第6話 替え玉になるために

 アレンダの肩から力がぬけた。先ほどまでの造りこんださわやかさは消え、どこか後ろめたそうに笑う。


「ありがとう。見ず知らずの僕たちのために。恩に着るよ……しまった、もう食事が冷めてるじゃないか」

「俺がもう一度準備してきます」


 摩李沙まりさはトレーを引き寄せた。


「いいよ。もったいないからこのまま食べる」


 スプーンとお椀を持ち上げる。たくさんの野菜が柔らかく煮込まれている黄金色のスープは、もうぬるくなってしまっていた。

 ひと匙すくって、口に運ぶ。塩気があって美味しい。


 そういえば、異世界に来てから初めて何かを食べた。

 今日のように、不運なことや危ないことがまた襲ってくるのかもしれない。

 それでも摩李沙は元の世界に戻るため、自分に出来ることをしようと思ったのだった。



 ◆◆



 翌日から丸二日間、摩李沙をエミリアの替え玉に仕立てるべく、超特急で詰め込み教育が行われた。


 屋敷では、摩李沙の存在は秘密になっているようだ。知っているのはアレンダとバルタザールと、ソフィーという侍女の三人だけ。エミリアの不在に関して、他の使用人や侍女達には、父親に呼ばれて出かけていったと説明しているらしい。


 レアルデス家の現当主はアレンダの父親だが、国から与えられた仕事の都合で長いこと出張中だそうだ。アレンダとしては、父を煩わせることなくこの件を解決したいとの思いがあった。


 鏡の前でソフィーに髪を梳いてもらいながら、摩李沙は間の抜けた顔をしていた。


「すごい。これ私?」


 黒い髪、黒い瞳だった摩李沙はそこにいない。アレンダのかけた変異魔法により、赤みの強い茶髪、明るいはしばみ色の瞳の少女となっていた。


「これで口が悪ければ、あなたは立派にエミリア様になれますよ」


 ソフィーが可笑しそうに言う。摩李沙は先ほど、変異した自分の姿を見たバルタザールがどこか動揺しているのを思い出した。

 恐る恐る口を開く。


「エミリアって子は、バルタザールと仲が悪いんですか?」

「そんなことはないですよ。エミリア様が一方的に我儘わがままおっしゃって、バルタザールさんをいろんなことに巻き込んでるだけです」

「さっき、エミリアが口が悪いって」

「ええ、エミリア様は幼い頃より活発な方でして、男の子を泣かせるくらいの、とんでもないおてんばと言って差し支えない方だったんです。それでいて口喧嘩も得意なんですよ」

「へ、へえー」


 アレンダも「妹は一言で言うと、傲岸不遜ごうがんふそんで元気な子だよ」と、とんでもない表現をしていた。


 話を聞いているだけでも、摩李沙とはかなり性格の違う少女なのだということがわかる。そんな彼女の替え玉に、果たして自分がなれるだろうか。しかも異世界人で、魔法も使えないというのに。


 身支度を終えた後、アレンダとバルタザールからおさらいの講義を受ける。魔法使いたちの歴史、王国の歴史、レアルデス家に関すること等々。


 バルタザールは主に、エミリア達が通う魔法学校について話してくれた。


「リクスイユ魔法学校は、ここから歩いてニ十分くらいのところにある。王家に魔力を持つ人物が生まれた場合は必ずこの学校に通うから、国内で最も権威があるんだ。学校は十三歳から入学可能で、俺達は今第五学年だから、エミリアは君よりも一歳年上ってことになるね」


 日本から持ってきたノートに書きつける。何となく、右の耳たぶに手が行った。水色の、しずく型の半透明の石でできたイヤリングが揺れる。イヤリングはまだ、アレンダのかけた魔法の名残で青白く光っていた。


 摩李沙は当初から、このイヤリングは男性よりも女性向けのデザインだと感じていた。バルタザールがなぜこれをつけているのかは知らないが、とり立てて聞くことでもないと思っていた。


「王族と貴族階級の魔法使いの他に、平民階級の魔法使いも通ってる。ごくまれに、魔法使いの家系じゃないのに魔力を有する子もいたりするけどね。いろんな身分の人がいるから、面白いけどちょっと面倒な学校だなって、個人的には思ってるよ」


 摩李沙は視線を上げた。アレンダは声を押さえて笑っている。


「やっぱり君は、あの学び舎があまり好きじゃないんだね」

「俺を見下してくる連中が、どうしてもいますから。でも何かあればひねりつぶせるくらいの自信はあります」

「おお、言うねえー」

「あの、あなたって、レアルデス家の人間じゃないの?」


 そういえば、ソフィーはアレンダやエミリアに対しては敬称をつけているのに、バルタザールは「さん」付けで呼んでいた。


「言ってなかったな。俺、もとは孤児なんだ」


 天気の話でもするかのように告げられ、摩李沙は一瞬聞き流しそうになった。


「幼い頃にこの辺をさまよっていたら、エミリアに拾われたんだ。それ以来、ここで世話になってる」


 それ以前の記憶は曖昧なのだという。覚えているのは名前だけで、なぜか子供がするには大ぶりのイヤリングをつけていたそうだ。未だに、家族や出身地に関することはわからないらしい。


「ごめんなさい」


 頭を下げると、バルタザールは意外そうに目を丸くした。

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