第27話 かつて彼女が知った真実

 興味深そうに目を細めるトアンを無視し、エミリアはただバルタザールをなだめるように話を続ける。


「五年前、あなたが風邪をひいた時に高熱が続いて、治癒魔法を使ってもなかなか治らなかったのを覚えてる?」


 バルタザールはゆっくりでうなずいた。

 エミリアは自らの両手を広げ、そこに視線を落とす。


「うなされて辛そうだったあなたを、助けたかったの。夢幻魔法を使えばきっと悪夢を止められる。そう思って気軽にのぞいてしまった――あなたの過去を」


 バルタザールが、ごくりと唾をのんだ。

 どうしてか、トアンが一歩踏み出して低く問う。


「何を見たのですか?」

「青い髪に、青い瞳の若い女性。伝えられている稀代きだいの到達者と、同じ見た目をしていたわ。その人にはバルタザールそっくりの、幼い息子がいた。そして周囲にいた弟子らしき男性たちが、彼女をアルシノエと呼んでいた」


 エミリアは、ひどく疲れているように見えた。けれどもう一度背を伸ばす。


「禁忌に触れた気がして、私は怖くなった。このことは、お父様とお兄ちゃんにしか言っていないわ。三人で何度も相談して、このことは追及しないと決めたのよ。あなたが話してくれるまで、絶対にこちらからは質問しないって」

「どうして、なんだ?」


 エミリアは、トアンを刺すかのごとくにらみつけた。


「決まってるわ。あなたを守りたかったの。アルシノエの血を引く可能性があるなんて知られてしまったら、あなたの身が危うくなる」

(え、そうなの?)


 深刻な場面なのは間違いないのに、魔法の知識が無い摩李沙まりさには、エミリアの話がいまいち理解しがたい。


「あのー、時間を飛び越えるって、そんなにすごいことなの?」


 遠慮がちに手を挙げ、誰にともなくたずねた摩李沙だが、何故かトアンが嘆息した。


「これが替え玉とはね。エミリアさんにそっくりなこと以外、何と質の低い少女を連れてきたことか」

(ひどすぎ! 私はそもそも、この世界の住人じゃないんだから!)


 内心では食ってかかるが、現実の摩李沙は何とかこらえた。


「時間を操る魔法はアルシノエが――母さんだけが使えたんだ。その前もその後も、誰もその境地にたどりついた者はいない」


 バルタザールは視線を落としたまま続ける。


「例えば、自らの肉体年齢を止めるとか、任意の物体の劣化や第三者の老化を止めるとか、そういうことが出来る魔法使いなら、既に何人かいたんだ」


 その魔法もけっこう難しいけどね、とエミリアが小声でつぶやく。


「けれどそういった魔法は、代償が大きいんだ。魔法は使えば使うほどに、反動が出ることがある。勿論、そんな目には合わずに一生を終える魔法使いも多い。けど」

「どうしてだか、加齢や劣化に抗ったり、時間を操ろうとする魔法に関しては、不幸になる魔法使いのほうが圧倒的に多いのよね。これが女神の怒りだなんて表現されて、今日までずっと続いてるの。急に命を落としたり、廃人のようになってしまった魔法使いは数知れず、よ。そこまでひどいことがおきなくても、何らかの痛い目にあった人はたくさんいるし、その子孫も辛い思いをしてきたの」


 エミリアの説明に、バルタザールはうなずいた。


「母さんは唯一、反動を受けなかった魔法使いだ。だからこそ若いのに弟子がたくさんいたし、山にこもっていても訪ねてくる人はたくさんいたよ。けど……」

「けど?」


 摩李沙は反射的に続きをうながしたが、すぐに後悔する。


「母さん本人の身には何も起こらなかったけど。その代わりに幼い息子と、永久に離れてしまったんだ」

(あ……)


 黙り込むしかなかった。


 今バルタザールは、『永久に離れてしまった』と言い切った。

 つまりタイムスリップしてきた彼は、もう二度と家族の元には帰れない残酷な現実を、嫌というほどわかっているのだ。


 トアンが不満げに眉根を寄せる。


「君はあの魔女の息子でしょう。出来ぬ技ではないはずでは?」

「俺は、そこまで母さんから教わっていない! そもそもこの時代に来たのだって、間違いが起こってこうなってしまったんだ。だから時を渡るすべは、もう母さん一人しか知らない。いくら俺を痛めつけたって、あんたが望むことは何も起こりはしない!」


 トアンはバルタザールの後頭部をわしづかみ、ぎらついた目を近づけた。


「いいえ。君は自らの良心に従って、魔力を解放しないようにしているだけです。君ならば出来るはずだ。過去に戻り、歴史を変えることすらも。少なくともアルシノエにはその力があった! なのに彼女もくだらない良心にしばられ、せっかくの力を使ってくれもしなかったんだ!」

(彼女?)


 摩李沙は引っかかるものを感じたが、その正体にたどり着く前にバルタザールが愕然とつぶやいた。


「まさか。トアン先生、あんたは」


 先ほどまでの激高はどこへやら、トアンは波ひとつない水面のように表情を鎮め、バルタザールから離れた。


「今頃気づいたのですか? 遅すぎですよ?」


 沈黙する二人に耐えかね、エミリアが声をあげる。


「どうしたのバルタザール? こいつがどうかした?」


 言葉遣いの悪さにまたまた驚いた摩李沙だったが、次の瞬間もっと大きな驚愕に包まれた。


「この人は母さんの――アルシノエの弟子のひとりだった」

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