第30話
「お前達も薄々気づいていただろうが、そろそろ私の後継について考えなければならない時期にきている」
いつかは来るものと常に覚悟はしていたつもりだったが、実際に東十条社長の口からその件を言及されると、颯太は指先が震えるのを抑えることができず、やむなくカトラリーを置いてテーブルの下に手を隠した。
(CMの時は俺に軍配が上がったが、展示会の方は芳しくなかった。新設の総合病院を逃してしまったのが痛かったな……)
「アズマグループは私の代で巨大なグループ企業に成長した。元々は隼人に跡を継いでもらうつもりで幼少期から教育を施してきたのだが、私が思っている以上にここ数年でさらに巨大化したグループを一人で背負うには荷が重過ぎるだろう。二人で協力してアズマグループを盛り立てていって欲しいというのが私の願いだ」
それは無理な話だ、と颯太と隼人は同時に心の中で呟いた。お互いの利益が一致でもしない限り、この二人が助け合ってアズマグループを牽引することなど不可能だろう。
「助け合うとはいえ、どちらかが社長という役職についてグループの顔にならなければならない。そこで、今後のグループの将来を考えた上で、相応しい者を社長の座に据えたいと思っている」
「グループの将来を考えた上で、相応しい者の条件とは一体どのようなものでしょうか?」
隼人の質問に東十条社長は頷きながら答えた。
「さらなる未来の後継者だ」
颯太と隼人は思わず顔を見合わせた。
「我がグループに相応しい家柄の人間と婚姻し、後継者となり得る子供を先にもうけた者を、次期社長候補として推薦するつもりだ」
「えっ?」
颯太と隼人、それに東十条夫人が同時に叫んだ。三人の中で誰よりも真っ先に口を開いたのは夫人だった。
「それはあなた、隼人さんが有利に決まってるじゃありませんか! 歳だって上ですし、園田カレンさんっていうお相手だって既にいらっしゃるんですよ!」
「園田さんとの関係は事務所が否定しているじゃないか」
「そんなの事務所は否定するに決まってます! そこのところどうなんですか、隼人さん?」
「懇意にさせていただいているのは事実ですが、事務所の声明通り熱愛の事実はありません」
他の三人の会話を、颯太は心ここにあらずといった様子でぼうっと聞いていた。一応彼らの言葉は耳に入ってはいたものの、頭は他のことを考えるのにフル稼働していて、耳に入って来る言葉はほとんど心には届いていなかった。
(どうする? ここまできて万事休すか?)
園田カレンは大学病院の院長の娘で育ちのいいお嬢様だ。隼人は今は否定しているが、間違いなく彼女を未来の社長夫人の候補に入れているはずだ。彼女に匹敵する人物となると、当然それなりの家柄が必要になってくる。グループの事を考えると、医療関係の大富豪がより適切だ。
(旭さんを玉の輿に乗せるために社長の座を狙っているのに、他の人間と婚姻しなければ社長になれないなんて、どうすればいい?)
「園田さんもいいお相手だが、私なりに二人に相応しいと思える相手を何人か見繕っている。この中で気に入った人物がいれば、一度会ってみてはどうかね?」
東十条社長は颯太と隼人それぞれにお見合い写真の束を手渡した。颯太は社長の手前、一つずつ丁寧に表紙を開けて中の写真を確認していったが、真剣に写真を見るつもりなど毛頭なかった。
「あら、この方は颯太と同じ高校を出ていらっしゃるみたいよ」
夫人の言葉に何気なく写真に視線を落とした颯太は、はっとしてそのお見合い写真を手に取った。
「佐竹さん?」
「あら、もしかしてクラスも一緒だったのかしら?」
佐竹美波。颯太の高校では珍しくオメガ性の女子生徒だったため、クラスメイトに殆ど興味の無かった颯太も彼女の事は覚えていた。
「はい、高校三年生の時に同じクラスでした。大手医療機器メーカーのご令嬢だったんですね」
「颯太と同い年なのね。少し大人しそうだけど、可愛らしい方じゃない。オメガ性なら赤ちゃんもすぐにできるだろうし、この子なんてどうかしら?」
颯太は元々お見合いをするつもりなどこれっぽっちも無かったのだが、夫人の言葉にすぐに頷いた。別に彼女が気に入ったわけでも、夫人の言葉に押されたわけでもなかった。クラスでの彼女の様子、それにこのお見合い写真に気になるところがあったのだ。
堅苦しい雰囲気にはしたくなかったので、颯太は彼女とはカジュアルなレストランで会うことにした。とはいえ両家の両親の意向もあるので、カジュアルな雰囲気のフレンチレストランでコース料理を食べる羽目にはなったのだが。
「お久しぶりです」
「本当にお久しぶりです。高校の卒業式以来ですね」
佐竹美波はオメガらしい華奢な女性で、園田カレンのような華やかさは無いものの、いいとこのお嬢様らしい清楚な雰囲気を纏っていた。
「高校時代はお話ししたことが殆どなかったので、このような席に呼ばれるとは思いもしませんでした」
「僕は忙しい身でして、社交辞令で時間を無駄にするのは好きではありません。こちらからお呼びだてしておいて失礼な話で申し訳ないのですが、単刀直入に言わせていただいて構いませんか?」
美波は少し驚いた表情を見せたが、別段気を悪くした風もなく黙って頷いた。
「佐竹さんは、まだ吉田さんとお付き合いされてますよね?」
美波は今度こそ本当に驚いて目を見開いた。
「ご存じだったんですか?」
「クラスでもずっと仲睦まじい雰囲気でしたから」
颯太が手に取ったお見合い写真に写っていた女性達は、皆そろって媚びるような笑顔で颯太に選んでもらえるよう全力でアピールしていたが、美波だけは違っていた。堅い笑顔は写真が苦手と言うよりは、この場でカメラに向かっている状況が不本意であるという印象を受けた。お見合いは決して彼女の意思では無いというメッセージを、颯太はその写真から受け取ったのであった。
高校時代、颯太は全く興味が無かったのだが、オメガ性の彼女はやはりクラスでも注目を集めていた。女性だろうが男性だろうが、アルファ性の生徒からすれば彼女は性的対象に分類されてしまう。そんな中、吉田麗香という生徒が彼女と特に親しくしていた。強気なアルファらしい背の高い女子生徒で、美波の興味を引こうとするアルファ性の生徒を片っ端から追い払っていたため、彼女達が付き合っているのではないかという噂は、当時颯太のクラスだけでなく学校中に広まっていた。
「お二人の関係を知らない当時のクラスメイトはいないと思います。学校中探してもおそらくいないかと」
「……彼女とは高校を卒業してからもずっと続いてるんです。でも、それを知っていて今回お見合いされたのは一体……?」
「都合が良かったからです」
颯太はそう言った後、流石にストレートな物言い過ぎたかと軽く咳払いをして言い直した。
「つまり、僕と佐竹さんは利害関係が一致するのではないかと思ったんです。お付き合いしている方のいるあなたは、おそらく家の都合で無理矢理お見合いさせられているだけなんじゃないかって。実は僕も似たようなものでして」
「他にお付き合いされている方がいらっしゃるんですか?」
「……まだそこまで漕ぎ着けてないのですが、心に決めた人がいるんです」
美波の強張っていた笑顔がようやくほぐれて、彼女本来の優しい表情が表れた。
「そうだったんですね。私の兄弟は全員アルファで、私だけオメガ性で生まれました。家を継ぐのは他の兄弟ですし、始めから何も期待されていなかった私は、ただ静かに他の兄弟の邪魔をしないように生きてきて、結婚して家を出れば忘れられる存在くらいにしか思っていなかったのですが、東十条家から縁談話がきて親が欲を出したんです。なんの価値も無いと思っていた私がもし東十条家に嫁げば、アズマグループと親戚関係になれます。医療機器メーカーのうちにとっては願っても無い縁談でした」
「吉田さんはなんとおっしゃっているんですか?」
「麗香は、私のために身を引く覚悟があると言っています。彼女の両親はごく普通のサラリーマンで、彼女は特別特待生枠の入学者だったんです。高校生の時は何も気にせず恋愛できたけど、大人に近づくにつれてしがらみも増えるし現実を知っていく。彼女がそう言っていました」
「そんなもの糞食らえですよ」
美波は驚いて颯太を見た。こんな汚い物言いをする人間は、美波の周りでは麗香くらいしかいなかったのだ。
「しがらみも現実も糞食らえです。俺は欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる。お育ちのいいお嬢さんには分かりませんかね?」
美波は高校時代の麗香の目の光を思い出した。強気で勝気、身分の壁などものともしない反骨精神。気弱で自信のない受け身な自分は、いつも彼女の強さに引っ張られ、導かれてきた。
(彼女が迷って、自信をなくしているなら……)
美波は颯太の目をまっすぐ見て頷いた。
「分かった。東十条君の意見を聞かせて。お互い本命の人と一緒になるために、家を欺く算段なんでしょう。あなたの計略に乗らせていただきます」
その後、兄の東十条隼人が早々に園田カレンと婚約したため、彼が大々的に発表を行うタイミングを見計らって、颯太も自分と佐竹美波の偽のスクープをマスコミに流したのだった。
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