第28話
CM撮影の当日、颯太は一睡もできずにむくりとベッドから起き上がった。普段勉強に部活に多忙な颯太はベッドに入った瞬間泥のように眠るのが日常だったが、翌日の撮影のことを考えるとアドレナリンが異常に分泌されているのか、目が冴えて全く眠りにつけなかった。
(四年間も接触を控えていたってのに、まさかこんな形で再会することになるなんて……)
日向からは旭も撮影を承諾した旨の連絡を受け取ってはいたが、隠していることが多すぎて、不安と後ろめたさに颯太は憂鬱な気分を振り払うことができなかった。
(なんの説明も無いままで、あの人は本当にバスローブ姿でベッドに横になってくれるだろうか? 仮にそうしてくれたとして、撮影が終わった後に俺のことをどう思うだろうか? 騙されたと思って怒るだろうか? それで嫌われてしまったら本末転倒だ。でもだからといってこのタイミングで本当のことを打ち明けるのも違う気がする。まだ俺は何も手に入れていない子供のままだ。告白するには時期尚早すぎる)
睡眠時間は全く足りていないはずなのに、気味が悪いくらい頭がはっきりと冴えていた。これは確実に後からボディーブローのようにツケが回ってくるに違いない。
(それでもいい。今日一日撮影を乗り切れれば、その後三日間ぶっ倒れたって問題ないんだ)
このCMの出来が、今後の颯太の人生を左右する第一手となり得るのだ。緊張感に背筋が伸びる一方で、ついつい私的で余計なことも考えずにはいられなかった。
(何度も妄想したけど、実際に押し倒すんだ……)
念には念を入れて、確実に自分のラットサイクルは外しているが、ベッドの上の旭を想像しただけで下腹が熱くなるのを止められなかった。
(勃たない自信がない。でも勃ってるのがバレたら最後、絶対気持ち悪がられるに決まってる)
男というのは基本的に繊細な生き物だ。何事にも動じなさそうな颯太とて例外ではない。好きな人に虫けらを見るような目で見られたら確実に傷つくだろう。
(下心剥き出しの表情をカメラに撮らせつつ、当の本人には下心があることを絶対バレないように……って、そんな芸当本当に俺にできるのか?)
だがやるしかない。そして何よりも自分がそれを望んでいる。その先に進めないのは非常に残念なことだが。
ヒロミから準備オッケーの合図をもらった颯太は、ホテルの部屋の前で一度深呼吸した。深く息を吐いても手の震えを止めることはできなかったが、躊躇している時間は無かった。自分自身も常に多忙な身だったが、あまり時間をかけると不審に思った旭に逃げられる可能性があった。状況が分からず戸惑って彼が動けずにいる今のうちに、素早く片をつける必要があったのだ。
ガチャリと扉を開いた瞬間、懐かしいフェロモンが鼻腔を突いて、颯太は一瞬眩暈がした。旭や日向の安全確保のため、撮影スタッフは全員オメガ性の人間で揃えてもらっていたが、混じり合っていても旭のそれを颯太は素早く嗅ぎ分けることができた。
(旭さんだ……)
感じると同時に、颯太の下半身は一瞬でいきり立った。部屋の空気が変わり、オメガ達に緊張が走ったのが分かった。興奮したアルファのフェロモンは分かりやすく暴力的なので、オメガ達が警戒するのは当然のことであった。
(まずいな、さっさと終わらせないと)
颯太はつかつかとベッドに歩み寄った。ベッドの上には布団を顎のところまで引き上げ、ぎゅっと目を瞑った人物が縮こまって横たわっていた。一瞬動きを止めて見下ろした後、颯太は勢いよく彼が握っている布団の端を掴んで引き剥がした。
バスローブ姿が露わになり、恐怖に見開かれた目と一瞬視線が合った。すぐにまたぎゅっと固く目を瞑ったため相手が颯太だとは気付かなかったようだ。頬を赤く上気させ、瞳を潤ませた姿があまりにも官能的で、颯太は一瞬我を忘れて旭の両腕を掴んでベッドに押し付けた。
「いいから!」
颯太の声に旭がビクリと反応した。
「落ち着いて、旭さん」
旭に向かって言ったセリフだったが、自分自身に向けた言葉でもあった。このまま覆い被さってキスしてしまいかねない自分を抑えるため、颯太は旭の腕を押さえつけている腕に力を込め、肘を曲げないように必死で踏ん張っていた。額に汗がびっしりと浮き上がり、頬を伝って流れ落ちている。今鏡で自分の目を見たら、興奮と睡眠不足で血管がびっしり浮き上がっているに違いなかった。
「はい、カーット!」
ほんの一瞬だったが、永遠のように長い時間だった。拷問なんて生ぬるい、煉獄とはまさにこのことか。これ以上は頭が回らず、何も考えられなかった。慌てて部屋を飛び出すと、颯太はすぐにラウンジの奥のトイレに駆け込んだ。個室の内側から鍵を閉め、プライベートな空間を確保してからようやく大きく息をつく。
(……凄かった)
妄想していたよりもずっと妖艶で瑞々しく、美しい姿だった。あの状態で理性を保てた自分を褒めてやりたいくらいだ。まるでラット時のように下半身に血液が集中して体が熱かった。先程の旭が乱れ、自分の下で喘いでいるところを想像しながら、颯太は一瞬で自慰を終わらせた。
(……はあ、童貞って難儀なものだ)
ヒロミからすぐにスマホにメッセージが入っていた。
『完璧オッケーです! 素晴らしい表情でした』
颯太は安堵のため息をつくと、個室を出てそのまま地下駐車場の送迎車まで歩いて行った。彼のお抱え運転手は、出て行った時とは別人のように疲れ切った様子の颯太に驚いて慌てて後部座席のドアを開けた。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫です。家までお願いします」
しかし家まで意識が持つはずもなく、眠気を誘う車の揺れと振動、心地よい温度に包まれて、颯太は運転手に起こされるまで車内で爆睡していたのだった。
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