第三話 契約

「──私は邪竜。──厄災の邪竜エトナ・ティフォエウス」


 目の前の少女は異形の肉体をもってそう告げた。

 ──竜。

 それは僕の知る限り最強の魔物だ。

 無尽蔵に魔力を生み出す心臓。魔力によって強化された強靭な肉体。大空を翔び、大地を駆け、深海へ潜る、如何なる環境でも活動可能な適応能力。

 賢い個体は魔術さえ扱うと言う。正に究極の生物だ。

 実際、彼女の発言はその外見からも、数秒前の身のこなしからも、迷宮に封印されていたという状況からも信憑性があったし、僕の魔眼も彼女の溢れ出る莫大な魔力を律儀に光に変換してくれるおかげで、焦点をズラさなければ漆黒の太陽と会話しているようだ。

 その威容に圧倒され、言葉も出ない僕に少女──エトナが近付く。


「うん、良い反応。その反応が見たかった」


 エトナは満足げに微笑んで指を鳴らす。すると翼や尾などの竜の部位が炎に帰った。


「やっぱりこっちの方が疲れない」


 竜体が解除され、魔力の輝きが少し控えめになった事で僕はようやく気を取り直した。


「えーと……エトナさん……でいいですか?」


 僕の言葉に彼女は頬を膨らませて不満を表明する。


「む、私には敬称も敬語もいらない。名前もエトナでいい、私もリッカって呼ぶから」


 エトナが僕に詰め寄り彼女の長い髪が僕の鼻先を掠める。シトラスのような仄かな香りが鼻腔をくすぐった。


「わ、分かった、分かったから離れてくださ──くれ……エトナ」


 僕は無意識に両手を上げながら精一杯顔を逸らす。その滑稽な様子が気に入ったのか、それとも単に僕が敬語を止めたことに満足したのか、邪竜を名乗る少女はそれでいいと頷いた。


「なんというか……不思議な奴だな、君」


 無慈悲に、軽率に、怪物の命を一瞬で奪ったかと思えば、子供のように表情をコロコロと変え豊かに感情を表現する。

 邪竜としての『力』と少女としての『心』を併せ持った存在。それが現時点で僕が彼女に抱いている印象だった。

 ふと、先程の血に塗れた彼女の姿がフラッシュバックする。僕に恐怖を塗りつぶす程の憧憬を与えた彼女と、今僕の前でポワポワと揺れている彼女が同じ存在にはとても思えない。


「……まるで別人だな」


 口をついて出たその言葉に、エトナは素早く食いついた。


「今、失礼なこと考えた」


 敬語を止めた事で確保されていた距離が一瞬で詰められ、エトナの丸っこい顔が僕の目の前に迫る。


「ちょ、だから離れろって──っつ……」


 エトナから距離を取ろうと一歩足を引いた僕はそのまましゃがみ込み、短い息を漏らす。


「どうした?何処か痛むの?」


 エトナは心配そうにしゃがんだ僕の顔を覗き込む。


「あ、あぁ、大丈夫。ちょっと君の魔力に当てられただけだ」


 僕は目を瞑り、両掌でこめかみを軽く擦る。

 ただでさえ魔眼の連続使用は眼が痛いんだが、今日ほど長時間連続で使ったのは初めて。さらに緊張が解けたことで鈍い頭痛が僕を襲った。


「リッカに提案──私と契約しない?私が貴方のを抑えてあげる」


 エトナが手を差し伸べる。


「な、何で魔眼の事……いや、まぁいい。要求は?」


「──食べ物が欲しい」


 ぐぅ、とエトナのお腹が鳴った。

 なるほど。竜種は自身で生み出した魔力を糧にすると聞いていたが、今の彼女は人の身体。神代からの寝覚めとなれば腹が減るのも当然だ。


「これで良いか?」


 僕は腰のポーチから携帯食料として忍ばせていたクッキーを彼女に手渡す。


「ん、契約成立」


 エトナは受け取ったクッキーを口に頬張りながら指を鳴らした。

 一瞬、眼球が熱を持つ。ゆっくりと瞼を開けると、そこに漆黒の太陽はなく、鈍い頭痛も消えていた。


「おお、裸眼なのに魔眼が発動してない」


「本当は少し物足りないけど……契約だから」


 少し不満げにエトナはお腹を擦る。


「それなら街に戻ったらご飯食べに行こう。美味い店を知ってる」


 僕がそう言うと彼女はきょとんと小首を傾げ、僕をじっと見つめる。


「私を連れてってくれるの?私、邪竜だよ?」


 クッキーで物足りないとか言いながら人間を助けてくれる奴が邪竜なわけないだろ。そう茶化そうとして僕は言葉を押し留める。

 エトナの瞳が微かに潤み、小さく震えていた。

 ──その瞳を僕は知っている。

 彼女は本気で言っているのだ。自分が邪竜だと。邪竜だから連れて行ってもらえないと。

 ──そう、その瞳を僕は知っていた。

 母の暴力に怯え、顔色を窺いながら過ごしていた過去の自分と少女が重なる。

 その瞳は、理不尽に飼い慣らされ、恐怖に怯えた者の瞳だ。

 僕は目を逸らさず、真っ直ぐにエトナを見据えた。


「大丈夫。君が邪竜でも僕は何も気にしないし、ここにはもう君を縛るやつはいない。だから──君は自由だ」


 エトナは固まったまま動かない。


「──じ、ゆう?」


 ゆっくりと僕の言葉を反芻して、そしてようやく飲み込む。

 陶器のように白い頬を雫が一つ、伝い落ちた。


「そっか……私は、自由」


 エトナはその言葉を噛みしめるように小さく頷き、雫の軌跡を拭った。


「ん、心配かけた。もう大丈夫」


 彼女は少し恥ずかしそうにはにかむ。その瞳に先程までの震えは無い。


「戻る前にリッカに提案。さっきの契約、更新しない?」


「更新?」


 さっきの契約ってのはクッキーと引き換えに魔眼を抑制してもらったやつの事だろうか。


「リッカは私にご飯をくれる。代わりに私がリッカの相棒として力を貸す。うん、二人共ウィンウィンで完璧」


 自慢気に胸を張り、手を差し出すエトナ。


「それって……まぁ、エトナが良いならいっか」


 差し出された手を握る。僕の方がかなりお得な気がしないでもないが良しとしよう。


「ん、契約成立」


◆◆◆


 ──鉛の灯火イグニス二階の転移部屋の小さな個室。

 新たな契約を結んだ僕らは地下迷宮から空間転移テレポーテーションでこの部屋に戻ってきた。

 行きは一人だったから何も思わなかったが、二人になると途端にこの部屋が手狭に感じる。

 ふと小窓から外を覗くと街はすっかり茜色に染まっていた。


「地下に潜ってたから気が付かなかったけど、随分時間が経ってたんだな」


 僕が遺跡に潜ったのが午前中だから六時間以上は潜っていた事になる。タイパ重視な普段は長くても三時間で切り上げるから実に二日分以上の重労働。


「……思えば朝からイレギュラーだらけの一日だったな」


 一先ず達成報酬を受け取るため一階へ降りる。この時間帯は多くの冒険者が帰還するため、一階は朝以上に人で溢れていた。

 カウンターの順番待機列に並ぶ。


「リッカ、ここの人間は皆武装してるけど……軍隊?」


 エトナが小声で耳打ちしてきた。


「いいや、ここは『鉛の灯火イグニス』って言う冒険者ギルドで……って冒険者の説明が先か」


 冒険者は魔物討伐や遺跡探索、行商の護衛など人々の困り事を解決する何でも屋みたいなものだ。

 始まりは国の衛兵隊や領主の私兵団で対応しきれない緊急性が比較的低い魔物の討伐を目的に国が奨励した民間の自警団だったが痒い所に手が届く柔軟性が重宝され、研究機関や商会などからも取引するようになり今に至る。

 冒険者ギルドはそんな冒険者達の互助組織であり、依頼の仲介斡旋や情報の記録などを行っている。


「──と言うわけ」


 まぁ今では公的に武器を扱える事とハイリスクハイリターンな事から、スリルと名声と金を求める若者達の絶好の稼業として賑わっているのだが。


「人による、人のための力……神々の時代には無かった在り方」


 そう言ってエトナは何かに納得したように何度も頷く。よく分からんが冒険者というものが気に入ったらしい。


「次の方こちらにどうぞー!」


 そうこうしているうちに列が進み、僕らは窓口に案内される。

 偶然にも、案内されたのは朝と同じ受付嬢の窓口だった。


「あら、リッカさん。こんな時間にいらっしゃるなんて珍しいですね?」


 緑の制服に映えるゆるふわカールなブロンドヘアがポワポワと揺れる。


「ええ、ちょっとイレギュラーがありまして」


 受付嬢に受注時に受け取った腕輪と通路を追記した構造図を手渡す。


「はい、依頼達成を確認しました。こちらが報酬手形です」


「ありがとうございます」


「……」


 報酬額が記載された手形を受け取る。これを精算所に持っていけば報酬を受け取れる。


「いつも通り発掘品の売却はご自身でよろしいですか?」


「ええ、自分でやります」


「……」


 もろもろの手続きを終え帰ろうとするが、受付嬢は何か言いたげだ。


「えっと……何かありました?」


「あっ、いえ、その……そちらの方は一体?」


 受付嬢の視線は僕の背後にひっついた黒い少女に注がれている。


「あっ」


「……?」


 しまった。エトナの事をすっかり失念していた。


「リッカさんが何方どなたかとご一緒なんて珍しいなと思いまして」


 受付嬢の彼女から見ると今の僕は珍しく長時間の依頼から帰ったと思ったら、さも当然のように見慣れぬ少女を連れてきた男という訳だ。

 その上、エトナの服装はドレス。無骨な冒険者ギルドにはとても似合わない格好だ。エトナの強さを知っていたから気にしていなかったが、改めて周りを見渡すと僕らはかなり浮いていた。


「あ、あはは……そうですよねぇ……」


 苦笑いで時間を稼ぎつつ僕は脳みそフル回転で言い訳を模索する。

 新しい仲間……は今朝勧誘を断ったばっかだし、あの遺跡に僕以外に冒険者がいるわけ無いから却下。

 偶然助けた民間人……も却下。

 となると血縁者?妹とかにするか?


「ん?私はリッカの相棒。でしょ?」


 悩む僕の背後からエトナが答える。


「えっ!あのリッカさんに相棒が?!本当に?!」


 驚きのあまり受付嬢が見たこと無い顔で硬直している。

 そんなに驚かなくてもいいだろ…。


「まぁ、そんな感じです……。誰ともパーティーを組む気は無かったんですけどね」


 他人と関わるのは疲れるし面倒事も多い。何より僕の場合は地下遺跡という絶好の稼ぎ場があったので誰かと組むメリットがほぼ無かった。だが、エトナを解放したことで状況が変わった。

 あの遺跡は下層に行くほど魔力が濃くなり、良質な魔石などが採掘できていた。てっきり、地脈でも近くにあるのかと思っていたが、恐らくあの遺跡は封印したエトナの魔力を吸い上げていたのだろう。鎖を切った時に視えた上に向かう魔力の流れが僕をそう確信させた。


 遺跡が使えなくなると言うのであれば、僕も冒険者としての活動方針を改める必要がある。

 エトナの実力は申し分無い。彼女と一緒なら多少危険な依頼でもこなすことが出来るだろう。

 そんな事を考えていると、僕の袖が引っ張られる。


「ん?」


 振り向くと少し不安げなエトナと目が合う。


「リッカ、私と組むのは嫌だった?」


 僕と同じくらいのはずな彼女の背丈が、上目遣いもあってとても小さく感じた。


「ち、違う!エトナだから組んでみようと思ったんだ!──わ、分かったらその上目遣いは止めてくれ……!」


 耐えきれなかった僕は思わず目を逸らし、逸らした先で僕らのやり取りを興味津々に眺める受付嬢と見つめ合った。


「あのー、お二人って本当に唯のなんですか?」


 獲物を狙う肉食獣のような瞳が僕らに注がれる。


「ううん、私達は唯の相棒じゃない。契約によって結ばれた相棒」


 悪気無くエトナは真実を告げる。それがお砂糖ジャンキーな恋愛脳に余計な燃料を与えると知らずに。


「それってつまり恋な──」


「あー!後ろこんなに詰まってるんで僕らもう行きますね!それじゃ!」


 受付嬢が何か言うより速く、エトナを小脇に抱えて窓口を後にする。

 速やかに手形の換金を済ませ、馴染みの魔道具店で発掘品を売却し終えた頃には空はすっかり暗くなっていた。


「いやはや、すっかり日も落ちて夕飯には持って来いな時間帯ですな」


「提案、リッカは早急に私をご飯屋さんにつれてくべき」


 はしゃぐエトナを宥めつつ、僕らは大通りを歩く。

 普段はこの喧騒を嫌って裏路地ばかりを使っていた。だが今日は、エトナと一緒なら、日が落ちども冷めないこの熱狂もあまり気にならなかった。

 大通りを暫く進むと目的の店が見えてくる。そこは仕事を終えた者達が集う大衆食堂。笑い声やジョッキを酌み交わす音が店の外にまで漏れていた。


「いらっしゃい!お好きな席にどうぞー!」


 慌ただしくフロアを駆け巡る快活なウェイトレスに言われるがまま、僕らは適当な席に座った。


「おースゴイ熱気」


 エトナは物珍しそうに店内を眺めている。

 この騒がしさが苦手で普段は月一でしか来てなかったが、今晩はこの喧騒がむしろ心地良いとすら感じている。


「何か食べたい物があれば好きに頼んで構わないぞ」


 僕はそう言って壁の黒板にチョークで綴られたメニューを指差す。


「……よく分からない。リッカが頼んだ方が良い」


 メニューを一通り眺めた後でエトナは首を振った。

 確かに初見の店で好きに頼んで良いと言うのは少し酷だったかと反省し、テーブル備え付けのベルを鳴らす。

 数分後、さっきのウェイトレスがやってきた。


「はいはーい、ご注文は?」


 僕は黒板のメニューから注文し慣れたお気に入りの料理を読み上げる。


「魔猪の鉄板ステーキ二つとバターライス二つにバゲット一つ」


 ウェイトレスは慣れた手つきでメモ帳に注文を取り、復唱した。


「以上で?」


「──あと食後に木苺パフェを」


 こっちは初めてのやつだ。


「まいど!すぐ作るから少し待ってて」


 束ねた赤髪を揺らしながらウェイトレスはパタパタと厨房の方へ消えていく。

 視線を戻すとさっきまでとは打って変わってぼうっと虚空を見つめるエトナの姿が目に入った。

 黄金色の瞳には蝋燭の火が静かに揺れている。正に心此処にあらずと言った様子。


「どうかしたか?」


 僕の問いかけから少し経ってエトナの瞳がこっちを捉える。


「……ん?何か言った?」


 しかしと言うか、やはりと言うか、僕の言葉は届いていなかった。


「ぼーっとしてるけど、どうしたのかなって」


 僕の質問にエトナは言葉を詰まらせる。何かを隠している……と言うより、何かを伝えるべきか迷っている。そんな感じだ。


「話し辛い事なら無理に話す必要はないさ。何せ僕らは今日出会ったばっかなんだし」


 口ではそう言いつつも、僕は自分がエトナに対して心を開いていることに驚いていた。

 共に死地を越えたというのが影響してか、彼女に対する警戒心が薄れている。もっとも、邪竜である彼女にとってはあんな場面は死地なんぞで無かっただろうが。


「……ん、ありがと」


 エトナは短くそう言ってまた虚空を眺め始めた。

 それから間もなくウェイトレスが両手いっぱいに料理を持ってやってきた。


「お待ちどうさま!魔猪の鉄板ステーキにバターライスとバゲットね」


 熱々の鉄板に乗ったステーキに、胡椒の香ばしい香りが食欲をそそるバターライス、スライスされたバゲットが詰められた小さな籠がテーブルに並ぶ。

 湯気を上げる出来立て料理達に消沈していたエトナも興奮を隠せない様子。


「「いただきます!」」


 そこからは二人共無言で箸を──いやナイフとフォークを進めた。


 メインの魔猪肉は豚に近いが、噛むたびに溢れ出す肉汁には普通の豚肉には無い濃厚な風味が閉じ込められており、添えられたオニオンソースも仄かな辛味がアクセントとなって肉の甘くすら感じる旨味を引き出している。

 僕はパクパクとステーキを口に運ぶエトナに目配せをして、ステーキを乗せたバターライスを頬張る。ステーキの旨味がバターライスに染み込む事でオニオンの刺激や肉の香りがまろやかに調和し唾液の口内に楽園が築かれた。


 僕の視線に気付いたエトナは目を丸くしつつも、同じくステーキをバターライスに乗せて頬張り、そしてすぐ蕩けた笑みを浮かべるのだった。

 究極の組み合わせによってステーキとライスを瞬く間に空にしたエトナは満足といわんばかりの顔でナイフとフォークを置く。しかし、そんなエトナに見せつけるように、僕はバゲットを一枚籠から取り出し、鉄板に残ったソースを染み込ませ食らう。

 肉汁と合わさったオニオンソースをシンプルなバゲットがスポンジのように吸い取り、最後の一滴まで余すこと無く濃縮された旨味が口の中で爆発する。

 その様子を物欲しそうに見つめるエトナに僕はそっとバゲットの籠を差し出すのだった。


「「ごちそうさまでした!」」


 結果として僕らの前にはピカピカになった食器が並んだ。


「私は竜だから滅多に食事なんて取らなかったけど……まさか人間の料理がここまで進化してるなんて」


 食事で火照った身体を冷まそうと両手で扇ぎながらエトナが呟く。


「美味かっただろ?僕も頻繁に来るわけじゃないがこの街一番の食堂だと思ってる」


 正直、この街の店のレベルはどこも高い。僕は勝手に異世界の料理ってのは大昔の味気ない食事みたいなものだと思っていたが、少なくともこの街で不味い料理を食べたことはほぼ無い。貧富の差はあるが、豊かな街であるのは間違いなかった。


「ん、これで契約は成立。後は私がリッカの相棒として働くだけ」


 エトナは自信満々に笑う。でもその瞳の奥にはどこか寂しげな色があった。


「あー、その事なんだけど──」


「はーい、こちら食後の木苺パフェでーす!──お嬢さんの方で良いわよね?」


 僕の言葉を遮って現れたウェイトレスはエトナの前にパフェを置くと、空いたトレイに手早く食器を乗せ、僕にウィンクして去っていった。


「ん?この料理はリッカのじゃ……」


 僕はパフェをこちらへ渡そうとするエトナを静止する。


「いやエトナので合ってる。これは契約とか関係無しに、助けてもらったお礼まだ言ってなかったから──ありがとう」


 僕がそう言うとエトナは小さく頷いた。


「ん、分かった。そういう事なら私が食べちゃう。……でも私も話したい事がある。話したらリッカを巻き込んじゃうから止めようって思ってたけど、正直私だけじゃ解決できない──それでも、聞いてくれる?」


 エトナは不安げに僕を見つめる。

 彼女の話を聞けば、きっと僕は厄介事に巻き込まれる。

 この話を聞くべきではない──昨日までの僕ならそう考えていただろう。


「構わない、聞かせてくれ」


 僕は頷く。

 僕にとって昨日までの世界は唯生きるために存在する灰色の世界だった。でもエトナと出会って僕の世界は色を取り戻した。生き返っても死んだままだった僕のを、彼女が生き返らせてくれた。

 だから僕は彼女の話を聞くべきだ。エトナは僕にとって二つの意味で命の恩人なのだから。


「ん、それじゃ結論から言うとね──私、


 意を決し、エトナは自身の身の上について話し始める。


「私は、ある古い女神が神々の王を倒すために生み出した兵器だった。神々の戦争の最後に投入された私は多くの神を滅ぼした。裂いて、喰らって、灼き尽くした。やがて神々の王を破った私は、新たな王として玉座に座った──でもそれが終わりの始まりだった」


 スプーンがパフェに突き刺される。上にかかった赤いソースがスプーンを伝って下のフレークに流れ込む。


「王になった私に御母様は、神々の秘宝である『勝利の果実』を手に入れろと命じた」


 スプーンがフレークの底に隠された木苺をゆっくりと掬い上げていく。


「私は果実の管理者である運命の女神を脅迫して勝利の果実を持ってこさせた。神々の持つどんな毒でも私は殺せない。そう慢心していた私は疑うこともなく差し出された果実を喰った」


 エトナの口に木苺が運ばれる。


「──でもそれは『勝利の果実』なんかじゃ無かった。運命さえ捻じ曲げて喰らった者の願いをようにする呪いの実『無常の果実』」


 エトナは再び木苺を掬おうとするが、今度はスプーンから滑り落ちて掬えない。


「今のこの姿は『無常の果実』に呪われて竜の身体を封じられた状態。竜炎で肉体を再現することも出来るけど、一時的だし長時間維持できないからあんまり使えない」


 エトナは木苺を諦めて上に乗ったクリームを掬って食べる。


「だからリッカに提案、私の呪いを解く方法を一緒に探して欲しい。そんな方法あるのかは分からないけど、私の封印を破ったリッカとなら見つけられる気がする──ダメ……?」


 エトナの視線が僕を貫く。不安と期待、恐怖と諦観が綯い交ぜになった瞳だ。


「──はぁ、分かったよ、分かったから、そんな不安げに見つめないでくれ……君のその顔を見るとなんだか心が落ち着かないんだ」


 そして僕は、彼女のそういう眼に弱い。


「ん、これは泣き落とし。私は邪竜だから、ね」


 エトナはそう言って不敵に笑う。だが、明らかにその表情には安心が滲み出ていた。


「はいはい、そういう事にしとくよ」


 僕はそう言って彼女のパフェから木苺を一つ盗む。


「今度は僕から提案だ。君の呪いを解くのを手伝う代わりに、この木苺を僕にくれ。──契約だ」


 エトナは突然の提案に戸惑いながらも契約を了承した。


「でも、木苺一つじゃ割に合わない……」


「それはお互い様だろ」


 迷宮で交わした、僕がたった一度ご飯を奢る代わりにエトナを戦力として相棒にするという契約。エトナにとっては僕を見定めるための必要経費って感覚なんだろうが、契約は平等であるべきだ。


「僕はエトナの呪いを解く方法を探す。エトナは冒険者として僕と戦う。これでウィンウィンだな」


 呆れたようなエトナに眺められながら、僕は木苺を口に放り込む。

 神々の呪いが如何なるものかは分からない。一生をかけても解呪出来ない可能性だって十分ある。

 ただ僕には何となく、呪いが解けるのはそう遠くないんじゃないかと、そう思えたのだった。

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