第18話
旭が株式会社イブキで働き始めて半年の月日が経った。最初はネチネチ文句を言っていた日向も、最近は諦めたのか何も言ってこなくなった。平井社長は旭の予想通りの人格者で、日向が心配するようなことは何も起こらず、旭は忙しくも充実した社会人生活を送っていた。
『……続きまして、芸能人スクープです。波川さん、お願いします』
『はい! 今日のトップニュースは何と言っても……じゃん! 園田カレンさんの婚約発表です!』
『お相手はやはり……』
『そうです! 以前から熱愛報道のあった大手製薬会社の御曹司です! 昨日発表された内容によりますと……』
「おい、園田カレン婚約発表したらしいぞ」
朝食を食べながら旭が声をかけると、日向はスマホの画面から目も上げずに不機嫌そうに答えた。
「知ってる」
日向がそれ以上何も言わないので、旭は不審に思って日向の顔を覗き込んだ。
「……もしかして、がっかりした?」
「えっ?」
日向は驚いてスマホをガチャンと机に落とした。日向が思いの外過敏に反応したので旭も驚いた。
「な、なんで?」
「いや、お前園田カレンのファンなのかと思ったから……」
「ああ……」
日向は少し落ち着きを取り戻して机からスマホを拾い上げた。
「別にファンとかじゃないよ。ただ実際に会ったことのある芸能人って滅多にいないから、ちょっと気になってドラマ見てただけ。美人だし演技も上手いし嫌いじゃないけど、ただそれだけだよ」
「そうか……」
『……ところでその大手製薬会社ですが、もう一人注目の御曹司がいますよね?』
(颯太の話題か?)
旭は思わずテレビ画面に向かって身を乗り出した。
『そうなんです! 実はこちらの御曹司に関しても極秘スクープを入手いたしまして……』
『ええっ? それはもしかして波川さんが初なんじゃ……』
『おそらくまだどこにも出回って無い情報と思われます。チャンネルはそのままで!』
「ええっ?」
あからさまに落胆の声を上げた旭を見て日向が思わず吹き出した。
「CM挟むのなんてよくあることじゃん。何でそんなにがっかりしてるのさ?」
「いや、わかってるけどつい……」
颯太の極秘スクープって一体何だ? まさか育ての親が自分だとバレたんじゃ……
「そんな青くならなくて大丈夫だよ。颯太の方も婚約者の事だから」
「そ、そうか。良かった……って、婚約者?」
自分の存在がリークされたのでは無いと安心したのも束の間、旭は驚いて思わず日向の腕を掴んだ。
「どういうことだ? 颯太に婚約者だって? あいつはまだ二十歳だぞ?」
「東十条隼人だって二十二歳だよ。そんなに驚くこと?」
「いや、だって、俺には何も……」
旭は当然颯太のおめでたい話は何であれ心から祝福していた。婚約発表なんてその最たるものだろう。しかし、手元を離れたとはいえ、かつての育ての親である自分になんの報告もなかったというのはやはり寂しいことだった。
「ていうか何でお前は知ってるんだよ?」
「だから僕は颯太としょっちゅう連絡取り合ってるんだって。旭こそどうして知らないのさ? 僕が言ってからも結局自分から連絡取ってないんでしょ」
「だって……」
忙しい颯太の手を煩わせたくないのはもちろんだったが、あの展示会で颯太を怒らせてしまったのではないかと旭は密かに恐れていた。実際颯太からの連絡は一切なく、本当はお詫びのメールくらい入れたかったのだが、結局今日まで旭は何もできずにぐずぐずしていたのだった。
「それで、颯太は誰と結婚するんだ? まさか西野ルミカとか?」
「いや、芸能人とかじゃなくて、大手医療機器メーカーのご令嬢だって。さすがに一般人だからこの後のニュースでもそこまで取り上げられないはずだよ。まあいわゆる政略結婚だね」
「そんなこと言うなよ。どんな女性かお前は知らないんだろ?」
「僕は知らないけど、颯太がそう言ってたんだから」
「そんな……颯太はその女性のこと、好きじゃないのか?」
「好きではないと思うね」
ズキン、と旭の胸の奥が痛んだ。
(やっぱり東十条家に渡したのは間違いだったのか?)
颯太が家のために、好きでもない女性と結婚することになってしまうなんて。旭は大手企業のしがらみや政略婚にまで考えが及ばなかった自分を責めた。
「まあでも実際結婚して一緒に歳を重ねるうちに情がわいたりすることだってあるし。そういうきっかけで結婚するのもアリなんじゃない?」
「……颯太はその女性のことが好きじゃないって、お前にはっきり言ったのか?」
「いや、颯太は政略結婚としか言ってないよ。その女性の話はしたことないかな」
それを聞いて旭は少し安心した。颯太はあまり自分の心の内を他人に話すタイプではないので、政略結婚とはいえ彼女のことを気に入っている可能性もあった。
(しかし流石に俺もこれ以上颯太から逃げてはいられないな。ちゃんとお祝いの言葉を伝えて、今までのお礼とか謝罪とか、この際一気にまとめて伝える良い機会なんじゃないか?)
どうやってお祝いしたらいいだろうか? プレゼントはどうする? いやいや自分が贈れるような物なんて颯太からしたら何の価値もないような代物ばかりだろう。旭が出せる最高金額のネクタイだって、彼が普段使いしているどのネクタイの足元にもきっと及ばないはずだ。
(お金じゃ話にならないんだから気持ちで勝負するしかないけど、気持ちって何だろう? 手紙……って幼子じゃあるまいし。いやそもそも勝負って何だ?)
「……村上君、ここの勤怠、残業時間が三百時間になってるわよ。三十の間違いよね?」
「ああっ! すみません」
慌てて入力項目を修正する旭を、心配そうに社長夫人が覗き込んだ。
「大丈夫? 今日なんだか上の空みたいだけど」
「いえ、そんな……」
「何だい? 心配事かね?」
夫人の後ろから、珍しく社内にいた平井社長までひょっこりと顔を覗かせてきた。
「ちょっと残業多いかな。そんなに無理しなくていいんだけど」
「いえ、独身でどうせ暇ですし、早く仕事を覚えたくて……」
「でもボーッとしてるなんて、疲れてるんじゃないかい?」
「えっと……」
心配そうな表情の平井社長に、旭は思い切って聞いてみることにした。
「実はちょっと悩んでいることがあって……」
「何だい? 私が聞いてもいいことかね?」
「はい。あの、最近知人が婚約したんですけど、その人に何かお祝いのプレゼントを贈りたくて。でも相手はお金持ちのアルファで、一体何を贈ればいいか全く見当がつかないんです。私からすれば値段の張るブランド品でもきっと掃いて捨てるほど持ってるだろうし、じゃあ一体何が相応しい贈り物なのか分からなくて。社長でしたらどんな物が欲しいですか?」
旭の問いに平井社長は腕組みをして考え込んだ。
「うーん、欲しい物っていうのは人によって違うから難しいね。でも君の話を聞く限り、高級ブランド品は相応しくなさそうだ。実際私もそんなにブランド品を持ってるわけじゃないけど、別に欲しいとは思わないからね。大切に思ってくれてる人からの贈り物なら何でも良いんじゃないかな。私が今まででもらった贈り物で一番嬉しかったものはこれだよ」
そう言って平井社長は嬉しそうに自分のネクタイピンを旭に見せてくれた。青い石がはまっている珍しいピンだと思ったが、よくみるとそれは宝石ではなくガラスのビーズ玉だった。
「孫が母親と一緒に敬老の日のプレゼントに作ってくれたんだよ。材料費はわざわざお年玉を崩して捻出してくれたらしい。どんな高価な宝石も、このビーズの輝きの前では色褪せてしまうだろう?」
その日、仕事を終えて家に帰った旭は思い切って颯太にメールしてみようと思った。平井社長の話を聞いて、勇気をもらったのと同時に家族に対する懐かしさを覚えたからだ。颯太も幼い頃、よく手作りのプレゼントをくれた。折り紙で作ったハートや木の実を繋げたネックレス、どんぐりで作った指輪など、今でもこっそり大事にしまってある。
「颯太、久しぶり。げ、ん、き、に、し、て、る、か、うわっ!」
メールをのろのろと打っている最中にバイブが鳴ったので、旭は驚いてスマホを取り落とした。
(誰だ? 日向か?)
しかしスマホの画面に映し出された通知を見て、旭は目を見開いた。
『颯太: お久しぶりです。今度の日曜日お時間いただけますか?』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます