第28話 息子と弟子

 しばしの間が空き、エミリアと摩李沙まりさは同時に叫ぶ。


「えっ? 嘘でしょ?!」

「じゃあこの人も、タイムスリ……未来に来ちゃったの?」


 少女たちの反応を冷ややかに受け止め、トアンは立ち上がる。結んでいたままの髪をほどくと、教え子にするかのような優しい笑みをバルタザールに向けた。


「アルシノエが愛用していた蒼蘭そうらん光石こうせきは、私の研究対象でしょう? ですからもっと早く気づいてもよかったと思うのですが」


 重ねて言おうとしたバルタザールは突然、何の前触れもなく突っ伏し苦しみだした。


「バルタザール!」


 駆け寄ろうとした摩李沙だが、首から下げたペンダントが震え、すんでのところで魔方陣から出ずに済んだ。

 服の上から石に手を添えた摩李沙は、息をんだ。熱をはらみ、細かく震えているのだ。


(どうしてこうなってるの? 私は何をすればいいの?)


 片膝をついたトアンは眉ひとつ動かさず、うめくバルタザールの後頭部に指を添えた。


「息子は、母には及ばない。これが代償なのですね」

「ちょっと、どういうことか説明しなさいよ!」


 摩李沙の隣に立ったエミリアに、トアンはゆっくりと視線を移した。

 バルタザールは苦しげにうめいたままで、首筋には大きな玉の汗がいくつも浮かんでいる。


「あなたがバルタザールを拾う前、彼は私の元にいたのです」

「……え?」

僥倖ぎょうこうというべきものでした。三百年前に突如いなくなった子供が、そっくりそのままの姿で現れてくれましたから。私は彼を庇護すると約束しました。しかしバルタザールは私とその仲間たちを恐れ、逃げ出したのです。その時、彼は時間停止の魔法を何度も発動させたのでしょう。でないと、たかだが五歳程度の魔法使いが、大勢の大人から逃げられるわけがありません」


 エミリアは首を振った。


「そんな話、聞いたことない。だってバルタザールは、見つけた時から記憶を失っていたもの」


 エミリアは自らの言葉に瞠目どうもくする。トアンは、正解を言った生徒をほめるかのようにうなずいた。


「そう、彼の時間魔法の代償は、記憶を失うこと。これはアルシノエにはなかった特徴なので、彼独自のものでしょう。だからこそ、学校で私の顔を見ても特に反応を示さなかった。そうですね?」


 痛みが去ったのか、バルタザールは荒い呼吸が収まらないまま、ようやっと身体を起こした。


「だけど一度記憶を失っても、そのままでいるわけではない。これといった規則性もなく、突然よみがえってくる。そしてその際に相応の激しい頭痛を伴う、と。他人事ながら気の毒に思います」

「あんたほどじゃないよ、先生」


 トアンは、ぴくりと片方の眉を上げた。


「口の利き方がなっていませんね。エミリアさんと似ている。君のお母様は、お上品なところがありましたが」

「俺のことを、勝手にぺらぺらしゃべってくれたけど、こっちもいろいろと思い出したよ」


 バルタザールは、静かに問うた。


「先生は〈嫌われた血族〉なんだな? だからこそ、母さんの弟子になったんだ」


 トアンは硬い表情のまま、バルタザールを見ていた。

 どこか遠くから、誰かが駆けてくる音がした。








「遅かったですね、キール先生」


 トアンは振り返らずに言う。暗闇から、レグルスにまたがったキールが姿を現した。


「あなたについて、少々調べさせていただきました。ついでにお知らせすると、アダリリィ先生はこちらへは来ませんよ。今頃魔法省へ連行されているはずです」


 トアンは動揺も見せずに笑う。


「どうして、彼女が私とつながっているとわかったんですか?」

「俗な話で申し訳ないですが、あなたとアダリリィ先生が校内で抱擁ほうようしあっているという情報が、数ヶ月前に寄せられたんですよ。以来僕が監視していたんですが、途中で、怪しい秘密結社めいたものを作っていることがわかっちゃいましてね。もうちょっと証拠をそろえようとしていたら、こんな騒ぎが起きてしまった。あなたがたが具体的に何をしでかしたのかは、あとでゆっくり調べさせてもらいます」


 着地したキールは、レグルスを従えてこちらにやってくる。


「残念でしたか? 仲間からの救援がなくて」


 トアンは鼻白はなじろんだ。


「彼女に限らず、私は彼らにとって崇める対象らしいので、仲間というより下僕という表現が合ってますが」


 油断なくトアンを見ていたキールだが、突然目を丸くした。


「あれ、エミリアさんが二人? あ、左が本物なんだね」


 キールはレグルスから教えてもらったらしい。レグルスは、鼻を鳴らして肯定した。


「え? 先生わかるんですか?」


 エミリアが問うとキールは一瞬言葉につまり、盛大に視線をずらした。


「ほら、その。レグルスは一度、右のエミリアさんの胸を嗅いだよね? ま、そういうことなんだって」


 摩李沙の頬は、徐々に熱くなっていった。すかざすエミリアが、摩李沙の手を取って力説する。


「落ち込まないで。大きさは私と同じくらいよ。普通よ、小さくないわ」

「そういうことじゃない!」


 バルタザールは戦々恐々と、トアンは憐れむような視線で、二人の少女を見ている。摩李沙は叫んだ。

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