六章 魔法の代償

第40話 目覚めたあと

 摩李沙まりさは祖母と共に、近所の道を歩いていた。


 空はすっかり夕焼けに染まり、胸を締めつけるような切ない美しさがあった。

 幼い姿の摩李沙は、祖母に手をつないでもらっている。

 そのことに違和感を覚えながら、前を向いたままつぶやく。


「おばあちゃん、私ね、もらったペンダントをある人に渡したの。これでよかったんだよね?」


 見上げた祖母は、目を細めて頷いてくれた。


「おばあちゃんの代わりに、本当の持ち主のところへ届けることが出来たの。いろいろ大変だったけど、これでよかったと思ってる」


 続けて摩李沙は尋ねた。


「ねえ、あれはどこで拾ったの? もしかしたらおばあちゃんは、アルシノエと会ったことがあるの?」


 祖母は答えず、年齢を重ねた手で摩李沙の頭を撫でようとしてくれたが――




  ◆◆




 急にぱっちり目が覚め、摩李沙は困惑しながら天井を見上げた。


 見慣れない装飾画が美しい。妖精や動物たちが楽しそうに踊り、所々に添えられた金の塗料がいろどりを与えている。窓から差し込む光は、まだ昼前であることを告げていた。


 起き上がった摩李沙は、とにかく頭の中を整理しようとつとめた。

 ここはおそらくレアルデス家の一室だろう。寝かせてもらっていたということは、そのうち誰かが様子を見に来てくれるかもしれない。


 トアンは銅像のようになったまま、魔法省につれていかれたのだろうか?

 バルタザールは無事だろうか? だいぶ消耗していたようだが、回復はしたのだろうか?

 アレンダやエミリアや、キールもどうしているのか……などと考えていたら、静かに扉が開いた。


「あっ! よかった、目覚めたのね!」


 エミリアは飛ぶように駆けてきて、何の遠慮もなく抱きついてくる。続いて部屋に入ってきたソフィーが苦笑していた。


 摩李沙は己の耳に触れてみた。例のイヤリングが存在を主張するように揺れて、身体から力が抜けそうになる。

 やがて部屋には、芳醇な紅茶の香りが漂った。


「マリサさんが驚いておられますよ。そのへんになさってはいかがですか?」

「そうね。でもマリサには、謝っても謝り足りないくらいよ。お兄ちゃんに付きあわされて、私のフリして魔法学校に行ってたんだから」


 身体を離し、また「ごめんね」と謝るエミリアを見ながら思う。彼女は確かに口は悪いかもしれないが、情に厚く身近な人を大切に出来る人なのだろうな、と。

 だからこそバルタザールも、大変なことがありながらも彼女の付き人を続けているのだろう。


「アレンダさんとバルタザールは? 怪我が治ってないの?」


 エミリアは視線を外し、言葉を濁した。


「それがね、ちょっと面倒なことになっているみたいでさ」

「エミリア様、お紅茶のお菓子が一人分しかありませんので、とって参りますね」


 ソフィーが部屋を出ていってしばらくのち。椅子に腰かけたエミリアは静かに話し出す。


「まず、トアン先生は魔法省に拘束されてるわ。〈嫌われた血族〉の未申告と私の誘拐と、バルタザールへの暴力の件でね。といっても本人は像になったままだし、意識はあるのか、こっちの喋っていることが聞こえているのかどうかもわからない。ひとまずは地下深くに置かれてるんだって」

「そう……」


 血にまみれ憎悪をむき出しにし、自暴自棄になった哀しい人の姿が脳裏をよぎる。

 せめて今は、安らぎの中にいればいいのだが。


「それとバルタザールなんだけど。魔法省から出てこれる算段はついたみたいなんだけどね。お兄ちゃんに何度聞いても、様子を詳しく教えてくれないのよ」

「どういうこと?」


 エミリアは紅茶をひとくち飲み、床をじっと見つめた。


「……トアン先生が像になってしまったのは、やっぱりバルタザールが時間魔法を使ったから、なのよね?」


 ソフィーが再び現れる気配はない。彼女は、とても優秀な侍女なのだろう。

 摩李沙は小さくうなずいた。


「そうなんだと思う。私は魔法が使えないから、詳しくはわからないけど」


 摩李沙も椅子に座り、紅茶をいただくことにした。心地よい温かさが喉を通る。疲れた心を少しでもなだめてくれそうだ。


「当然だけど魔法省は、トアン先生がどうしてあの有様になったのかわからないのよね。バルタザールが時間魔法の使い手だと知っているのは、私とお父様とお兄ちゃん、トアン先生と、そしてマリサだけだもの」


 摩李沙はひっかかるものがあった。


「アダリリィ先生はトアン先生の仲間だったんだよね?」

「それなんだけど、アダリリィ先生には重要なことを話してなかったみたい。彼女は生徒を生贄いけにえに時間魔法を試してみる、って嘘の説明をされてたみたいなの。とりあえず魔法省の人たちは、よってたかってトアン先生の石化を解く魔法をかけたんだけど、当然元には戻らない。そこでバルタザールが調査の対象になっちゃったの」


 摩李沙はごくん、と紅茶を嚥下えんげした。

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