第3話 嫌な予感

「あっ」


 少年は摩李沙まりさの体ごと自分のほうへ引きよせ、両腕で抱きしめ抵抗を封じた。ボールペンが音を立てて地面に落ちる。


「やめて! 何する気なの!」

『君に危害を加えるつもりはない。とりあえず落ち着いてくれ』

「もう、さっきから何言ってるのかわからない!」

『アレンダさん、早くどうにかしてくださいよ!』

『ちょっと待って! 何かいい媒介は……あ、それだ!』


 青年は何事かを唱え、少年に向かって指さした。そこから二つの光が放たれる。光はそれぞれ、少年の耳についている水色のイヤリングに宿った。


『それを片方、彼女につけてあげて!』

『……あなたは本当に、人使いが荒いですね』


 あきれながらも少年は慣れた手つきでイヤリングを外し、摩李沙の顔を自分の方へ向かせた


「何を企んでるの?!」

『一瞬でいいから、落ち着けって!』


 少年は、摩李沙の耳に素早くイヤリングをつけた。耳たぶが金属に挟まれる痛みで、いっそうの恐怖を覚える。

 摩李沙は後ずさって叫んだ。


「あなたたち、さっきから何なの!」


 少年は、一仕事終えたかのように大きく息を吐いた。


「聞こえるか? 俺の言っていることが」

「……え?」


 突然の事態に絶句するしかない。

 異国の響きであるのは間違いないのに、言葉の意味がわかるのだ。


「とりあえず話が通じるみたいでよかった。俺はバルタザールだ。あっちにいるのはアレンダさん。ちょっとしたこちらの手違いで、間違って君を召喚してしまったみたいなんだ」

「え、召喚?」


 簡潔に言われても何がなんだかわからない。


 距離を置いていたアレンダは眼鏡を丁寧に拭いてかけなおし、笑みを浮かべ近づいてきた。

 摩李沙にはその様が、詐欺を働こうとする善良なフリをした人間にしか見えなかった。


「こちらの都合で詳細を明かすことはできないんだけどね。手短に言うと、僕たちはある人物を召喚魔法でこの部屋に呼び出すつもりだったんだ。ところがどういう間違いがおきたのか、全く別人の君が来たというわけなんだ。ま、立ち話だと疲れるでしょ。とりあえず座ろうよ」


 不信感をぬぐえないまま、部屋の隅にある椅子に腰かけた。長方形の机の上には、クッキーや紅茶やらが置いてある。


 男二人も席に着き、アレンダは神妙に話を始めた。


「何度言っても足りないけど、この度は巻き込んでしまって本当に申し訳ない。レアルデス家の次期当主として、心からお詫びするよ。もちろん君が無事に帰国できるよう、責任はとるつもりだ。ただ君が異国の人ならば、転移魔法はちょっと難しいかもしれない。船で送り届けることもありうるね。それで、失礼だけどお名前は?」


 まだ二人の正体がつかめないが、こちらへの態度から完全な悪人ではないように思えてきたので、細い声で答える。


「えっと……摩李沙です」

「じゃあマリサちゃん、君の国はどこ? 船だと時間がかかるかもしれないけど、必ず手配をするよ」


 ふと疑問に思う。


(どうして船にこだわるんだろ。飛行機だってあるのに)


 そう思った直後、何とも言えないモヤモヤが胸に渦巻いた。

 今朝から不運なことばかりあった。もしそれが、ずっと続いているのだとしたら。


「私の住んでいる国は、日本っていうんだけど」


 二人の様子を伺う。少し考え込んだアレンダは、バルタザールへ視線をやった。


「ニホンって国、聞いたことあるかい?」

「アレンダさんが知らないことを、俺が知ってるはずがありません」


 さらに嫌な予感を膨らませながら、摩李沙は説明した。


「日本はたくさんの島で出来ている島国で、日本海や太平洋って名前の海に囲まれているんです、けど……」

「ニホン……タイヘイヨウ……ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 アレンダは片手で摩李沙をとどめ、じっとその瞳を覗き込んだ。

 摩李沙も、ごくりと唾を飲み込んで青年を見返す。


「その国も海の名前も、僕は全く知らない。なら僕らの国を、マリサちゃんは知っているかな?」


 アレンダは咳ばらいした。彼も何かに勘づいているようだ。


「この大陸には、いにしえの時代に凶暴な竜たちが住んでいた。魔法使いと人間が協力して竜たちを退治し、のちにいくつか国が出来た。このフランブガルド王国もそうなんだ。この国は建国の際に魔法使いが数人尽力したため、僕たち魔法使いの中には、特別に貴族の身分を与えられた者がいる。我が家はそのうちのひとつ……ねえマリサちゃん」


 呆然とするだけの摩李沙とは対照的に、アレンダの声音は重く沈んでいた。


「僕の言ったこと、どれかひとつでも理解できたかい?」

「い、いいえ。全然わかりません」


 しばしの間があり、アレンダが頭をかかえて机に突っ伏した。


「現実なのか? 何てこった! 僕が生きているうちにこういう事態にお目にかかるとは!」

「どうしたんですか?」


 かけよったバルタザールへ、アレンダはゆっくり顔を上げる。乱れた髪の向こうで、彼の瞳はカッと見開かれていた。


「ほぼ間違いない。この子は異世界の子だ」

「え?」

「僕の召喚魔法が、どえらい間違いをおかしたってことさ。よりによって、完全に別の世界の子を呼びよせてしまったんだ!」

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