敷の上空で、巨大な風船が割れたような破裂音がした。顔をあげた摩李沙は、何かが屋根の上に落ちるのを視界にとらえた。
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