第17話

「へえ〜あのマッサージチェアの会社にスカウトされたんだ。あの椅子すごく良かったよね」

「お前も座れたのか?」

「僕がブースから解放されたのめちゃくちゃ遅くて、もうどこのブースも店じまいしてたから諦めてたんだけど、前を通ったら親切に声かけてもらえたんだ。疲れてるだろうから五分だけでも座っていかないかって。いや〜思わず買っちゃいそうになったね」

 日向はわざとらしく首をポキポキ鳴らすと、興味津々な様子で身を乗り出した。

「それで、会社はどんな感じなの?」

 旭は株式会社イブキに一応営業職として雇われたのだが、規模の小さい会社によくあることで、仕事内容は営業だけにはとどまらないようだ。とりあえず今はまだ入社したてで右も左も分からない状態なので、事務所で社長夫人と一緒に事務仕事をこなしながら、会社のこと、製品のことを一つずつ覚えているところであった。

「まだ入ったばかりであまりよく分からないけど、雰囲気のいい会社だと思う。小さい会社だけどみんな自分の仕事に誇りを持っていて、自分たちが良い製品で世の中を良くしたいっていう目的意識を強く感じるよ」

 同じ目標を持った自分もその輪に加えてもらえて幸せだと旭はしみじみと思った。

「社員数少ないみたいだけど、かっこいいアルファとかいた? いい男いたら僕にも紹介してよ」

「なんで寂しい俺が引くてあまたのお前に男を紹介しなきゃならないんだ? こんな従業員の少ない会社で社内恋愛とかありえないし、社員はオメガばかりだよ。社長と夫人は違うけど」

「社長はもしかしてアルファ?」

「そうだ。奥様はベータでお孫さんがオメガなんだ」

 日向は急に顔色を変えて立ち上がった。

「まずいよ旭。その社長、旭のこと愛人にするつもりだ……いてっ!」

 旭は思わず日向の頭をバシリと叩いていた。

「失礼なこと言うんじゃない。平井社長は崇高な理念の持ち主だぞ。お孫さんのことをこんなに溺愛していらっしゃるのに、その孫に顔向けできないような真似するはずないだろう? そもそも社員は家族以外みんなオメガだって言ったじゃないか。まさか社員全員愛人だとでも言いたいのか?」

「旭くらい美人なオメガ社員が他にいるっての? 旭以外にも似たような境遇のオメガはたくさんいるだろうに、なんでわざわざ旭をスカウトしたのさ? 下心があるに決まってるって!」

「そんなこと言ってたらキリがないだろ? たまたま必要な時に良さそうな人材が目に入ったからスカウトしたまでだって。お前の理論だと、採用担当者は全員愛人にする目的でオメガを採用してることになるじゃないか!」

「そうだよ!」

 そうじゃないと否定すると思ったのに、意外にも強い口調で肯定されて、旭は一瞬言葉に詰まった。

「そうさ、世の中は変わりつつあるけど、まだまだオメガの社会的地位は低いままだ。僕達は本当に細心の注意を払わないといけない。特に採用とか、うまい話だったりとか、僕らじゃなくても良さそうなのになぜ選ばれたのかよく分からない時はね」

「お前……どっちかっていうと、オメガの社会進出が進んでて、性差別も縮小されつつあるって、そういう意見じゃなかったか?」

「そうだよ。でも現実はそこまで綺麗じゃない。特に旭はもう若くないでしょ。言いづらいけど市場価値はかなり低い方だ。そのアルファの社長のこと、やっぱり警戒するべきだよ」

 市場価値の低い年増のオメガ。確かに日向の言う通りだった。現に作業員として働いている二人のオメガはどちらも二十代で、専門学校を卒業した手に職持っている人材だった。展示会の日にスーツ姿でアテンドをしていた営業のオメガは三十代だったが、他社での営業経験がある転職者らしい。これから会社を担う人材なら当然若い方が長く働けていいに決まっているし、転職者の場合は少し歳をとっていたとしても即戦力として期待できる。若くもない上に営業経験もなく、それどころか正社員としての業務経験の無い旭が市場価値が低いと言われるのは当然のことだった。

(だけど……俺は崇高な理念を持った社長を信じたい。俺が採用されたのはそんな下心とかじゃなくて、俺の中に何か光るものがあったからだって思いたい。不遇なオメガを憐れんで拾ってくれたという理由だって構わない。俺自身が、この手で環境を変えるチャンスを手に入れたんだから)


 株式会社イブキの目玉商品はマッサージチェアだったが、他にも様々な製品を開発していた。

「……この透明な布の輪っかは何ですか?」

「これは布製の噛みつき防止の首輪よ。一個千円で利益率は低いけど、結構売れてる商品なの。あなたもつけてみる?」

 言われるがままに旭は首輪を付けてみた。ネックウォーマーみたいな感覚だったが、思ったよりしっかりと固定できて外れる心配はなさそうだ。布製なので圧迫感が少なく、着け心地はなかなか良かった。

「オメガが望んだアルファ以外に首筋を噛みつかれて番にさせられないように、噛みつき防止リングを付けることは当然の防衛措置だと思うのよね。でも首輪をしているとやっぱり見た目が気になるし、オメガだって視覚的にアピールすることにもなる。ダサいって思ってるオメガもたくさんいるみたいだし、そもそも首輪って不快よね。だから機能性は高いけど目立たなくて付け心地のいい製品を開発したの」

 これは素晴らしい発明だと旭は感嘆した。マッサージチェアと違って誰でも手の届く値段の上、必要性もかなり高い。

「この首輪の方がオメガにたくさん売れてそうですが、マッサージチェアの方がよく売れているんですか?」

「数は当然首輪の方がたくさん売れているけど、高価格帯のマッサージチェアの方が利益率が高いし、そもそもマッサージチェアの顧客はオメガではないのよ」

「そうなんですか?」

 オメガの体の不調に合わせたマッサージチェアなのに?

「こないだあった注文なんだけどね、一人のお客様から三台のチェアの注文が入ったの」

「一人で三台ですか? オメガ専門のマッサージ店か何かでしょうか?」

「いいえ。その人この近くに住んでる人みたいで、購入前に事前にチェアを見にこられたんだけど、その時自慢げに仰ってたわ。お妾さん達にプレゼントするんだって」

「!!!」

 驚いた様子の旭に夫人は悪戯っぽく笑いかけた。

「この高級な椅子はつまりね、オメガの奥様や愛人を大事にしているお金持ちのアルファを顧客に見据えて作られたのよ。そもそも私の夫が孫にプレゼントしたくて作ったのが始まりでね。同じようにオメガにプレゼントしたいアルファがいるんじゃないかって思いついたの。それが功を奏したってわけ」

 聞いている旭の胸に温かい物が広がった。人を思う心が作り出した商品がたくさんの人々の共感を経て、誰かを大切にする心がこの世界に連鎖していく。そうして巡り巡ったお金がまた誰かを幸せにする糧として使われるのだ。

(日向、俺はやっぱり平井社長を尊敬する。この人の元で働けることを誇りに思うし、この会社で働くことに生きがいを感じるよ)

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