第26話

「今日は大事な話があって、隼人にも同席してもらうことになった」

 夕食時、ナイフとフォークを器用に使いながら東十条社長が言った。兄の東十条隼人は普段は実母と一緒に別邸で暮らしているが、何か用事があって呼び出された時はこのように本邸で顔を合わせることになる。実母とはもちろん東十条社長の妾の一人であった。

 アズマグループの継承を目論む颯太にとって、この兄は当然邪魔な存在であったが、レールの敷かれた順風満帆な人生を送っていたはずの隼人からしても、突然現れたこの正妻の息子だと言う弟は、邪魔などころか今すぐにでも消し去りたいほど憎い存在であった。

 とはいえ二人とも未来の社長候補として、節度をわきまえた人格者である必要があった。少なくとも人格者であるフリはする必要があったため、表立ってお互いに何か仕掛けるということはなかった。特に父親である社長の面前で、険悪な仲を露わにするような真似などもってのほかであった。

「今度新しく市場参入を図る男性不妊治療薬のCMを作成することになったのだが、それに伴って抑制剤のCMも刷新することになった。ちょうど新しいCMを二種類作成することになったから、お前たち二人にCM出演を依頼したい」

 颯太と隼人はさっと身を引き締めた。おそらく東十条社長は、CMの出来具合を今後の判断材料にするつもりだ。どちらの息子が後継者に相応しいかテストするつもりなのだろう。

「それで、お前たちのどちらがどっちの薬のCMに出るべきか、お前たちの意見も踏まえて考えたいと思ってな」

 颯太が何か言う隙を与えず、隼人が素早く口を開いた。

「私はお父さんと一緒に抑制剤のCMに出たことがあります。つまり今回は私一人で出演するということでしょうか?」

 颯太は無表情だったが、内心歯噛みしながら隼人を睨みつけていた。

(こいつ、当たり前のように抑制剤を取りやがったな)

 抑制剤はアズマ製薬の目玉商品で、言うなれば最も売れている薬だ。CMも何度か刷新されつつ長いこと続いていて、要は人を変えるだけで大筋を変える必要はほとんどない。抑制剤のCMに出る権利を得るということは、楽に勝利を掴み取るのとほぼ同義であった。

「隼人さんは抑制剤のCMに出たことがあるんですから、むしろ今度は別の薬のCMに出た方が、どちらのCMも新鮮な印象を与えていいんじゃないかしら?」

 颯太の強力な後ろ盾である東十条夫人が早速援護射撃を試みた。

「うーん、しかし隼人は私と一緒に何度か抑制剤のCMに出ているから、視聴者にはその印象が根付いているはずだ。私としては新しい薬のCMには新顔の颯太が相応しいと思っているんだが」

 夫人の援護も虚しく、颯太は発言の機会すら与えられず、この件には早々に決着がついてしまった。隼人の顔に微かに喜色が浮かぶのを、颯太は黙って見て見ぬふりをするしかなかった。

(俺たちの意見を踏まえる気なんて最初から無かったんじゃないか)

「新しいことに着手するのは勇気がいるが、自分で作り上げる楽しみもある。馴染みの芸能事務所に話をつけておくから、とりあえず自分で思うようにやってみなさい」


「初めまして。オーエムジー芸能事務所のヒロミです。東十条颯太さんですね?」

 オネエという人種を見るのは初めてだったので、颯太は少し緊張しながらヒロミと握手した。

「ご協力ありがとうございます。私はこのような活動をするのは初めてで分からないことだらけですので、どうぞよろしくお願いします」

「いえいえ。うちの事務所がここまで大きくなれたのは、アズマグループ様とのご縁があったおかげですから」

 ヒロミはオーエムジー芸能事務所の社長であるハルカの弟で、立ち上げ時から事務所を支える最も古株の社員の一人だった。

「事務所を立ち上げた頃は人手もお金も全然なくて。あたしこう見えてメイクや衣装はもちろん、撮影の現場監督までできちゃうオールラウンダーなんですよ」

「それはすごいですね」

「まあ大船に乗ったつもりで、どーんとあたしに任せちゃって下さい!」

 ヒロミは得意げに胸を張ると、早速机の上に置いてあった香水の瓶を持ち上げてしげしげと眺めた。

「東十条社長が出演されていた抑制剤のCMはずっと社長のハルカが担当していて、あたしもずっとアシスタントとして現場に入っていたんですが、正統派で真面目な医薬品のCMって感じでしたね。今回も多分変わらず真面目一徹なCMで来ると思うから、こっちは逆に砕けた感じにした方がインパクトがあって、印象に残りやすいと思いますよ」

「それはそうかもしれませんが、薬のCMって硬派な印象のものが多い気がします。悪目立ちすると良くないのでは?」

「まあでも今回はアズマ製薬が男性不妊治療薬の開発に力を入れていることを宣伝するのが目的で、この商品は薬というより薬の成分を使用した軽い媚薬みたいなものですよね? 実際の薬はまず医療関係者の間で普及させてから一般向けに訴求するって聞いてますよ。だったらもう薬というより香水のCM風に作っちゃっていいと思います」

 香水のCMと聞いて、颯太は少しげんなりした。

(香水のCMといえば、大人の雰囲気で性的な印象を受けるものが多い気がする。俺にそんな演技をしろっていうのか? プロの芸能人じゃあるまいし、薬の箱を持って棒読みで説明するくらいしかできそうにないんだが……)

「東十条社長から二千万から三千万くらいの予算を伺ってるんですけど、うちの売れっ子の西野ルミカなんてどうでしょう? 颯太さんの好みに合いませんか?」

「ヒロミさんにお任せしますよ」

 誰が来ようと同じことなので、颯太は西野ルミカが一体何者なのか考えもせず、適当に生返事をした。


 西野ルミカは目のくりっとした小動物のような女性で、小柄だが胸は大きく、世の男性陣が放っておくはずのない容姿の持ち主だった。

「西野ルミカです! よろしくお願いします!」

「彼女は園田カレンの後輩でしてね。あっ園田カレンはもちろんご存知ですよね? うちの看板女優で、抑制剤のCMの方に何度か出演させてもらってるんですよ。ルミカは彼女ほどの知名度はありませんが、今うちで一番勢いのある新人女優なんですよ」

「カレンちゃんと比べられた恥ずかしいですよ〜。とっても仲良くしてもらってて、憧れの女優さんなんです」

 たしかに可愛らしい女性だが、自分が可愛いことを十分理解していて、今までチヤホヤされて生きてきた女性特有のあざとさが鼻について、颯太はあまり好感を持てなかった。

「颯太さんは演技やったことある人じゃないから、セリフとかは全く無しで、そのパーフェクトな容姿とちょっとセクシーな表情だけ撮影できたらいいので」

「セクシーな表情?」

 それが一番難しいのではないか、と颯太は無表情のまま内心独りごちた。

「心配ご無用! ベッドに横たわってるルミカを押し倒して見下ろすアングルが欲しいんですけど、そんな状態になったら誰だってセクシーな表情になりますから!」

「え……」

「きゃ〜! こういう撮影ってやっぱり何回やっても恥ずかしいです〜」

「ルミカはプロなんだから、しっかり頼むわよ」

 ルミカは頬を染めながら上目遣いにちらっと颯太を見た。この女相手にベッドシーンまがいのことをしなければならないと考えるだけで颯太はげんなりしていた。

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