第27話
「はい! じゃあ東十条颯太さんのカット行きます! さん、に、……」
颯太がホテルの部屋の扉を開けると、三つのカメラのうち正面の一つが彼の姿を捉えた。ヒロミの他にアシスタントが三人待機して颯太の動向を見守っている。颯太は無表情で傍目には堂々として見えたが、内心冷や汗をかいていた。
(これは……普通に緊張するだろ!)
だが自分はCM制作に関してはずぶの素人だ。隼人に対抗するにはプロのヒロミを信じてCMを成功させなければならない。そのために彼は恥も外聞もかなぐり捨てて、雄のアルファの表情を地上波に晒す必要があった。
「カット!」
撮影された映像をチェックしていたヒロミの表情が曇った。
「うーん、颯太さん、ちょっと無表情すぎるわね。もうちょっと切羽詰まった表情が欲しいわ」
「切羽詰まった表情?」
「こう、ヤリたくてしょうがないって感じの表情よ!」
「……私は素人ですので」
「もっとルミカをよく見て! こんな可愛い女の子がベッドにバスローブ姿で寝転んでるのよ! なんか色々妄想しちゃわない?」
「それは彼女に対して失礼なのでは?」
「颯太さんって硬派なんですね」
西野ルミカは明らかに颯太に好意があるようで、ベッドから起き上がると媚びるように小首を傾げた。
「もっと胸元はだけましょうか? 私一応グラビア上がりで、胸には自信あるんです」
「いえ、そこまでしていただかなくても……」
「それか、ちょっと別室で交流してからにしますか?」
「え? どうしてですか?」
ルミカは明らかに颯太のことを誘ったのだが、颯太は全く気が付かずに疑問で返した。彼女は今まで男性の方から言い寄られた経験しかなかったため、ここまで自分に関心の無い颯太に流石にイラつき始めた。
「この状況でエッチな目で見れないって言われる方がよっぽど失礼ですよ!」
「ですから私はプロではありませんので……」
「演技じゃなくて、自然な表情でいいんですよ。普通の男性が抱くような、ごく普通の……」
「これが普通なんですけど……」
突然西野ルミカが立ち上がった。グラビア上がりの彼女にとって、颯太の態度はこれ以上ないほどの侮辱行為であった。
「もう結構です! こんな特殊性癖の方となんかやってられません! 辞退させていただきます!」
「ちょっとルミカ!」
カンカンに怒った西野ルミカは、ヒロミの静止を振り切って、バスローブ姿のまま部屋を出ていってしまった。
「ちょっと! 契約はどうするつもり?」
「すみませんヒロミさん、私が不甲斐ないばかりに」
「こちらこそ申し訳ありません。あの子もプロなんですから、もうちょっと堪え性がないといけないんですけど。あの子、颯太さんのこと好きだったんだと思います」
「そんなことはないでしょう」
「いいえ! 芸能界でたくさんのイケメンを舐めるように見てきたあたしが保証しますわ! 颯太さんの魅力はトップクラスですよ。プロの女優のあの子が本気になっちゃうのもわかる気がします。あたしも抱いて欲しいくらい」
(今日初めて会ったばかりなのに?)
人生をかけて恋心を育ててきた颯太には全く理解不能だったが、とりあえず現状困ったことになってしまった。
「今日の撮影が中止となると、日数的に工程が厳しくなりますね。そもそも颯太さんは多忙でなかなか時間が取れない方ですし、ホテルを抑えるにも女優のスケジュールを合わせないといけませんし。あっ新しい子を探さないと! ルミカ以外で相応しい子となると……ああ、東十条社長になんて申し開きすれば……」
予定が完全に狂ってしまって頭を抱えているヒロミの肩を、颯太が申し訳なさそうにぽんと叩いた。
「社長には私から説明させていただきます」
「そんな理由で辞退だなんて、自分勝手にも程があるわ! しかも颯太のことを特殊性癖だなんて、名誉毀損で訴えましょう!」
憤る東十条夫人を颯太が慌てて宥める。内心顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。
「いえいえ、そのような必要はありません。相手はプロとはいえ人間同士の仕事ですから。若い女の子にそんな大人気ない対応を取る必要は……」
「しかし颯太は素人なんだ。そんなすぐに結果が出ないからって怒って出ていくなんて、少し甘やかしすぎなんじゃないのかね?」
「ほんっとうに申し訳ありません! 確かにプライドの高い子は多いですが、彼女は本来もっと賢い子なんです。かっこよくて魅力的な颯太さんのこと気に入ってて、自分をそういう目で見てもらえないことに憤ってしまって……」
「ふむ、隼人と熱愛報道の噂のある園田カレンに対抗意識があるのではないかな?」
「それも十分あり得ます」
なるほど、と颯太は感心して東十条社長を見た。悔しいがそこまで考えが及ばなかった自分はまだまだこの男には敵わないのだと悟った。
「それで、颯太はどうするつもりなんだ? ヒロミは代替の女優を探すと言っているが、お前に何か考えはあるのかね?」
来た、と颯太は背筋を伸ばした。ここに来てようやく自分の意見を述べる機会を得たのだった。
「自分は素人ですのでヒロミさんに助けていただきたいのですが、自分でやってみたい部分もあります。少し相談させていただけないでしょうか?」
「ふむ、西野ルミカは私がお前にちょうど良さそうだと思ってヒロミに勧めた女優だったんだが、上手くいかなかったようだし自分で考えるのが良さそうだな。西野ルミカのギャラを二千万で見積もっていたから、その金額を参考に自分で選んでみなさい。一千万くらいの誤差なら許そう」
「ありがとう颯太さん! 本当に助かったわ。もう十年くらい寿命が縮まった気分よ」
「こちらこそ、余計な手間をおかけして申し訳ありません」
ヒロミと颯太は打ち合わせのためにアズマ製薬の本社の会議室に移動していた。
「よく考えたら誰かに決められた女性にときめきなさいなんて無理な話よね。私の裁量不足だったわ。さあ、どの子が好みかどーんと選んじゃって!」
ヒロミは自社の女優の宣材写真を束ねた分厚いファイルを颯太に差し出したが、颯太は首を振って受け取らなかった。
「ヒロミさんや父が悪いんじゃありません。西野さんが言ったことがある意味正しいのかも知れません。俺はどんなに綺麗でスタイル抜群の女性がベッドにいても、いい表情はできないと思います」
「あら、颯太さんの好みはもしかして男性ですか? それだったらオメガ男性のファイルもあるからそっちを渡しますよ」
新しいファイルをカバンから取り出そうとするヒロミの手を颯太は慌てて押さえた。
「違うんです。いや、確かにそうなんですけど、そういうわけじゃなくて……俺は今までの人生で一人の人間にしか欲を感じたことがないんです」
ヒロミの目がキラリと光った。
「……恋バナかしら?」
「お話する気はありません」
「ええ〜減るもんじゃないし。でもまあ、そういうことなら仕方ないわ。一途なんですね、颯太さん」
そう、一途なのだ。こんなに一途な人間が果たして他にいるのだろうか? 生まれた瞬間から一人の人間しか愛したことのない人間など。
「じゃあ、そのお方にお願いしてみるのはどうでしょうか?」
「芸能人とかじゃないんですけど、大丈夫なものですか?」
「颯太さんも芸能人じゃないでしょう? 大金を払ってもらう以上クライアントの要望は絶対ですからね。まあうちの子を使わないとなるとハルカはいい顔はしないでしょうが、あたしは未来の社長候補とは良好な関係を構築しておく方が得策だと思いますから」
「それでしたら、西野さんにお支払いするはずだったギャラの半分をヒロミさんにお支払いするので、事務所のタレントでない人間を使ったCM撮影に協力していただけないでしょうか?」
「うちはルミカにギャラを支払わなくていい分儲けは大きくなりますが、まさか一般人に一千万も支払うんですか?」
驚くヒロミに向かって颯太は首を振った。
「一千万は流石に多すぎると思いますが、ちょっと事情があって協力者が必要なんです。それから、撮影に関してヒロミさんにお願いがあります」
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