第31話 最後の手段
妹に情けない態度をとっていた人物とは思えない落ち着きっぷりだ。
眼鏡のフレームをなぞった指先から真っ赤な竜が吹き出す。
灰と紅蓮の魔力が、薄暗い空間のなかで何度もぶつかった。大蛇と竜は互いに口を開けて吠え、隙あらば相手を噛みちぎろうとする。
空間は今にも破裂しそうなほど張りつめ、風があらゆる方向から人間たちを叩いた。魔力のない摩李沙ですら、背中の奥が震えるほどの戦いだった。
幾度もの激しいぶつかり合いのあと、大蛇の中腹に食らいついた竜がそのまま首を乱暴にふった。大蛇の体は真っ二つに割れ、しぼむように消えていく。
トアンが膝をついた。呼吸は荒く、ぜいぜいと息をしながらアレンダを
「勝負あったようですね、先生?」
「お兄ちゃんがここまでてこずるなんて、あんまりないよね」
エミリアがバルタザールに耳打ちすると、彼はこくりと頷いた。
「余裕を無くしかけていたよな。こんなアレンダさん、初めてだ」
悠々とあるじの元へ戻ってきた竜は、一度身を震わすと忽然と消えた。
アレンダは前を向いたまま言う。
「キールさん以外忘れているのかもしれないけど。僕はここに来るまで、あの先生の仲間を丁寧に一人ずつ潰して来たんだよ? そりゃあ疲れるに決まってるでしょ!」
絶叫とともにアレンダは振り向き、エミリアとバルタザールは肩を縮めた。
「聞こえてたみたいだね」
摩李沙の指摘に、エミリアは頭をかく。
「ただ、それを差し引いてもトアン先生は強いと思うわ。〈嫌われた血族〉で常人より長く生きているからこそ、魔力がその分蓄えられているのかもしれない。教師でいる間は、この強さを隠してたのね」
彼女の予想が正しいならば、かなり面倒な相手ということになってしまう。
キールが、小犬の姿に戻ったレグルスを撫でながら問う。
「トアン先生、あなたの手下に〈血族〉はいるんですか?」
「いいえ。知っている同族たちは魔法省に飼いならされていますから」
キールは慎重にトアンへと歩み寄る。トアンは片膝をついたまま、その場から動かない。大蛇を食い破られた負荷が、そうとうきついようだ。
「飼いならされている、ですか。あなたから見ればそう思うのも、無理はないのかもしれない。僕に対しても同じ感想ですか?」
「ええ、怒りも誇りも失った、憐れな奴ですよ」
ごほ、と咳き込んだトアンの口の
「失敬、口の中が切れていましてね」
「トアン先生、今ならまだ間に合います。罰は軽くて済むでしょう。どうかこちらに従ってください」
キールはおもむろに、握りしめていた片手を開いた。そこにあるものを見て、トアンが慌てて自らの
それはエミリアの魔法具である、三つの金の指輪だった。
「いつの間に?」
「レグルスがあなたから、取り返してくれたんですよ」
キールは後ろを振り返って、それを放った。宙を舞う金の指輪は、惹かれるようにエミリアの手に収まる。
「ああ、よかった」
エミリアは、さっそく指輪を指にはめた。しばらくして、はめられていた腕輪があっけなく腐敗し崩れてゆく。
キールは再びトアンに向きなおった。
「こちらに魔法使いが何人いるかわかりますよね? あなたの仲間は他にいるかもしれませんが、すぐには駆けつけてこれないでしょう」
トアンは喉を鳴らす。
「さっきから一体何なんです? 私をこらしめて捕えるのが、あなたのするべきことでしょうに。同情でもしてくれてるんですか?」
言いながらトアンは袖の奥に手を入れ、何かを取り出した。
その手にあったのは青い石だ。
意味ありげに
「それは、
「不思議ですか? なぜこれを取り出したのか」
摩李沙の隣で、バルタザールが徐々に目を見開いていった。
「だめ、だ……」
焦って這いつくばる少年を、エミリアがなだめる。
「どうしたの?」
「あの石は危ない。取り上げないと」
「何で?
エミリアはすぐ察したようだ。
「そのまさかだよ。あれは間違いなく魔法具だ」
「トアン先生、何を!」
トアンは目を歓喜で見開いた。
「かつて師匠が、愛弟子のために作ってくれたんですよ! 時を操れる魔法具の見本をね!」
石を掲げ、勝利を確信した詠唱が響く。
「時の女神よ、しばしの休息を求めん!」
摩李沙のペンダントも、応えるように熱を持った。
――そして、目に映るすべてのものが強制的に時を止めた。
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