第14話

 やはり大企業アズマ製薬の確保したスペースは会場内で最も人が集まりやすい場所にあり、旭と日向は集客に苦労することはなかった。元々知名度の高い製薬会社なので、必死で呼び込まなくても勝手に医者や医療関係者がゾロゾロと訪れ、興味津々に新製品のラインナップを眺めていく。二人はブースに人を呼び込むと言うより、やって来たお客の相手をするのに忙しくしていた。

「あれ、君はもしかして、あの香水のCMに出ていた子じゃないかい?」

 子、と呼ばれるような年齢ではない旭は内心頬をひくつかせていたが、朗らかな営業スマイルで対応した。

「とんでもありません。もうそんなに若くないんですよ。でもちょっとCMの人に似ているから、この仕事に採用されたんです」

「へえ、芸能人にそっくりだなんて羨ましいね」

 旭より若くて明らかに人生花盛りの日向は、もう少し際どい対応にも迫られていた。

「君、あのCMに出てた人にそっくりだね。髪の毛もっと暗くしたほうが似合うんじゃない?」

「ありがとうございます。芸能人に似てるなんて言われたの初めてですよ」

「いやいや、その辺の芸能人よりずっと綺麗だよ。ところで、この薬使ったことあるのかい?」

 セクハラとの線引きが難しい質問は、薬の性質上どうしても避けられない。旭より日向の方にこう言った質問が集中している傾向にあるので、下心が全くないとは言えないだろう。こうなることは開場前から予測済みだったので、二人は事前に颯太から忠告を受けていた。

「これはアルファやベータの男性不妊の治療を目的に作られた薬ですので、基本的にオメガの僕が使うものではありません。もし僕の彼氏が不妊に悩んでいたら、ぜひ使ってみたいですね」

「君、今彼氏はいるの?」

「それはご想像にお任せします」

「え〜いないんなら立候補しようかなぁ」

「年収次第で検討させて頂きますよ」

「手厳しいなぁ」

「ところでどうですか? うちの薬、おたくの病院でも取り扱っていただけます?」

 相手の気分を損ねないように際どい話題はさらりとかわし、こちらの目論見通りの会話に自然に持っていく。颯太はそこまで言ってはいなかったが、このような仕事で求められるのはそういうスキルだ。旭も日向もそこのところはよく心得ていた。

(俺は若い頃からこういうバイトをたくさん経験しているからよくわかってるつもりだけど、日向はさすがというか、たいして経験も無いはずなのに持ち前の対人スキルだけであんなに上手くやれるとは)

 旭が関心しながら日向の接客を眺めていると、誰かに肩をポンポンと叩かれた。

「はい?」

 振り返ると、初老の男性がニコニコしながら旭の側に立っていた。

「君、綺麗だし若そうに見えるけど、あそこの彼よりだいぶ年上なんじゃないかい?」

「若そうに見えるだなんて恐縮です。彼よりひとまわり以上も年上ですよ」

「へえ、そんなに?」

 男性は驚いた声を出したが、表情は変わらずにこやかなままだった。

「こんなに綺麗なまま歳を重ねられるなんて、羨ましい限りだよ」

「恐れ入ります」

「世の中では一般的に若ければ若いほどいいと思われる傾向にあるが、私はその限りではないと思うね。私くらい歳をとってくると、若すぎる子と話すのは気が引けてね。ジェネレーションギャップを感じてしまうし、内心でおじさん扱いされるのも嬉しくない。この開場のどこのブースへ行っても若い子だらけで少々疲れてきたところだったんだ。このブースは確かアズマ製薬の次男坊が管理者だったね。幅広い年齢層に対するアプローチができるなんて、かなりの切れ物なんだね」

 肩に触れられた瞬間から旭はこの男性を警戒していたが、颯太のことを褒められて思わず顔を綻ばせた。

「そうです、颯太さんはとても優秀な方なんですよ! なんでも引き取られたのはお兄さんに比べてだいぶ遅かったみたいなんですけど、その逆境を乗り越えながら頑張っておられるみたいです。我々はただのアルバイトですけれど、少しでもお役に立てればと……」

「へえ、ただのアルバイトにそんなに慕われているんだね、彼は」

 調子に乗って喋りすぎた気がして、旭は赤面して俯いた。

「すみません、そんなつもりじゃ……」

「それとも彼に恋しているとか?」

「……え?」

 何を言われているのか理解できず、旭は一瞬言葉に詰まった。

「君、さっきまではずっと目が笑っていなかったけど、彼の話を始めた途端に目が輝き出したよ。彼のこと好きなんじゃないかい?」

 母親は息子に恋をするという。この男性の指摘はあながち間違ってはいないのかもしれなかった。ただし、全国の母親がそうであるように、恋という表現は本来の意味と一致するものではなく、あくまで限りなくそれに近い愛情を抱くと言う意味に過ぎない。この男性は旭が颯太を育てていたことなど当然知っているはずがないので、彼の言う恋は当然誤解を招く表現だった。

「とんでもありません! 身分が違うとかいう以前に、親子ほども歳が離れているんですよ」

「それはそうだろうけど、あのCMが放送されて以来、東十条颯太には有志のファンクラブまで設立されたそうだよ。まるで芸能人みたいな人気ぶりだね。確かに男前で体つきも立派だし、君なんかよりずっと歳上だろう熟女やオメガも彼に夢中らしい」

(そうか、芸能人を好きになったり、恋する人だっているんだ。颯太は今やそういう対象になる人間なんだから、別に好きだって言っても問題ないんだった)

 自分が過剰に反応し過ぎた気がして、旭は再び赤面した。

「そ、そうですね。確かにそういう意味でしたらファンに当たるのかも知れません。このバイトに採用されて本当にラッキーでした」

「そうか。やっぱり君、可愛いね」

 不意に男性が旭と距離を詰めた。すっかり油断していた旭はされるがままに肩を引き寄せられる。

「さっき私は若ければいいってもんじゃないと言ったけど、その理由は他にもあるんだ」

 耳元で囁かれて、旭の右半身がぞわりと逆立った。

「私は産婦人科医なんだが、不妊治療にも携わっていてね、当然妊娠率に関するデータはたくさん持っている。妊娠率が年齢とともに下がっていくのは周知の事実だが、それはオメガとて例外ではない。ヒートサイクル中のオメガの妊娠率は圧倒的だが、歳を取ればその率も減少するんだ」

 ここで声をあげたり大きく動いたりすると注目の的になってしまう。密着されるのは不快だったが、人目も多いしこれ以上踏み込まれることはないはずだ。ここはこのまま相手の気分を害することなくやり過ごすのが得策だと旭は判断した。

(若い娘じゃあるまいし、少々の猥談くらいなら我慢できる。もし物陰に連れ込まれそうになったら、その時でも動くのは遅くないだろう)

「ヒートサイクル中のオメガの魅力は凄まじい。しかし発情中の若いオメガ相手に中出しすれば確実に妊娠する。子供は望まないが、快楽には抗い難い場合困ったことになるね。しかし四十手間のオメガの妊娠率は、若いオメガの妊娠率の半分にも関わらずその魅力は若いオメガとさほど変わらないというデータが立証されているんだ」

「……なるほど、では子供を望まない夫婦や、公にできない関係の場合非常に都合がいいということになりますね」

「そうなんだよ。私みたいに妻以外に外で刺激を求めるアルファとかにね」

 さあどう切り返すか。旭が返答に窮していると、男性の左手が旭の肩から背中にかけてゆっくりと滑り降り、そのまま臀部に触れた。

(あっ!)

 しかし次の瞬間、力強い手に引かれて、旭は男性から勢いよく引き剥がされた。

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