第23話

 東十条夫妻に引き取られることが決まり、颯太は一週間後には新しい家に引っ越して旭の元を離れることになった。彼には引っ越し前に片付けなければならない問題が二つあったが、その猶予は一週間しか無いというわけだ。

 一つ目の問題の解決は簡単だった。夫妻に会ったその日、朝子に家から閉め出された颯太と日向は、特に行くあてもなく並んでぶらぶらと歩いていた。日向はかなり不満そうだったが、颯太にとっては願っても無いチャンスだった。

「どうする? 男二人でカフェでも入る?」

 投げやりにそう言った日向に向かって颯太は首を振ってみせた。

「いや、大事な話がある。日向を見込んで頼みたいことがあるんだ。他人に聞かれたい話じゃないから、うちに来てくれないか?」

「お前ん家に? 今から?」

「ああ、頼む。時間がないんだ」

 日向は訝しげに眉を顰めたが、滅多に頼み事などしないこの歳下の従兄弟の切羽詰まった雰囲気に押されて、颯太について家まで来てくれた。

「さっき聞いたと思うが、俺は来週よその家に引き取られることになった」

 自宅に着いた途端、颯太は開口一番そう切り出した。日向は一応客人であるにも関わらず、余裕のなさそうな颯太の代わりに勝手にお湯を沸かして二人分のコーヒーを入れた。

「その話な。今でも信じられないよ。お前が旭の子供じゃなかったなんて。母さんも知ってたみたいだけど僕たちには何も言ってくれなかったもんな」

 日向はコーヒーカップを颯太の前に置くと、自分の分のカップを抱えて颯太の前に腰を下ろした。

「で、頼みって一体何なんだ?」

「俺がいなくなったらすぐに俺の部屋に引っ越して、旭さんを見張って欲しいんだ」

「え、何だって? 今見張るって言った?」

 日向は驚いて聞き返したが、颯太は自分の発言には何の問題もなかったかのように平然としている。

「あの人に変な虫が付かないように監視して、少しでもアルファの影が見えたら関係が進展する前に潰してくれ」

「ちょ、ちょっと待って」

 日向は颯太が何やら物騒な発言をし始めたので、焦って一旦止めに入った。

「どういうこと? 何でお前がそんなことを僕に頼むんだ?」

「報酬は弾むよ」

「そういう問題じゃなくて!」

 日向が流石に語気を強めると、颯太は少しばかりしゅんとしたように項垂れた。

「……俺、あの人の事が好きなんだ」

「……え、好きって、もしかしてそういう意味の……?」

「恋慕的な意味の」

 日向は心底驚いた。確かに颯太は旭にだいぶ懐いていて、ちょっとファザコン気味なんじゃないかとは思っていたが、まさかそんなふうに思っていたとは。

(そういえばこいつ、中学生の時全然友達と遊ばなくて、理由を聞いたら一度家に連れてきた友達が旭を変な目で見てたからだって言ってたな。なんか友達いないことに対するよく分からん言い訳だと思ってたけど、本当の事だったのか……)

「ま、まあ、お前らは実際血のつながりはないわけだし、ちょっと年齢差はあるけど別に問題ないんじゃないか?」

「そう思うなら協力してくれるか?」

 思わず首を縦に振りそうになった日向だったが、すんでのところではっと思い止まった。

「いやいやおかしいだろ。そんなふうに変に手回ししなくたって、好きだって素直に伝えればいいじゃないか。何でコソコソ旭の交友関係を監視する必要があるんだよ?」

「じゃあ聞くけど、お前今まで自分の子供だと思って育ててきた高校生のガキが、いきなり好きですって告白してきたらどうする?」

「えっと……それは……」

「急にそいつに対する見方や感情を切り替えられると思うか? 俺はそうは思わない。今告白なんてしようものなら、玉砕することは火を見るより明らかだろ。一人の男として、恋愛対象となりうるアルファとして見てもらうために、俺には時間が必要だ。ちょうど第二の性の発現期に入ったばかりだから、見た目は二、三年でだいぶ大人に近づくはずだ。大人として見てもらうためには経済基盤を整える必要もある。アズマグループの継承は必須条件だ。そこまで達成するにはかなり時間が必要だが、その間にあの人が他の誰かとくっついてしまったら元も子もない。再会した時別人くらいの印象を持って欲しいから、俺はあの人からどうしても距離を取る必要がある。協力者が必要なんだ」

 かなり自分本位な言い分ではあったが、颯太の真剣な様子に日向は批判の言葉を口にできずにいた。

「日向、お前時間と金が必要だろ?」

「え? 唐突に何の話?」

 急に話題が変わって自分の話になったため、日向は混乱して思わず聞き返した。

「言ってただろ、将来は弁護士になりたいって」

「ああ、それはそうだけど……」

司法試験の受験資格を得るには司法予備試験に合格するか、法科大学院を修了する必要がある。法科大学院ルートを選択すれば、難易度の高い司法予備試験を受けなくていい代わりに高額な学費を支払わなければならない。日向は当然司法予備試験ルートを選択するつもりだったが、どちらにせよ出費の多い大学生活においてアルバイトは必須だったし、勉強時間も確保しなければならない日向は確かに時間と金が必要ではあった。

「俺に協力してくれるなら、法科大学院に行けるだけの学費を保証する。時間を取られる割に薄給なアルバイトをするよりよっぽど稼げるし、司法試験勉強の時間も十分確保できるぞ」

「どうやって? 東十条夫妻がお前のわがままのためにお金を工面してくれるとでも?」

 日向は皮肉のつもりで言ったのだが、颯太は真剣な表情で首を振った。

「東十条家に引き取られることを承諾すれば、月四十万自由に使える金を渡すと言われた。次期後継者としてそれくらいの小遣いが相応しいのだと。要は金で釣るつもりってわけだ」

「よ、四十万?」

「俺が転入することになる高校では、在学生は大手企業や財閥の御曹司ばかりでみんなそれくらいの小遣いをもらっているから、俺もそうでないと仲間に入れないとも言われた」

「へ、へえ……」

 住む世界が違うとはこういうことか、と日向は半分呆れつつ半分感心していた。

「そこから毎月お前に給料を出す。法科大学院の学費が二百万くらいとして、月五万づつ貯めれば四年間で学費分くらい貯まるんじゃないか? お前には月十万渡すつもりだが、旭さんの家に間借りするなら家賃もいらないし、残り五万で生活費は賄えるか?」

「そりゃ、十分だけど、流石にタダで間借りするのは……」

「言い忘れてたが、お前には月二十万渡すから、旭さんに家賃としてそのうちの十万を渡してくれ」

「えっ? 十万? なんでそんなに渡すんだ? ていうかどうやって旭に説明するんだよ? 絶対怪しまれるって!」

 日向の訴えに、颯太は視線を少し下げた。

「あの人が心配なんだ。俺がいたせいでまともな仕事に就けなくて、借金もまだ残ってるし散々苦労かけただろ? アズマグループを掌握したらあの人を玉の輿に乗せられるけど、そんなのいつになるか分からない。できることは今から始めていきたいんだ。少しでもあの人を経済的に支援したい。週五日運転手兼家庭教師のアルバイトをしてて、家賃補助が出るんだとでも言っといてくれ。俺が秘密裏に家庭教師をお前に頼んでるって、おばさんには俺から言っておくから」

 かなり無理のあるアルバイト設定だと思ったが、日向は頷かざるを得なかった。

(僕の家に来る前に東十条夫妻とばったり出会って、立ち話したのはせいぜい三十分くらいのはずだ。普通自分の親が別人だったと知ったら、色んな感情が溢れて落ち着いて冷静になんていられないんじゃないか? それなのにこいつはこの短い間に色んな情報を整理して策を練って、金の使い道まできっちり考えてくるなんて……)

 本気なのだ。日向は改めて理解した。こいつは、颯太は本気で旭を落とすつもりなのだ。

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