第25話

 颯太が旭の元を離れて四年の月日が流れた。

 彼は格闘技系の部活に入って体を鍛えつつ、寝る間も惜しんで勉強した。幸い親の財力で有能な家庭教師を教科ごとにつけてもらい、効率的に受験勉強にも取り組めたため、国内最難関の私立大学に合格することができた。兄の東十条隼人も同じ大学に在籍している。アズマグループの後継者となるためにはここの大学進学は必須条件だったため、まず第一関門は突破したことになる。

 勉強に部活に目が回りそうなほど忙しい毎日を送っていたが、片時も旭のことが頭から離れることはなかった。

(あの人は元気にしているだろうか? 俺が日向に渡してる金だけでやっていけてるか? 変な虫はついていないだろうな?)

 日向からの定期連絡で、彼がマッチングアプリに登録したこと、約束通り日向がその相手を撃退したことは知っていた。颯太はその話を聞いた時冷や汗をかいたが、同時に美しく妖艶な若い日向を監視役につけた自分の手腕に拍手喝采した。

(旭さんがいくら魅力的でも、日向がそばにいる限り大抵の雄はそっちに目移りするはずだ。第二の性はより野生的で本能に忠実な性だから、オメガを狙うアルファは当然生殖能力の高い、より若いオメガのフェロモンに惹きつけられる。若さを上回るあの人の魅力を理解できるアルファなんて俺くらいのものだろう)

 しかし、夏の暑い日に日向から入った一本の電話が、そんな颯太の慢心を打ち砕くことになった。

 その日はとても暑く、部活を終えた颯太は疲れ切った体を引きずりながら学校を出るところだった。迎えの車が停めてある場所まで歩いて行く途中、カバンの中でスマホが震え、人間の耳に届きやすいよう工夫された鋭い着信音が響いた。颯太は日向からの着信は必ず取れるように、他の人間のものとは着信音を変えていた。他の人のはいたって普通の、デフォルトで設定されているような着信音にしていたが、日向からの着信の場合、黒電話のようにけたたましい音が響くよう設定してあった。

「はい」

「緊急事態!」

 日向の切羽詰まった様子の声に、颯太は一瞬で緊張状態に入った。

「どうした?」

「旭に男が言い寄ってきた!」

「どういうことだ? いつもみたいにお前じゃ撃退できないのか?」

「それが、相手は僕の大学の後輩で、僕が急に態度を変えたりしたら絶対怪しまれるって!」

 日向の言葉に颯太は眉をひそめた。

「大学の後輩って、一体幾つなんだ? 俺とたいして変わらないくらいだろ? あの人からしたら子供みたいな年齢だ」

「それが、今日旭が熱中症で倒れたんだけど……」

「おい! 倒れたってどう言うことだ? 大丈夫なのか?」

 颯太が焦って思わずスマホに怒鳴ると、日向もイライラと怒鳴り返した。

「大丈夫だって! 一応点滴打ってもらってるけどピンピンしてるから! それより田中君だよ! どうするのさ! 彼本気みたいだよ。結婚を前提に付き合ってもいいとか言ってるし」

 ミシ、と颯太がスマホを握る手に力が入った。

「……大学生のガキの戯言だろ?」

「自分だって田中君と同い年のくせに! 彼ちょっと変わってるけど、今まで彼女がいたとこ見たことないし、どっちかっていうと誠実で硬派なタイプだよ。口から出まかせは言わないと思う」

 考えている余裕はなかった。一瞬動揺したが、すぐに自分を取り戻した颯太は迅速に決断を下した。

「分かった。俺が行く」


「友人が入院したらしい。お見舞いに行きたいから、帰りに病院へ寄ってくれ」

 運転手にはそう伝え、病院の地下駐車場で降ろしてもらった。運転手には車で待機させ、颯太は地下エレベーターから病院に入ると、病室には入らず一階の正面玄関から外に出た。

「颯太! こっち!」

 正面玄関のすぐ横で待機していた日向がすぐに颯太を見つけて手招きした。

「ずいぶん早かったじゃん」

「あの人と例の男は?」

日向は四階の窓を指差した。

「二人ともまだ病室だよ。田中君は出てくるのにもうちょっとかかると思う」

「なぜだ?」

「僕の機転で足止めしておいたから」

 旭と他の男が同じ空間に二人きりでいると想像するだけで気が気でなかったが、颯太は軽く深呼吸して心を落ち着かせた。

「それで、そういえば詳しく話を聞いてなかったが、一体何があったんだ?」

「駅のホームで熱中症で倒れた旭を、たまたま居合わせた田中君が助けてくれたのがことの発端だよ。僕が病室に着いた時、田中君はまだ付き添ってくれてて、なんか話の流れで付き合って欲しい? みたいなことになっちゃって……」

「初めて会ったのにいきなり交際を申し込むなんて、お前が知らないだけでかなり手慣れたやつなんじゃないか?」

「うーん、そうは思えないんだけど……あ! 出てきたよ! あれが田中君だ」

 病院の正面玄関から出てきた長身の男性を指さしながら、日向が小声で叫んだ。

「どうするつもり?」

「俺が行って話をつけてくる」

「ちょ、暴力反対! ケンカはダメだよ!」

「話をつけるって言っただろ」

 そうは言っても颯太のあまりの剣幕の鋭さに、日向は彼が優二を再起不能になるまでボコボコにするつもりなのではと気が気でなかった。

 颯太は大股で優二の方に歩いて行くと、何も言わずにいきなり彼の進路を塞いだ。いい感じの相手に出会って浮かれ気分だった優二は、突然鋭い目つきのガタイのいい男に行手を阻まれて、さっと顔をこわばらせた。

「……あの、なんでしょうか?」

「田中優二だな?」

 知らない相手に鋭い声で自分の名前を呼ばれて、優二の警戒心が最上限まで引き上げられた。

「どちら様ですか? どうして俺の名前……」

「旭さんから手を引いてもらいたい」

「えっ?」

 優二は驚いて相手の顔をまじまじと見た。

「旭さんって、村上旭さんの事ですか? 手を引くって言うのは……」

「今すぐスマホから旭さんの連絡先を削除して、二度とコンタクトを取るような真似をしないでいただきたいということだ」

「どういうことですか? あなたは旭さんの元彼か何かですか?」

「なんだっていいだろ。いいから俺の言う通りにしてもらおうか」

 一方的な言い分に、優二は恐怖を覚えつつも納得いかずに反論した。

「それじゃ納得いきません。あなたが旭さんの恋人なら分からないでもないですが、なんの関係もない人に交友関係を阻害される筋合いはありませんよ。そもそも今日会ったばかりで友達と呼んでいいかすら怪しい関係なのに、まるで恋敵みたいに敵視される理由も分かりませんし」

「下心が全くないなんて言葉は信じないぞ。あの人に気があるんだろ? 立派な敵じゃないか」

「なら尚更勝負する前に引くわけにはいきませんね」

 若いアルファ二人がフェロモンを爆発させ、隠れて二人の様子を見ていた日向はその勢いの凄まじさに危うく失神しそうになった。

(こ、これがアルファ同士の本気の威嚇か。半径三メートルくらいは影響が出てそうだな。オメガの僕にはかなりこたえるけど、まあ殴り合いになるよりはましか)

 傍目には睨み合ってるだけにしか見えなかったが、微動だにしない颯太に比べて優二は肩で息をしており、顎の先から汗が滴り落ちている。明らかに優二の方が劣勢のようだ。物理的に攻撃し合っているわけでもないのに、この差は一体どこから来るのだろうか。

(同じアルファでも、颯太の方が格上だということなのか……)

 ついに耐えきれなくなった優二が片膝を地面についた。颯太は冷や汗一つかいていなかったが、軽く息を吐き出すと冷たい目で優二を見下ろした。

「スマホのロックを外せ」

 縄張り争いや雌をめぐる争いに敗れた野生動物がそうであるように、アルファ同士の力量差で敗れたアルファは潔く去らなければならない。優二は歯を食いしばって颯太を睨みつけると、スマホの画面を指先でなぞって颯太に差し出した。

 颯太は素早くスマホを優二の手から奪うと、先ほど交換したばかりの旭の連絡先を削除した。念のため履歴も確認して、旭の痕跡が全く無いことを確認すると、ようやく満足気にスマホをポンと投げて返した。

「俺は産まれた瞬間からあの人のことを愛していて、あの人からも愛される存在だった。そうやってずっと今まで生きてきたんだ。今日会ったばかりのお前なんかが入り込める隙なんて一ミリも無いんだと理解して欲しい」

 そう言い捨てると、颯太は優二にくるりと背を向けて、自信に満ち溢れた足取りでその場を去って行った。

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