第42話 帰還

 エミリアは、テーブルのうえに頬を押し付け嘆いた。鮮やかな赤銅色の髪が広がる。


 そういえば、摩李沙まりさの髪はすでに黒色に戻っている。ということは瞳も元に戻ったのだろう。

 エミリアもこうして無事に見つかったし、バルタザールもやがてレアルデス家へ戻ってくる。


 摩李沙が元の世界へと帰れる時が近づいているのだ。嬉しいことなのに、急に寂しさが押し寄せた。


「ま、そんなことがあったから、あいつがどんなヘンテコ変わり方をしていても、私は受け止めるわ」

「エミリア様、その心意気は大事です。僭越せんえつながら応援させていただきます」


 ぱちぱち、と拍手するソフィー。

 しばし、屋敷には平穏な時間が流れた。

 アレンダがバルタザールを連れて戻ってくるまでは。








 摩李沙はアレンダとエミリアが招いた客、ということにいつの間にかなっていた。

 エミリアのフリをしている際は不自由だった屋敷での行動も、制限がなくなっている。


 日が傾きはじめた頃、摩李沙はエミリアと共に、レアルデス家の正門でバルタザールを出迎えたのだが。


 質素なつくりの馬車から最初に出てきたのは、魔法省の制服を着用したままのアレンダ。

 そして馬車の中の人物に手を差し伸べて――


「お兄ちゃん、何して……」


 エミリアの疑問がすべて飛び出す前に、アレンダに手を引かれてバルタザールが馬車から降りる。


 摩李沙は胸を撫で下ろした。

 彼本人にも身にまとっている服にも、傷はない。

 元々すらりとした体躯たいくだったが、心なしか背も伸びて堂々としている。


 記憶を失っているとはいえ、母から受け継いだ魔法を発動できたことが自信になったのかもしれない。摩李沙はそう解釈した。

 だが。


「ご苦労だった」


 下の者をねぎらう言葉。それはバルタザールの口から発せられた。


「はっ?!」

「えっ?!」


 エミリアと、次いで摩李沙が驚愕の声をあげる。アレンダは片手を胸に当て、浅く頭を下げた。


「ちょっとお兄ちゃん!」


 エミリアは兄の元へと進み、がっちり服をつかむ。


「エミリア、しわができるからやめておくれ。僕はまた、魔法省へ戻らなくちゃいけないんだ」


 その目には生気が宿ってない。バルタザールの相手をするのがよほど大変だったようだ。


「見ての通りだよ。今のバルタザールにとっては、僕たちよりも彼の方が身分が高いんだ」


 エミリアは、ゆっくりとバルタザールの方を向いた。動きの悪いマリオネットのように。


「ねえ冗談でしょ、バルタ……」

「俺の名を気安く呼ぶな。生意気にもほどがある」


 エミリアはあまりのことに言葉を失った。やりとりを見ていた摩李沙も思わず手で口を覆う。


(そんな。あんなにエミリアのこと心配してたのに)


 憔悴しょうすいまたは憮然ぶぜんとする兄妹の前で、バルタザールは堂々と立っていた。威厳のようなものすら感じられた。

 反応が返ってこないことに呆れたのか、彼は嫌味たっぷりにため息をつく。


「もう休む。食事の支度をしてくれ」


 ソフィーをはじめとした使用人たちもあっけにとられる中、少年は摩李沙が立ちつくす扉の前へとやってきた。


 無視するのかと思いきや摩李沙を目にとめ、じっと見つめてくる。悪いことをしたわけでもないのに、少し怖くなった。


 きつい物言いなら我慢するが、例えば暴力的な態度をとられたらどうすればいいのか。

 などと心配をしているうちに、バルタザールの手がすっと伸びてくる。


(な、殴られる?!)


 目を閉じて身を固くする。だが頬に感じたのは、殴打の衝撃ではなく温もりだった。


「……?」


 目を開けるとそこには、このうえなく優しく甘い目をしたバルタザールがいた。


「会いたかったよ。エミリア」


 彼は、摩李沙をすっぽりとつつむように抱きしめた。

 その場にいる全員の動きが止まった。

 熱い抱擁から逃げられないまま、摩李沙は叫ぶ。


「違う……違うよおーっ!」








 夜半すぎ。仕事を終え、食事も済んで気力を取り戻したらしいアレンダは、他人事のように言った。


「記憶喪失だけでなく、新たな記憶の構築と人格の豹変がおこるのかあ。まさかこんな代償のある魔法だったなんてなあ」

「お兄ちゃん、感心する前に何とかして!」


 エミリアから飛びでたげきに、摩李沙も頷いた。

 いや、頷いたつもりだったがうまくできなかった。


 なぜならバルタザールに頭ごと抱えられていて、おまけに彼は夢の世界へ旅立っているからだ。


 ここは摩李沙に与えられた客室だ。今いるのは、アレンダとエミリアの兄妹。そしてバルタザールに巻き込まれてベットに横たわる摩李沙の四人だ。


 バルタザールの現在の認識では、レアルデス家で最も偉い立場が彼になっているらしい。夕食の際、彼は絶対に着席したことのなかった上座にためらうことなく腰かけていた。

 エミリアの指示でソフィーや他の侍女たちはいつも通りに動いてくれたが、不可解な視線がいくつもバルタザールに刺さっていたのは言うまでもない。


 加えてなぜかエミリアには冷たく、摩李沙には甘い言葉と態度で接するのだ。

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