第39話 安寧の牢獄へ

 稀代きだいの到達者と呼ばれる魔女、アルシノエが残したモノ。

 イヤリングは石の魔力を高め、石はバルタザールの血筋と魔力に反応してさらに輝きを放つ。


 かろうじて起き上がったトアンは、口から流れる血を拭うことも忘れ、その光を呆けたように見ていた。

 バルタザールは、眉間にしわをよせ慎重に唱える。


『アルシノエの血を継ぐ者が願う。時の女神だけに許された奇跡の、そのかけらをここに落としたまえ。それは流れゆくもの。止められないもの。水と同じ。風と同じ。苦しみや悲しみを癒してはくれるが、喜びもとどめてくれない。いにしえの神々以外はそれに囚われ、死すべきさだめの者としてこの世を彷徨さまよう』


 光が強まった。見ていられないほどに。

 摩李沙まりさは両目の前に手をかざしたが、それでも薄目でいなければ耐えられなかった。


 魔法の発動で、風が渦巻く。空気の重みが増していく。両肩に何かがのしかかる感覚があるが、摩李沙は何とか立っていられた。


 魔力にあおられたのか、周囲の岩肌が青や紫の輝きをはなつ。それはバルタザールを中心に、波打つように光の円をいくつもつくっては上へと昇り消えていく。

 洞窟全体が青蘭そうらん光石こうせきと同じ神秘的な色彩の乱舞する中、バルタザールの後ろには濃く長い影が出来た。


 力が強ければ強いほど、その代償は大きい。そう言っているかのように。


『人外の領域にふれた、唯一の魔女たる息子が願う。呪われた血族の子孫に、安らぎを。女神の怒りをしばし解いて、安寧の牢獄へと導け』


 バルタザールの手元から、いくつもの小さな光が飛び出した。それは蒼、紫、白の三色で、蛍火のように淡く優しかった。


 上半身を起こしてはいるものの、もはや抵抗も戦闘もする気のないトアンに、その光の粒はまとわりついた。彼の姿を覆い、やがて光の人型が出来上がる。


 少年の額には、汗がいくつも浮かんでいた。心なしか息も荒くなっている。

 遠くから見ている摩李沙は、祈ることしか出来なかった。


(アルシノエ、あなたがバルタザールを気にかけていたのなら、今この瞬間こそ助けてあげて)


 彼の体力は容赦なく削られているようだ。

 少なくとも魔法学校においては、短時間で消耗した生徒を見た覚えがない。風の魔法を華麗に操っていたバルタザールだが、その時とは比べ物にならないほどに辛そうだ。


 人型の光はぴくりとも動かず、中でどんな変化が起きているのかもわからない。


 バルタザールがとうとう片膝をつき、摩李沙は「あっ」と声をあげる。

 直後、彼が何かを言った。

 聞き取れはしなかったが、おそらく「大丈夫だ」というような内容だろう。


 光の洪水の中、摩李沙が足元に目をやると、塊が崩れ去っているのがわかった。

 あの子をお願い――母の想いが、また耳元で繰り返される。


 両目をかばい、バルタザールの元へ向かう。警告音が頭の中で鳴り響く一方で、どうしてか大丈夫という気にもなっていた。

 強い魔力のせいか、息が苦しい。上から押さえつけられているような圧力も感じる。

 勾配こうばいのある道を進み何とかたどり着くと、バルタザールの背後から手を回し、彼の手首をしっかりと握った。


『マリサ?』


 名前の響きだけは理解することができた。摩李沙は嬉しくなる。


「私は魔法が使えないけど、こうやって支えるから!」


 喋ってる内容などわからないだろうに、頷いてくれた。

 前を向いた彼は、再び天へ向かって叫ぶ。


『女神の御業みわざを、ここに乞い願う。逆らって留まることこそ、この者の安寧。その力をここに分け与えたまえ!』


 よりいっそう、石とイヤリングから発する光が白く、強くなった。

 摩李沙は、自分が今どんな体勢でいるのか、バルタザールをちゃんと支えているのか、それすらもわからなくなった。




 ◆◆




『師匠? 師匠なのですか?』


 また誰かの記憶の中に入ったのだろうか、と摩李沙は思った。


 しかし離れたところに立つトアンは、魔法学校で働いているトアンの姿だ。

 彼が恐る恐る手を伸ばした先に、人影が立っている。


 トアンから背を向け、紺色のローブをまとった人物の周囲に光るのは、いくつかの青、紫、白の光――いや、石だった。


『師匠! 僕を叱るなら叱ってください! 命を取るならばお好きなようにしてください! 僕は、僕は……あの日誓ったことを、忘れてしまったのです』


 トアンの瞳から、涙がこぼれ落ちる。足元に落ちたそれは波紋を生じさせ、白い霧で満ちていたあたりは宵闇のごとく暗くなる。


『あなたを恨み、あなたの大事な息子を酷い目に合わせた。どうか罰してください。僕の唯一の師匠、アルシノエよ』


 ローブをまとった人物は、トアンに向きなおる。顔も体も、全てが隠れていて誰かもわからないのに、トアンは親を見つけた迷子のようにくしゃりと顔を歪めた。


 その人物が、トアンに向かって指をさす。そこから放たれた光が、過たずトアンの胸を貫いた。

 トアンは、安らいだ表情で天を見上げる。


『ご存じでしたか、師匠? 僕は、初めてお会いした時からあなたのことを、ずっと……』


 彼はどんな思いを抱えていたのか。

 最後に何を伝えたかったのか。

 イヤリングをつけていない摩李沙には、永遠に知るよしのない謎となってしまった。




  ◆◆




 耳元が騒がしい。

 茫漠とした意識の中にいる摩李沙には、ただの雑音にしか聞こえない。


『バルタザール! それからマリサ、あなたもしっかりして! お兄ちゃん、どうしてこんな時に治癒魔法が使えないわけ? この役立たず!』

『エミリア……僕がここにたどり着くまで、どれだけ無茶したか忘れてるよね?! 僕は確かにそんじょそこらの魔法使いより魔力はあるけど、無尽蔵むじんぞうなわけじゃないんだからね!』

『今顔色が悪くったって、そんなのちょっと休憩すればどうにかなるでしょ?!』

『兄遣いの荒い妹だねえ。っていうか、どうしてマリサちゃんの変異魔法が解除されたのかな……あ、マリサちゃん?! 気づいたのかい?』


 目を開けた摩李沙は、同時にエミリアに抱きかかえられ起こされた。兄妹から立て続けにあれこれまくしたてられたが、勿論内容はてんでわからない。


 摩李沙は体のだるさを感じながらも、自らの耳を指さした。気づいたアレンダが目を丸くする。


『イヤリングが無い? どこかに落ちてるのかな?』


 近くの地面を探し始めたアレンダの背の向こうに、視線を移す。

 まだ倒れたままのバルタザールの匂いを嗅ぐレグルス。離れたところに立つキールに、おそらくは魔法省の職員数名。


 そして彼らが囲んでいる、銅像のようなものに変化してしまったトアン。腰を下ろし、両手両足を地面につけて体を支えている彼の表情は、眠っているように穏やかだ。その足元には、アルシノエからもらったと言っていた青蘭そうらん光石こうせきが転がっていた。何故か、粉々になって。


『あれ、バルタザールがイヤリングを二つ持ってる? 何でだろ……ん? マリサちゃん、マリサちゃん!』


 今度は疲れがどっと押し寄せてきて、アレンダにがくがく揺さぶられる感覚を最後に、摩李沙は眠りの世界へと落ちていった。

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