第4話 いきなり異世界だなんて

(異世界……ああ、そうなんだ)


 摩李沙まりさは背もたれに、糸が切れたようにもたれかかった。話の途中から何となく予感はあったのだ。


 しかしまさか、物語でよく聞く異世界トリップが自分の身におこるなんて、誰が想像できるだろう。


 まだ状況を飲み込めてなさそうなバルタザールが尋ねてくる。


「よかったら、君の持ち物を見せてくれないか?」


 摩李沙はまずスマートフォンを渡した。しかし電池切れなのか故障したのか、一向に起動する様子がない。

 次に通学鞄から、ノートやら教科書やらを取り出した。断りを入れて、バルタザールは生物の資料集をパラパラめくる。アレンダが後ろからのぞき込んでいた。


「これ、絵ですか? あまりにも精巧すぎます。まるで本物だ」


 アレンダへ興奮気味に指し示す。その話しぶりから、この世界には写真の技術がないのだとわかる。


「僕たちが使っている文字とも全然違うね。マリサちゃん、君が異世界からやってきたということを、これで確信できたよ」


 アレンダの目が、徹夜明けのように輝いている。異世界の人間と会えて嬉しいのだろうか。けれどそれ以上に、強い疲労を感じているようにも見えた。


「その、私が異世界に来ちゃったのは、よーくわかりました。それで、元いた場所へは戻れるんですか?」


 ここが一番重要なところだ。ここには観光や冒険をしにきたわけではない。摩李沙にはささやかで大事な日常が、あちらにあるのだから。

 腕を組んだアレンダは、患者に病状をどう説明するか考えあぐねる医者のようだ。


「残酷なことを言うけど、今すぐは無理だね」


 さらっと断言され、目の前が真っ暗になる。


(ああ、今日おきた不運の総仕上げが、これなんだ)


 知らずかわいた笑いが、口からもれる。

 気づけばバルタザールに抱きとめられていた。勝手に体がかしいでいたようだ。


「大丈夫か?!」


 焦ったように訪ねてくる彼に。


(そんなわけ、ないでしょ)


 摩李沙は力なく目を閉じる。

 気絶できるものならいっそしたかった。焦る二人分の声も、夢だと思いたかった。

 どれだけ拒絶しても、今まさに異世界にいることが確かなことなのだった。








 起き上がる気力のない摩李沙は別室へ運ばれ、ベットに寝かされた。

 広くない部屋だが、汚れの少ない天井や壁を見る限り、手入れが行き届いているとわかる。一方、家具は摩李沙が使っているベッドと机くらいしかなかった。


 心配そうにのぞき込んでくるバルタザールを見て、やはりこれが現実なのだと思い知る。


(あんまりにも滅茶苦茶すぎるよ……なんで異世界なんかに突然来ちゃったの?)


 ため息を、毛布を引き寄せて隠した。ひたいにひんやりとした布が乗せられる。


「いいよ、そんなことしなくて」

「気遣いはいらないよ。まだ、横になってるほうがいいか?」


 摩李沙は無性にいらだちを覚えた。


「ずっとここで寝ていたって、意味ないでしょ? 帰れないんだから!」


 勢いよく起き上がったと同時に、布がはらりと落ちた。バルタザールは目をあわせず、視線をベッドに落としている。


「本当にごめん。何を言っても慰めにならないことはわかってる。それでも、今はこれしか言えない。本当に、巻き込んで悪かった」


 まだ怒りは収まりそうにないが、謝罪してくる相手に八つ当たりする気にもなれなかった。

 わめきたてたところで転移魔法とやらが使えないのなら、摩李沙の望みは叶えられないのだ。


 しばらく針で刺されるような沈黙が漂ったが、ふいに扉が開きアレンダが姿を現した。


「申し訳ないけど、こちらの都合で客間は用意できないんだ。ここはバルタザールの部屋だけど、今夜はとりあえずここを使って」


 彼の後ろから現れたのは、侍女らしき女性だ。手には軽食の乗ったトレーを掲げている。


「ソフィー」


 バルタザールは立ち上がり、女性の名を呼ぶ。二十代中頃と思われるソフィーは、淡々と答える。


「承知しております、バルタザールさん。エミリア様の危機ですから、私もむやみに騒ぎ立てるようなことはいたしません」


 ソフィーは机の上にトレーを置き、部屋を出ていった。

 バルタザールが、トレーを摩李沙の膝上に置いてくれた。熱々のスープから湯気が立ちのぼったが、食べる気にはなれない。


「いろいろ考えたんだけど、君にはある程度のことを話そうと思う。僕のせいで大変な目にあわせてしまったんだから、こちらの情報くらいは教えないと割にあわないよね?」


 アレンダは、ベッドの端に静かに腰かけた。


「君は召喚魔法の失敗で、フランブガルド王国に現れてしまったわけだけど。そもそも僕が呼ぼうとしていたのは、妹のエミリアなんだ」


 新しく出てきた名前を、摩李沙は小さく口の中でつぶやく。


「その子は家出でもしたの?」

「いや。僕たちは現時点で誘拐されたと考えている」


 物騒な単語に、摩李沙は目を丸くした。


「四日前、エミリアは突然姿を消したんだ。いつも魔法学校から帰ってくるときは、バルタザールと一緒なことがほとんどだけど、あの日はたまたまエミリア一人だった。そしてバルタザールが、我が家の前で奇妙なものを見つけたんだ」


 アレンダは手に何かを掲げてみせた。ただの薄茶色の紙切れに見える。

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