第26話 時を越えて
「ええ、誰かがうっかり近づいたら、あの偽物に影がないことがすぐにわかってしまいますから。今頃学校の誰かが勘付いている可能性はありますが、そんなことはどうでもいい。教師はあくまで、仮の姿に過ぎません」
「あの幻影には、その場の全員が騙されていた。一人の魔力だけで作り上げるには無理がある。お前だけじゃないんだろ? 他にも協力者がどこかに潜伏してるんじゃないのか?!」
叫ぶバルタザールを後ろから抱え、トアンはささやいた。
「ほら、こちらには二人も人質がいます。エミリアと、替え玉にさせられた少女が」
そう言いながら、エミリアと
動揺をすぐに見抜いたトアンが、満足げに目を細める。手入れされた灰色の長髪が、さらりと揺れた。
「あの二人を安全に元の場所へ戻したいのなら、君のとれる選択肢はひとつですよ?」
「二人には何もするな! 今すぐに解放しろ!」
暴れようとするバルタザールだったが、急に動きを止めてうめく。トアンの指が、首に食い込んでいるのだ。
「っ……」
「どうしてそうも、反抗的なんですかねえ」
「あんた、いい加減にしなさいよ!」
たまらず立ち上がったエミリアだったが、トアンが放った黒い何かが直撃し、後ろへ飛んだ。透明な壁に激突し、力なく地面に横たわる。
「エミリア!」
叫んだ摩李沙へ、エミリアは先ほどと同じように笑ってみせた。
「大丈夫よ。さすがに
すぐに起き上がれず顔をゆがめているということが、彼女が追ったダメージを物語っていた。
摩李沙は振り返った。バルタザールが、これ以上ないほどの憎しみあふれる形相になっている。
「ここまでする必要があるのか?! 俺だけが目的のはずだろ!」
「私たちから逃げた代償です。そして君が、君だけに備わっている力を、解放しようとしない苛立ちも入ってますね」
トアンの指は、今度はバルタザールの首から頬に移った。
「その極上の秘密を、どうして大々的に公表しないのですか? 偉大なる魔法使いの血が流れているというのは、本当は誇るべきことですよ?」
「やめ、ろ」
突然弱々しくつぶやくバルタザールを無視して、トアンは立ち上がる。
「そこの二人に教えてあげましょう。彼が一体、何者なのか」
「やめろっ! やめてくれ!」
懇願するように叫んだバルタザールを蹴り、トアンは両手を広げ、まるで我がことを誇るように胸を張った。
「彼は、たった一代で失われた魔法を受け継ぐ者だ。誰もが挑戦し誰もがたどり着けなかった、時間へ干渉するすべを編み出した魔女――
しばしの沈黙が、薄闇のなかに降りた。
トアンは告げた真実に
エミリアは横たわったまま、暗い天井をじっと見上げていて。
摩李沙は一人、頭の中に巨大な疑問符を浮かべていた。
(アルシノエの息子? アルシノエって八大賢人の唯一の女性で、生きていたとされるのは今から約三百年前で……あれ、んん?)
バルタザールは、見た目は十代だが実は三百歳を超えている……いや、それはあり得ないだろう。
(だって幼い頃、行き倒れかけていたらエミリアに拾われたって言ってたよね。ということは他の人と同じように成長しているのは確実で。え、どういうこと?)
あれこれと考えた末、ひとつの結論に達した。
「まさか、未来へタイムスリップしてきたってこと?」
トアンは無言で摩李沙を見下ろしていた。その不可解そうな視線から、地球のSF用語だと通じないのだと悟る。
「時間の流れを無視して、今私たちがいるところに……バルタザールにとっては未来に来たってこと?」
「そうです」
即答したトアンの声ははずんでいる。摩李沙は頭を抱えた。
(こんなのって有りなの? 私は異世界トリップをして、バルタザールは過去からタイムスリップしてきたなんて!)
疑問符は消えたが、混乱で頭が回らない。
静かなエミリアの声が、背中越しにかかる。
「バルタザール、怖がらないで。私はあなたが何者であろうとも、拒絶したりしないから」
ハッと気づいた摩李沙は、バルタザールを見やった。彼は今にも、泣きそうな顔をしている。
ゆっくりと上半身を起こしたエミリアは、乱れた髪をかきあげた。
「できれば、あなたから直接聞きたかったわ。あなたが怯え続け、隠したがっていた秘密を」
「エミリ、ア?」
迷子のような少年の瞳を、エミリアはしっかりと見つめ返した。
トアンはどこか不服そうに、首をかしげる。
「その反応からすると、やはり彼の秘密に気づいていたのですか?」
「そんなんじゃないわよ。けど、その可能性があるかもって予想していたことのひとつだったわ」
「ほう?」
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