8、逃走



「・・・・・・」


 騎士達の声が遂に聞こえなくなった。


 今はぐちゃぐちゃと音が聞こえるだけだ。


 強い魔物と騎士達の戦いは終わり、恐らく騎士は全滅した。


「逃げるなら今しかない…!」


 他の場所ではまだ戦闘が続いているのか、僅かに戦闘音が聞こえる。見張りをしていた騎士がいなくなった今のうちに逃げるのが良いだろう。


 善は急げ、と飛んできた騎士の荷物を確認してから、壊れた馬車の穴から這い出る。


 泥だらけになりながらも何とか出た先は死臭と死体だらけの戦場だった。


「………デッカ」


 辺りを見渡していたがある方向を見て呟きが漏れる。馬車と同じかそれ以上に大きな影がナニかを食べていた。きっとアレが騎士達を全滅させた原因だと直感した。今は食事に夢中なようで気が付いていないようだ。


 他にもチラホラと大きな影と比べてだが、小さな影があちこちにいる。


「………」


 生唾を飲んだ。


 右を見ても左を見ても魔物がいる状況で、魔法の使用を封じられている私の存在がバレたら・・・抵抗すら出来ずに死ぬだろう。


 最悪を想像してブルッと身を震わせたが、何時までも同じ場所でのんびりしている方が危険だ。少しでも匂いを誤魔化せないかと泥を体に塗りたくる。

 覚悟を決めて深呼吸をすると、地面に這いつくばった。


 ズリッ、ズリッ……。


 そのまま1番近い場所にいる騎士の死体を目指してゆっくりとほふく前進を始める。魔物の動きを注視しながら、焦らずゆっくりと。


「ッツ、……ウッ…」


 到着するとその死体の凄惨な状態に嗚咽が漏れる。酸っぱいものを飲み込んで、騎士の荷物を確認した。


(この人も持ってない)


 だが、目当ての物…手足の枷の鍵はなかった。前に司教が来た時の拘束された時に幾つか鍵が纏まった物を騎士が持っているのを見た。きっとこの中にいる筈だ。


 私は次の騎士の死体へほふく前進で向かう。だが、次もその次も、騎士は鍵を持っていなかった。


 遠くから聞こえていた音が最初より小さくなっている。

 魔物が死体の匂いにつられて集まって来ている。

 今、目の前で地面に転がっているモノに仲間入りする未来が近付いて行く。


 そんな中で次に目指していた騎士の途中で司祭服を身に付けた死体があった。残念ながら顔が潰されていて誰だか分からないが、そもそも司祭の顔は誰も覚えていない。


 もしかしたら、と司祭の荷物を確認する。空のポーション瓶、短剣、保存食、ペンダント、鍵……あった。


 ────カチャ


 幾つかある鍵を試し、その内の1つで無事に手足の枷を外せた。久しぶりに軽くなった手足に笑顔が溢れる。


 枷を外せたので次は魔物から逃げることにした。ほふく前進で隠れるのに良さそうな茂みを目指す。なるべく魔物を避けつつ向かうが、魔物の数が多くどうしても避けられない時はの魔物達の側を通った。骨を噛み砕く音、ぬるっとした液体、咀嚼音。目や耳を塞ぎたいが、進む為にはそれをする訳にはいかない。


 吐き気を何とか抑えて、涙で滲んだ視界でたった数メートルまでの距離を進みきった。


「…ッハァ!ハァハァ……」


 茂みに入ると無意識に止めていた呼吸を再開した。もっと深呼吸をしたいところだが、もう少し離れてからにしようとうずくまっていた身体を起こして顔を上げた。


「グルルッ!」


 目の前に、ヨダレを垂らしたタトゥーウルフがいた。


「ッ!」


 動けなかった。動いたら死ぬと分かるから。叫びたかった。でも、叫んだら周りにいる魔物が来るだろうし、私を助けてくれるような人がいるとは思えなかった。


 目の前のタトゥーウルフは、殺意をギラギラと向けて、牙を剥き出しにして迫る。


「…イヤ」


 今まで色々あった。


 ブラック企業で馬車馬の如く働いた挙げ句死んだ。魂喰らいだと分かって家族に罵倒された。激痛を味わって魔法を刻まれた。騎士に剣を突き付けられ、さっきも死臭に耐えて泥だらけになってほふく前進した。


「イヤだ、ヤダ!」


 そんなあれこれが可愛く思えてくる程に、絶望的なまでの死が迫って出たのは生きたいという願いだけ。


「まだ、まだ!死にたくない!〈ウィンド〉!」


 魔法を封じられて無駄だと分かっていても、言わずにはいられなかった。


「グルァ!?」


 タトゥーウルフの顔に深い傷が刻まれた。


「…えっ!?」


 ザックリと切られたような傷が出来たタトゥーウルフがその傷をつけた私に怒りを滲ませて睨む。だが私はそれどころじゃなかった。


 魔法は間違いなく封じられていた。確認したんだ。何回も、分かっていても諦めきれなくて。


「グルルッ、グルァァ!!」


 混乱している私に傷をつけられ血を流しながらも変わらずに私を獲物としか見ていないタトゥーウルフが飛び掛かって来る。


 どうして使えるようになったのかは分からない。けど、使えるのなら…ッ!


「〈ウィンドカッター〉!〈ウィンドカッター〉!〈ウィンドカッター〉!〈ウィンドカッター〉………」


 両手を突きだして何度もタトゥーウルフに向かって魔法を打つ。


「グキャァァ!」


 何度も切られたタトゥーウルフは血だらけの体をフラフラとさせるとバタリ、と倒れた。


「ハアッ、生きてる…!良かった~!」


 死んでいると理解した途端、体から力が抜けて死にそうだった事に汗がドバッと出てきた。


 生きている喜びを噛みしめて、さっきとは違う涙を流していたのも束の間。


「「グルルッ!」」

「「「「ギギャギャ!」」」」

「「アオーン!」」


 近くから複数の魔物の鳴き声が響いた。


「ヤバッ!」


 タトゥーウルフとの戦闘の音が魔物を呼び寄せてしまった事を理解すると、慌ててその場から立ち去り、私は夜の森へ消えて行った。



◇◇◇



「ハァハァハァ…ッ!」


 後ろから聞こえる足音に追い付かれないように走る。息切れしても止まらず、転けても足を止めない。


「グルルッ」


 最初はウルフに終われていた。だが途中から身体の小さい魔物の群れに追われるようになった。多種多様な魔物の何百という群れは何度魔法で吹き飛ばしても、攻撃を浴びせても、無限沸きのように終わることがない。ならば振り切れないかと逃げても追跡が上手い魔物がいるのか振り切れない。


「キャッ!」


 夜の森を走り続けていた私は、疲れと魔力が少なくなった所為で注意力散漫になったのか木の根に足を引っ掻けて転んだ。痛みで涙が出るが、すぐに立ち上がる。


「グルルル…」


「ツッ!」


 その僅かな時間で追い付かれてしまった。振り替えると数体の魔物が追い付いたと言わんばかりに唸る。


「ガルルッ」


 ナイフのように鋭い牙を持つウサギの魔物。


「グギャア!」


 五つ目の醜い妖精のような魔物。


「ゲギャギャ!!」


 2本の尻尾を巧く使って移動する猿の魔物。


 他にも身体は小さいが貪欲な魔物達が私を囲み、食欲を隠すことなく涎を垂らして迫る。囲まれている私は動く事すら出来ない。飛び掛からず、ジリジリと包囲を狭める魔物達の瞳に嗜虐的な感情が見えた。


 遂に囲まれてしまった事に汗が頬を伝う。これまで何度か風魔法で吹き飛ばしたりしたが意味はなかった。それに囲まれている。一方を攻撃したら他の三方向から攻撃されるだろう。そしたら私は教会の騎士と同じ運命を辿る。それはイヤだ。


 ……ならば。


「…ハァハァ…フゥー…ハァー……」


 息切れが酷く、魔力も残り少ない私を追い詰めたと思っているんだろう。でもまだイケる。まだ、終わってない。


 無理矢理呼吸を落ち着かせ、いたぶるように迫る魔物に気が付かれないように魔力を練る。


 魔法は瞬間的に魔力を1つの属性に偏らせて発動する。魔力を練る行為は瞬間的ではなく長くしっかりと偏らせる事で、魔法を発動させる魔力消費を抑えつつ威力を上げられる。弱点として偏らせる為に少し時間が必要な事、集中力が必要事がある。

 今の私は極限状態に置かれた事で高い集中力と嗜虐的な魔物のお陰でほんの少しの猶予があった。


「グルァァァッ!」


 遂に魔物が飛び掛かろうとして足に力を込めたと思った瞬間、練った魔力を魔法にする。


「……〈ウィンドトルネード〉!」


 発動した魔法は私を中心にして強風が円を描く。身体が小さい魔物は踏ん張れず空中に飛ばされる。


『「「ギャアアァァァ!」」』


 空中に投げ出された魔物が地面に叩き付けられる音がした。


「ハァハァ…ハァー…まだ、まだ動ける」


 取り囲んでいた魔物が死んだり動けなくなったりしている内に私はまた走り出した。



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