第29話
颯太と隼人の出演するアズマ製薬のCMが地上波で流されて、徐々にその効果が商品の売り上げやSNSに反映され始めた頃、再び東十条社長は隼人を本邸に招集した。抑制剤はもともと売り上げ高の高い商品だったので、利益率から見れば当然颯太は隼人の足元にも及ばなかったのだが、売り上げの伸びやSNSでの反応は颯太の宣伝した香水の方が凄まじく、どちらに軍配が上がったかは言うまでもなかった。東十条夫人ほどあからさまに表情には出さないものの、隼人の表情が心なしか固く沈んで見えるのも頷ける話であった。
「二人とも初仕事ご苦労だった。隼人は私と何度か出演したことがあったが、颯太は初めてでトラブルもあったにも関わらずよくやった」
「ありがとうございます」
心ここにあらずといった隼人と、神妙に頭を下げる颯太を交互に見ながら、東十条社長は言葉を続けた。
「お前のCMに出ていた俳優だが、なんとなく村上旭君に似ていなかったかね? もしかして彼の息子なのかい?」
颯太と隼人が同時にピクリと反応した。訝しげにちらっと隼人を見た後、颯太が口を開いた。
「彼は旭さんのお姉さんの息子さんで、旭さんの甥に当たる方です。幼い頃から一緒に育ってきた気のおけない仲なので、今回の件を依頼しました。やはり美人すぎるよく知らない芸能人相手よりずっとやりやすかったです」
「そうだな、お前の演技は素晴らしかったとヒロミ君も絶賛していたよ。その甥っ子さんという人もなかなか芸能人顔負けの美貌の持ち主だそうじゃないか。ハルカ君が事務所に引き込もうと必死になっていると聞いたよ」
颯太はヒロミに細々とした依頼を幾つかしていたのだが、そのうちの一つが旭の存在を隠すことだった。撮影に関わった関係者のほとんどはヒロミの事務所の人間で、偶然会った園田カレンも事務所の所属タレントだったため、ヒロミの責任のもと口止めしてもらっていた。旭と日向を案内したスーツ姿の社員も颯太の配下の者だったが、一応口止め料は払っていた。故に東十条社長と夫人は旭が撮影現場にいたことを知らず、撮影は全て日向が行ったものだと思い込んでいた。
(やっぱり育ての親とそういうシーンを撮影したと社長に知られるのは体裁が悪い。あらぬ誤解を招きなねないし。まあ実際誤解じゃないんだが……)
「その甥っ子さんは本当に芸能界に入る気はないのかね? すでにSNSではかなり人気のようだが……」
「お父さん、颯太だってSNSでかなり人気が出てますが、芸能人になるつもりはないでしょう? 彼だって同じですよ」
隼人が珍しく颯太の言いたいことを先に言ってくれた。再び訝しく思いながらも、颯太は黙って頷いた。
旭を表に出したくなかった理由の二つ目がまさにこれだった。日向に金を払ってまで悪い虫を追い払わせているのに、公共の電波に乗せて目立つような真似をさせるなんてもってのほかであった。
(俺があの人相手じゃなくても、妄想だけでいい表情ができたらなんの問題も無かったんだが。これだから童貞ってやつは……)
まあでも今回のことは結果オーライだった。CMは成功し、颯太は東十条社長の財布から旭に多額の資金を振り込むことができた。代理出産や颯太の十六年間の養育費がどれほどのものなのかは分からないが、毎月日向から渡してもらっている額も含めれば、本来旭が受け取るはずだった金額にだいぶ近づくのではないだろうか。
「そうそう、今日隼人を招いたのは、二つ目の仕事を二人に依頼するためだったんだ」
颯太は背筋を伸ばし、隼人の目にもようやく生気が戻ってきた。
「今度製薬会社の合同展示会が行われるんだが、そこでお前達に我が社のブースを任せたい。ちょうどCMにも出ていて印象付けられているはずだから、隼人は抑制剤のブースを、颯太にはあの香水の医薬品版である男性不妊治療薬のブースを担当してもらいたい」
(また難しい方の薬品担当か。しかしこれは仕方がないな)
「来場した医療関係者をブースに呼び込んで薬の説明をするんだ。あわよくばその場で契約を取る、それがお前達の仕事だ。ブースの呼び込みにはアテンドスタッフが必要だから、それぞれのブースに二人ずつくらいアルバイトを雇いなさい。オーエムジーに適任の子がいるはずだから、ハルカやヒロミに相談するといい」
隼人は何か言いたげにちらりと颯太を見たが、結局何も言わずに目の前の食事に視線を戻した。
(兄さんが旭さんのことを聞いてこないのは意外だったな。まあ自分も妾の子だし、夫人の前でこれ以上この話題に触れないのは賢明な判断だろう)
食事を終えて自室に戻った颯太は、すぐにヒロミに連絡を取ろうとスマホを取り上げたが、思い直して一旦画面を閉じた。
(オーエムジーに依頼すれば適任者を選んでくれるだろうが、ただスタイルのいい美男美女じゃ他のブースと変わり映えせずにインパクトに欠けるな。俺と隼人はCMに出演してる時点でその商品のイメージとつながっているから、立っているだけでも宣伝になる。それなら日向を使うのはどうだろうか? 隼人は本物の芸能人の園田カレンを使うことは経費的にできないだろうから、奴との差別化を図れるかもしれない)
普段から日向には世話になっているし、彼が働きやすいように相方には友達を選ばせてやろう。見た目のいいオメガという条件だけつけて、颯太は日向にアルバイト人員の調達を依頼した。
しかしまさか、日向がよりにもよって旭を選んで連れてくるとは!
「どういうことだ? 一緒に働きやすい友達を連れてこいって言っただろ? お前は旭さんと友達なのか?」
「一緒に働きやすい綺麗なオメガなんだから問題ないだろ? 旭じゃダメだなんて条件は無かったじゃないか。嫌なら最初から禁止しとけばよかったのにそうしなかったのは、お前も本心では旭に来て欲しかったからなんじゃないのか?」
日向の反論に颯太は一瞬言葉に詰まった。彼の言うことはもっともで、確かにホテルで再会して以来、機会があれば会いたいという気持ちが日に日に増していたのは事実だ。会うことを自粛していた時は抑えられていた気持ちがコントロールしにくくなっていたのを、颯太自身も自覚していた。頭ではダメだと分かっていても、心のどこかで無意識に日向が彼を連れて来ることを願ってしまっていたのかもしれない。
「それで結局セクハラされた上に、よく分からない小さな会社の社長にナンパまでされたそうじゃないか!」
「颯太は旭に対して異常に過保護過ぎるよ! 僕だってセクハラ紛いのやり取り何度もさせられたし、株式会社イブキの社長はナンパしたんじゃないよ! 僕も気になって一応旭には警告したし探りも入れてるけど、ちゃんとした信念を持って会社を運営していて、下心でオメガを雇ったわけじゃなさそうだ。旭だっていい大人どころか、僕たちより一回り以上も歳上なんだ。あんまり心配して干渉し過ぎるのはお互いのために良くないと僕は思う」
日向の言葉が颯太に強く響いたのは、颯太自身も後ろめたく思う部分があったからだ。日向を使って彼の出会いを邪魔した事や、なんの説明もせずにベッドシーン紛いのことをさせた事など、自分は既に旭の尊厳を踏み躙るような行いをたくさんしてきていた。
「……分かってる。俺のやってる事は自分勝手で、あの人の意思を全く尊重していない、恥ずべき行為だ。だけど、それでも、こうでもしなければ俺はあの人を手に入れられない」
日向は複雑な表情をした。憐憫のようでもあり、羨望のようでもあった。
「旭は今すごく楽しそうだよ。人生で初めて、生活のためじゃなくて、自分のやりたい仕事に就いて、崇高な目標を持って働けてる。それはお前のおかげだよ。お前の資金援助で借金を返して、お前がくれたきっかけのおかげであの社長に出会えた」
だからさ、と日向は視線を逸らしたまま続けた。
「お前は旭に対して後ろめたく思わなくてもいいけど、株式会社イブキに関しては邪魔しないでやってよ。社員も社長夫妻以外は全員オメガだ。心配する必要は無いと思う」
少し反省した颯太は、それから半年近く旭への干渉を自粛した。株式会社イブキの事は気が狂いそうなほど気になっていたが、確かに旭のようなオメガが働きがいのありそうな会社だと認めざるを得なかった。
(まあ、小さすぎて潰れるんじゃないかって心配はあるが、俺がいる限りそれに関しては全く問題ないわけであって……)
こうして旭にとっても颯太にとっても、忙しく充実して平和な半年が過ぎていった。東十条社長が再び本邸に隼人を招集するまで、その長いようで短い平和な日々が続いたのであった。
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