第13話

「……」

 一瞬言葉を失った颯太だったが、すぐに我に返ると旭の隣にいる日向を睨みつけた。日向は颯太の反応を予想済みだったのか、まるで何事もなかったかのように無邪気な笑みを浮かべて手を振っていたが、友好的とは言い難い颯太の反応に旭は少なからず傷ついた。

(あれ……日向の言葉に乗せられてここまで来てしまったけど、もしかして俺ってお呼びじゃなかったのか? 東十条隼人の方がまだ友好的だったぞ)

「えっと、ごめん颯太。なんか日向からお前が人手を募集してるって聞いて、少しでも手伝えたらと思って来たんだけど」

「いえ、わざわざご足労いただきありがとうございます」

 颯太の口調は固く、よそよそしかった。そういえばこないだホテルで会った時も、彼は旭のことを「旭さん」と呼んでいた。あのホテルでの出来事は思い出しただけで顔から火が出そうだったが、次に颯太にあった時は笑いながらネタにでもして、自分の聞かされていなかった撮影の裏話でも聞いてみようかなんて、旭は軽く考えていた。しかし今の颯太の様子では、笑い話どころかあの時の話などとても持ち出せるような雰囲気ではなかった。

 ぎこちない雰囲気の二人などお構いなしに、日向はふざけた口調で颯太に絡み始めた。

「今日は僕たち何すればいいの? ユニフォームは? またバスローブでも着るの?」

「……これに着替えて下さい」

 颯太は胸の部分にアズマ製薬のロゴが青い糸で刺繍された、看護師の白衣のような衣服を二人に手渡した。

「また白い衣装か。颯太さんは白い服を着せるのが好みなんですねぇ」

「減らず口を叩いてないで、さっさと着替えて来て下さい」

 颯太は昔からあまり感情を表に出さず、口調を荒げることは決してなかったが、怒っている時は口調は淡々としていても目つきがいつもの数倍鋭くなった。通常時でもクールな印象を与える目元なので、怒っている状態の颯太に睨まれた人間は大抵震え上がってしまう。それは付き合いの長い日向も例外ではなく、彼はすぐに口をつぐんで旭の後ろに隠れた。

「えっと、ここで着替えればいいんですか?」

「更衣室に案内します」

「いえ、場所を教えてもらえれば自分たちで探しますけど……」

 他人行儀な颯太に旭も思わず敬語になってしまった。颯太はまるで意に介する風もなく、また旭の話も無視して更衣室に向かってさっさと歩き出した。仕方なく旭もユニフォームを持って颯太の後に続き、その後ろに日向が隠れるようについて行った。

「こちらです」

 隣にガヤガヤと騒がしくて広いスペースがあり、大半の男性はそこで着替えていて、女性だけ専用の個室が用意されていたが、旭と日向はアズマ製薬専用の個室に案内された。

「ここは、更衣室ですか?」

 簡易的なスペースではあったが、ソファやテーブル、冷蔵庫まで完備されており、明らかに更衣室には見えなかったので、旭は思わず質問してしまった。

「アズマ製薬の休憩室のうち、私に割り当てられた部屋です」

「え、そんな、申し訳ない。みんなと同じ共同の更衣室でいいんですけど」

 旭の言葉に颯太の目つきが再び鋭くなった。

「いいえ、ダメです。あなた方はオメガですから」

「でも俺も日向もまだヒートサイクルに入ってないので、共同スペースで特に問題ないのですが……」

「いいじゃん! せっかくいい場所貸してくれるって言ってるのに、何でわざわざ狭い場所で着替えようとするのさ。僕はここで着替えるよ。あ、冷蔵庫のジュースって勝手に飲んでもいいの?」

 颯太と旭の間の緊迫した空気をぶち壊すように、日向は勝手に冷蔵庫の扉を開け始めた。

「……お好きなだけどうぞ」

 颯太は旭から視線を逸らすと、うんざりしたようにため息をついて日向に言った。

「着替える時は中から鍵をかけて下さい」

 颯太はそう言うと、二人に背を向けて部屋を出て行った。

「……なあ日向、颯太は俺たちにバイトの依頼をしてきたんだよな?」

「あ〜、僕たちっていうか、僕ともう一人誰かオメガを連れて来いっていう依頼だったかな」

「おい!」

 先ほどの颯太の表情を思い出して、旭は青ざめた。

「お前颯太が俺に来て欲しがってるって言ってたよな? それじゃ話が違うじゃないか。颯太はむしろ俺を見て迷惑そうな顔してたぞ?」

「それは照れ隠しだよ。颯太は絶対旭に来て欲しかったんだって。颯太のやつ顔の綺麗なオメガを探して来いなんて簡単に言うけど、そもそもオメガは人口が少ないし、僕だってそんなに知り合いにオメガなんていないんだよ。これはもう旭を連れて来いって言ってるようなものでしょ?」

 日向の言い分に旭は呆れてため息をついた。

「こういう仕事は普通若くて綺麗な女性が務めるものだ。今回はお前と揃えるためにオメガを指定したんだろうが、四十路前のアテンドなんて誰が求めるんだ。颯太が困惑するのも当然だ」

「あ〜旭今全国の四十路前の人間を全員敵に回したぞ」

「いや、俺は至極普通のことを言ったまでで……」

「颯太は年齢の指定もしなかったし、若い人間を連れて来いとも言わなかったんだ。ただ顔の綺麗なオメガを連れて来いって。僕の何が間違ってるってんだ」

 旭は尚も抗議しようとしたが、日向はそれを事前に遮った。

「とにかくゴタゴタ言ってもしょうがない。代わりはいないんだから、旭は今日一日働かなきゃいけないし、颯太もそれを受け入れるしかない。賽は振られたんだ。腹を括ってさっさと着替えよう」

 旭は納得いかなかったし、颯太に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、日向の言う通りだったので仕方なく白衣のユニフォームに袖を通した。

 着替えを済ませて扉を開けると、驚いたことに颯太が扉の前に陣取って二人が出てくるのを待っていた。

(颯太、忙しいはずなのにどうして……?)

 聞いてみたい気持ちは山々だったが、相変わらず険しい空気を纏ったままの颯太に声をかける勇気はなく、旭は視線を落として颯太の大きな背中について会場へと戻った。

「あら? もしかして旭ちゃんじゃない?」

 男性不妊薬のブース戻った時、聞き覚えのある声がして旭は勢いよく顔を上げた。

「えっと、ヒロミさん?」

「やだ〜また会えるなんて! この間はありがとうね。CM絶好調みたいでほんと嬉しいわ」

「いや、俺は特に何も……」

「きゃ〜! 日向ちゃんもいるじゃない!」

 ヒロミとはあまり面識の無い日向だったが、いつも通り愛想よくヒロミに微笑みかけた。

「こんにちは。先日は旭がお世話になりました」

「ハルカはあなたのこと、今でも諦めきれないみたいよ。絶対売れるのにって毎日愚痴ってるわ」

 どうやら先日日向の撮影に携わっていたオネエはハルカという名前だったらしい。日向は笑顔は維持したままで片頬をひくつかせた。

「僕なんかに固執しなくても、人材はいくらでも転がっていますよ」

「そうだったらこんなに苦労しないのよ〜」

「ヒロミさんも今日はお手伝いに来られたんですか?」

 旭が聞くとヒロミは笑顔で手を振った。

「あたしはちょっと様子を見に来ただけ。隼人さんのブースにうちの事務所の子達を使ってもらうの。アズマ製薬は大きな取引先だから、粗相のないようにってね」

 抑制剤のブースを見ると、青いユニフォーム姿の女性が二人、カウンターの前に待機している。芸能人とまではいかなくともなかなか綺麗な顔立ちをしていたが、何より胸が大きくてどうしてもそちらに目が行ってしまう。決して露出の多い衣装ではなかったが、この二人が着ると何かしらいかがわしい雰囲気を感じてしまった。

(ほらな、こういう仕事はこういう女性がやるもんなんだよ、普通)

 旭はますます落ち込んできたが、決して顔には出さなかった。ユニフォームを着た瞬間から、既に仕事は始まっているのだ。ここでは旭はアズマ製薬の一員であり、颯太の顔に泥を塗るような真似だけは絶対に許されなかった。

「あら、旭ちゃん、いい表情してるじゃない」

 旭はヒロミと目を合わすと黙って頷いた。

(いいさ、今日一日やるだけやってやる。俺がこれまでどれだけバイトを梯子して来たと思ってるんだ)

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