第16話 聖女の苦悩
「で、どうして俺がここに?」
アマリスはにっこりと微笑むと、俺のために椅子を用意してくれた。俺は「聖女の間」と呼ばれる場所にやってきていた。
ここは教会と似たような作りになっていて、毎日1時間ほど聖女に国民たちが困りごとを相談したり、穢れを祓ってもらったりする。ちなみに、ゲーム内では一度触れられたものの、主人公はここのツボの中にある薬草をゲットするくらいしかやることがなかったはずだ。
教会には親戚の結婚式でしか行ったことがない俺。祭壇の前に立っているアマリスは穏やかな笑顔を浮かべている。聖女の間には1人ずつ人がやってきてはアマリスの手を握り、困りごとなんかを話していく。
さながら、アイドルの握手会のようだった。
「そうですか。大変でしたね……。息子さんは今は?」
騎士になった息子が大怪我をしたという婦人は涙を拭い、
「まだ目を覚ましません。ですから、お祈りを」
と言った。アマリスは婦人の手を両手で握ると祈りを捧げ、彼女の周りがキラキラと輝き、光が降り注ぐ。
「きっと、大丈夫。さぁ息子さんの元にいてあげてくださいな」
「はい、ありがとうございます。聖女様」
婦人は涙を拭いて聖女の間を出ていく。アマリスは魔力を使ってくらりとふらつくが、俺が声をかける間もなく次の人がやってくる。
「あぁ、アマリス様」
そのおっさんは、浮浪者のような格好をしているが違和感があった。なんだろうか、この違和感は。何日も体を洗っていないような匂いに、薄汚れた顔、ボロボロの服。その顔はニヤニヤとしている。
「こんにちは、フランシス」
フランシスはぐっとアマリスの手を握ると撫で回すように手を動かす。アマリスは聖女の笑顔を絶やさないまま「本日はどんなことが?」と聞く。
しかし、フランシスはあろうことか誰もが嫌悪感を抱くような、いわゆる下ネタを話し出した。
「ちょっと……」
あまりの不愉快さに俺が声を上げると、アマリスは少し振り向いて
「彼はひどく貧しい生活の末、心を壊してしまったの。今はスラム街で暮らしているわ。こうして、ここにきてお話をすることが今の彼の生きがいなのよ」
——慈善活動……か。
「アマリス様、あぁ御慈悲を」
フランシスはニヤリと俺を見て笑うと、またアマリスの手を撫で回しながら言葉を続ける。アマリスは「女神様、彼をお救いください」と祈りを捧げる。
俺はそんな2人をじっと眺めていたが、フランシスがニヤリと笑った時違和感の正体に気がついて立ち上がった。
「手をどけなさい」
「ダヴィドさん?」
俺は無理やりアマリスの手から男を引き剥がすと、保安局を呼ぶように言った。戸惑うアマリスとフランシスの間に入って、今度は罵声を飛ばし始めた彼を拘束魔法で押さえつける。
「いけません、彼は……」
「貧しさで心を壊している?」
「はい、ですから私が祈りを……」
「アマリス様、我々のように慈善活動をするものにとって最大の敵はその良心を食い物にする悪党です。このフランシスもそのうちの1人だ」
フランシスは大きくのけぞると言い訳を始める。言い訳をはじめるのもおかしな話だが、俺には確証があった。
「どうして、そう思われるのですか?」
「歯だ」
「歯?」
アマリスや部屋に入ってきていた保安局の人間が顔を見合わせる。一方でフランシスは、先ほどまで弱者を装っていたのに俺の言葉を聞いて眉間に皺を寄せキョロキョロと逃げ出す隙はないかとあたりを窺っている。
「見た目は、何日も風呂に入れないような貧しい人間を装っているが……歯が全て生えそろっていてピカピカだ。これは、毎日歯を磨ける環境があるから。おそらく彼は、聖女様に嫌がらせをするためにわざと汚い身なりをしているのでしょう。その証拠に」
俺は彼の頭を指差した。
「彼の髪には虫1匹ついていません。先日、私がスラム街に慈善活動へ行った際、多くの人間が頭虫に悩まされていました。彼はどうでしょう? このような長い汚れた髪にもかかわらず……かゆみにもがいたあともない」
フランシスは俺をじっと睨んだ。
「くっ……」
「それに、聖女様相手に卑猥なことをいうなんていくら貴方が不幸でも許されないと私は思います。どんな立場にあろうとも人間はみな等しく助け合うべきなのです。聖女様だから何もしてもいい、何を言ってもいいなんていうのは許されるべきではない」
俺はフランシスに滲みよるとぐっと胸ぐらを掴んで立たせた。
「さぁ、罪を償うなら今ですよ。聖女様に謝罪を」
フランシスの目には怒りに震える保安局の男たちと怯えているアマリスが映っているだろう。彼は40代くらいだろうか、綺麗な女を汚したいという性癖か、それとも単なる嫌がらせか。
俺にはどちらでもいいが、流石に見るに耐えないので成敗させていただく。
「なんだよ、聖女は貧乏人を助けるんじゃねぇのかよ! 俺はなぁ、女にはモテねぇしタマってんだよ! ちょっとぐらいいいだろ! ゴジヒの心でさぁ」
「それが貴方の望みですか」
「そうだよ、お前だって男ならわかるだろう? あぁいうお高くとまった綺麗な女にさぁ、汚い俺の……」
卑猥な言葉を吐くフランシスに保安局の男たちが今にも飛びかかりそうになるが俺が止める。
「貴方が今この場で心から謝罪をし、今後の行動を改めれば聖女様は御慈悲の心でお許しくださるでしょう。そして貴方が本当に困ったときに手を差し伸べてくれるやもしれません。しかし……」
「じゃあなんだ、謝ったら聖女様とできんのか? あ? お前らは俺たちの税金で飯食ってるんだからいいだろう? 手くらい触らせて、ニコニコしてればよぉ」
「そうですか。それが貴方の答えなんですね。保安局の方」
保安局の男たちがフランシスを連行する。聖女に不敬を働いた罪は重いだろう。おそらく、牢屋に数日閉じ込められ衰弱死が彼の運命だ。
「ダヴィドさん……」
「アマリス様、慈善活動とは本当に必要な人に行うべきもの。それによってくる悪意を持つ者たちに惑わされてはいけない。さあ、次の人を」
アマリスは「ありがとう」と俺に微笑むとドアマンに声をかけた。
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