第22話

「……え?」

 一瞬何を言われているのか分からなくて、旭はポカンと颯太の秀麗な顔を見上げていた。颯太は相変わらず表情を変えることなく、旭の隣に腰掛けて視線を彼と合わせた。

「この部屋は朝から俺が借りてたんです。薬が部屋に充満するのには時間が必要なので、約束の時間はお昼にしたのですが、旭さんが思ったより早く来たので、薬の効きが十分ではなかったかもしれません。あなたに抵抗する力が残っていたなんて…」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 旭は狼狽えて微かにソファの端へ後退りした。

「何言ってるんだ? どうしてお前が俺に薬を盛ったりするんだ? お前に一体何のメリットが……」

「だから言ったじゃないですか。あなたを妊娠させることが目的だって」

「いや、だから何でお前が俺を妊娠させる必要があるんだ?」

 颯太は不意に旭から視線を逸らした。何かやましいことがある時の、颯太の昔からの癖だった。

「……子供が必要なんです」

「子供?」

「アズマグループの後継者になる条件です。東十条社長が俺と兄に告げました。強力な後ろ盾となり得る家と婚姻関係を結んで、後継者を作ること。もっと先の話だと思っていましたが、兄が早々に婚約を結んだのは俺に対する牽制と見て間違いないでしょう。それで俺も急遽対抗策を打ち出す必要に迫られました」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。それと俺に一体何の関係があるんだ? お前も確か婚約したんじゃなかったのか? 俺は今日はそれをお祝いするつもりで……」

 それを聞いた時、颯太の目つきが心なしか鋭くなった気がした。

「彼女とはお互いに利害が一致したので、表面上婚約契約を結んだだけです」

「婚約契約?」

「目的のために一定期間だけ婚約して、時期がくれば白紙に戻します。彼女は他に好きな人がいて、でも家のためにアズマグループの子息と関係を持つ必要があった。俺がグループを継ぐまで婚約関係を維持すると約束してくれています」

「それはつまり、お前の好きな人は強力な後ろ盾になれるような家柄の人間じゃないから、利害の一致した家柄のいいご令嬢と表面上婚約しただけってことなのか?」

 旭の問いに、颯太は旭の顔に視線を戻して頷いた。

「だとしても子供は? どうしてその好きな人に相談して子供を作ってもらわない? もしかして……」

 もしかして、子供が出来にくい人なのだろうか? だから妊娠率の高いオメガである旭を騙し討ちにして、後継者を得ようと……?

「目的のために俺を利用したのか?」

「相談すれば、子供を作ってくれましたか?」

 二人が同時に叫んだので、声が被ってお互い何を言っているのか聞き取れなかった。旭は颯太の剣幕に驚いて「え?」と聞き返したが、颯太の方は珍しく声を荒げ、そのまま続けてまくし立てた。

「今の俺はまだ何も成し遂げておらず、何も手に入れていない、東十条社長の庇護下にいるだけのただの子供です。あなたの庇護下にいた頃と何ら変わっていない。金も地位も持っていないただの二十歳のガキを、あなたはそんな目で見られますか? 俺にはもっと時間が必要ですが、タイムリミットはどんどん迫ってきている。だからこの方法を取るしかなかったんです」

「颯太? お前一体何を言って……」

「ずっとあなたのことが好きでした」

 その告白はあまりにも唐突で、旭は何を言われているのか理解が追いつかず、ただただ颯太の顔をポカンと見つめていた。

「子供の頃は、普通の親子みたいに親に親愛の情を抱いているだけだと思っていました。でも体が成熟してくると、それが親愛というより恋慕に近いものだと気がつき、第二の性の発現期には性欲も伴ってきて戸惑いました。あなたが本当の親でないと知った時、俺はとても嬉しかったんです」

「え……」

 何か言わなければ、と旭は口を開いたり閉じたりしたが、実際何を言って良いのか分からず、意味のある言葉は出てこなかった。

(颯太が俺のことを好き? そんなバカな。引くてあまたで誰だってこいつと結婚したいと思うような奴なのに、よりによって年増で何の価値も無い、俺みたいなオメガが好きだって?)

「十六年間ずっとあなたの子供として育った俺を、いきなり恋愛対象の一人の男として見てもらえないのは分かっていました。ちょうどあなたと別れた時は第二の性の発現期だったので、見た目の変化には自信がありました。でもそんな見てくれだけでは話にならない。やはり経済的にも自立する必要があったし、アズマグループを掌握するのが一番手っ取り早いと考えました。まさか社長が後継者を条件に出してくるとは思いもしなかったんです」

「ま、待って待って!」

 ようやく旭の口から意味のある言葉が飛び出してきた。

「お前が俺のことを好き? どうして? 世の中にはたくさんの人間がいるし、お前の周りには結婚相手として申し分のない人間が山ほどいるだろうに、なんでよりにもよって俺?」

「誰かを好きになるのに、理由が必要ですか?」

 颯太が旭の両肩を掴んだ。その真剣な眼差しから逃れることができず、旭は怯えたように、それでも視線を逸らすことなく颯太の視線を正面から受け止めた。

「でもあなたにそれが必要なら、俺はいくらでも並べ立てることができます。俺のこの体は、あなたのおかげでこの世に生を受けることができた。あなたが食べたもので形作られ、生まれ落ちた後はあなたが与えてくれたもので命を繋いだ。あなたが選択したから、俺は生き延びることができた。俺のこの腎臓ですら、片方はあなたのものだ。分かりますか? 俺の体は遺伝子情報以外、全てあなたで作り上げられたものです。あなたが俺にくれたものを愛と呼ぶのなら、血のつながりの無いあなたにここまで愛されて、どうして俺もあなたを愛せずにいられるんですか?」

「お前、知っていたのか?」

 旭は颯太の出生の経緯を話さなかったし、颯太も旭に尋ねはしなかった。しかし今の颯太の言葉は、彼が全てを知っていることを物語っていた。

「まさか東十条夫妻から聞いたのか?」

「まさか。きっと聞いたところではぐらかされたでしょうが、本気で調べれば分かることはいくらでもあるし、少し考えれば推測もできます。あなたはあの二人が俺の本当の両親だと言ったけど、うちには母子手帳も臍の緒もあったし、生まれた時の写真だってあった。あなたのお腹から生まれたのは間違いないから、代理母出産しか考えられないでしょう」

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