第32話 時間魔法とペンダントの秘密



 ◆◆



 トアンの喉からは、低い哄笑こうしょうが絶えなかった。追い詰められていたはずの彼は、勝ったのだ。


 時を止める魔法によって、トアンとバルタザール以外の全員はこの空間では全く動けなくなっている。

 路傍ろぼうの石も同然だ。いくら魔力が強大でも時間停止によって動きを阻んでしまえば、トアンの邪魔にはならない。


 悠々と、バルタザールへと歩み寄る。

 抗う意思だけは捨てない少年へ、出来うる限りの親しげな笑顔を見せた。


「お待たせしました。さあ行きましょう。私の悲願を叶えるために」

「ふざけるな! お前なんかに従うか!」


 怪我だらけなのに闘志を燃やす少年を、トアンは蹴った。バルタザールはまりのようにはね、身体を丸めてうめく。


「……?」


 ふとトアンは違和感を覚えて辺りを見回したが、何もおかしなところはない。アルシノエの残した魔法は偉大だ。ただそれを確認するだけとなった。


「争うのは止めましょう。君は敬愛する師匠の、たった一人の愛しい子供なのです。私は師匠を失い、君は母を失った。大切な者に二度と会えなくなった痛みは同じではないですか?」

「お前は母さんを憎んでいるんだろう? どこが同じだ!」

「ああ、そうでした。私はアルシノエが憎い。ええ、その通り」


 トアンはまたバルタザールのあごをつかみ、強引に引き寄せた。


 少年の目は澄んだ水色だ。母親と同じものを継いでいる証。

 身をさいなむほどの郷愁きょうしゅうにひたりそうになるのをこらえ、トアンはねっとりと言う。


「先ほどからすいませんでした、バルタザール君。今さらではありますが、仲良くしませんか?」


 バルタザールは歯ぎしりし、ただただトアンをにらんだ。


(時を止めた空間では、誰の助けも呼べない。怪我なんかしている場合じゃないのに。どうすればいいんだ)


 そう、この空間で動けるのは自分たち二人だけ。

 このボロボロの身体ひとつで、トアンに立ち向かわなければならない。

 ――はずだったのだが。








(えっと、どうしよう)


 摩李沙まりさはトアンとバルタザールの会話を聞きながら、ひたすら無い知恵を絞りだそうとしていた。


 時間魔法によってトアンとバルタザール以外は皆、動きを止めている。

 摩李沙のすぐ近くにいるエミリアも、汗がまだ残っているアレンダも、何かの魔法を発動しかけていたキールも、再びオオカミの姿になったレグルスも、皆石に化けたかのように動かない。


 そんな中で摩李沙ははっきり意識があり、五感も働き、試してはないが身体も動かせそうだ。

 それでいて首から下げたペンダントは、これまでにないほどの熱さを帯びている。


(これってもう、確定したようなものだよね。この石は、アルシノエと関係があるんだ)


 異世界の魔女の魔法具がなぜ祖母の手に渡ったのか、それはわからない。

 だが今の摩李沙がするべきことはそれを推理することではなく、バルタザールの窮地を救うことだ。


 魔力のない自分には、出来ることはないかもしれない。

 しかし時を止める魔法も、無限に続くはずはない。発動した力はいつかおさまるはず。

 それを信じて、時間稼ぎをするしかない。


 後ろで風が起こった。おそらくはトアンが魔法を発動させたのだ。


「やめろ、離せ!」


 摩李沙は耐え切れず振り向いた。手首をつかまれたバルタザールは、トアンの手を懸命にはがそうとしているが、力が入らずうまくいかないようだ。


「ここは落ち着きませんから、移動しましょう。時間もありませんし」


 二人の足元に、魔方陣が展開する。どこかへ転移するつもりなのか。


(時間がないなら、今しかない!)


 魔方陣が黄金に輝く。バルタザールは悔しさをにじませ、目を閉じた。


「そうはさせないから!」


 摩李沙の声は良く響いた。自分でも驚くくらいに。

 そのままトアンに体当たりし、彼の片手にあった蒼蘭そうらん光石こうせきを奪い取る。

 相手が油断していたので、造作もないことだった。


「は?! なぜあなたが」


 トアンの意識がこちらにそれた。その隙にバルタザールは、魔方陣の外へ這いつくばって逃げる。視界の端で確認した摩李沙はさらに注意を引きつけるべく、後ずさりながら蒼蘭そうらん光石こうせきを頭上に掲げた。


 石同士の魔力が反応しあったのだろうか。ペンダントが服の上からでもわかるほどに、まばゆい白い光を放つ。


 トアンは目を細めた。摩李沙の背筋が凍る。


「なるほど。あなたがレアルデス家に雇われた理由がわかりましたよ」


 そして止まった時は融解した。

 すぐ声をあげたのは、エミリアだ。


「マリサ、逃げて!」


 トアンは摩李沙にずかずかと歩み寄り、腕を胴体に絡ませた。

 すかさず片方の手で、摩李沙の首元に何かを当てる。目視出来ないが刃物の類のようだ。


 魔法を発動しようと構えていた、エミリアやアレンダの動きが止まった。

 トアンの足元に、先ほどと同じ魔方陣が現れる。


「この偽物も大変興味深い。ちょっと連れていきます」


 まずい、と摩李沙が思った時には。

 めまいがし、重力が失せる。

 底の無い穴に永遠にまれる感覚がした。


「やめろお! マリサぁーっ!」


 バルタザールの尾を引く絶叫が耳に残り。

 あとはただ、闇だけが視界を覆った。

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