第12話

 大規模な製薬会社による展示会の行われる会場は、埋立人工島の中心部にある記念ホールだった。ホール前駅の改札を出て階段を降りると、広々とした道路と歩道の向こうに四角い建物がいくつも立ち並んでいるのが目に入った。この辺りは大学や研究所、博物館などが集まっている場所で、普段は知的で静かな空気が流れているが、こういったイベントがホールで行われる際にはたくさんの人で賑わう場所でもあった。

「このホール久々に来たな。昔姉さんがまだ学生の頃、友達にアパレルのファミリーセールの入場券をもらってきて、俺もよく連れてこられてたっけ」

「この辺りに本社があるアパレル企業のファミリーセールでしょ? セールの時期によくバイト募集してるよね。結構高い服だけど旭も買ってたの?」

「まさか。荷物持ちだよ。結婚してから全く着なくなっちゃったけど、姉さん昔はそのブランドの服が好きだったんだよ。俺は昔から興味なかったけど」

「そうだね。僕は旭も母さんもプチプラの服着てるとこしか見たことないよ」

 二人は話しながら広い歩道を進み、記念ホールの従業員入り口から中に入った。

「わぁ……」

 目の前の光景に、旭は思わず感嘆の声を漏らした。アパレルのファミリーセールの時は、そのアパレル企業が展開する様々なブランドがそれぞれのブースを持ち、元値とセール価格の印字されたタグの付いた衣料が所狭しと並んでいた。今はアパレルブランドの代わりに様々な医療関係の企業がブースを持ち、自社の製品を独自の方法でアピールしていた。ファミリーセールほどごちゃごちゃしておらず、ブースごとの間隔がしっかり取られていて空間にゆとりがあり、ブースの作りもしっかりしていて一目でどこの企業のものかわかる工夫が施されていた。

「旭見て! マッサージ機があるよ!」

 普段味わったことのない雰囲気に、若い日向は早速仕事に来たのも忘れてはしゃぎ始めていた。

「バイトの合間にぜひ試しに来てね」

 マッサージ機のブースにいたスーツ姿の男性がニコニコしながら日向に話しかけた。

「え、いいんですか?」

「いいよ。バイトの子だろうとここにいる人はみんなお客さんだからね。気に入ったら買ってってくれてもいから」

「え、三十万!? 無理ですよ〜」

「あはは。学生さんには高すぎるよね。立ち仕事で疲れた時にすごくいいから、後でおいでよ。いや、別に買わなくていいから」

 旭も歩きながらつい興味深々で周りを見回していた。旭でも知っているような大企業のブースもあれば、全く聞いたことのない製薬会社のブースもたくさんある。企業の財力がこういった場所でも幅を効かせるようで、名だたる企業のブースは会場の目立つ場所に広く場所を確保しており、明らかに小さい企業は隅の方でこじんまりと息を潜めていた。

 アズマ製薬は当然ながら、会場の中央に巨大なブースを構えていた。二つのブースを背中合わせに配置した形になっていて、片側が主力製品の抑制剤をアピールするブース、もう片方が新製品の男性不妊薬を紹介する構造だ。ブース内にはカウンターテーブルと椅子が置かれていて、来場者が座って製品の説明を聞いたり、その場で契約書を書いたりできるようになっていた。

 アズマ製薬のブースに近づくと、抑制剤のコーナーに立っている背の高い男性が二人に気がついて顔を上げた。

「あれ? 君は確か……」

 旭は立ち止まろうとしたが、日向はそんな旭の腕を掴んで男性の前を通り過ぎようとした。

「待てって。君だろう? こないだあのホテルにいた……」

「そうですよ、颯太さんの知り合いです」

 日向のつっけんどんな言い方に、旭は軽い驚きを覚えた。日向は普段人当たりが良くて、こんなふうに他人に対してそっけない態度を取る姿を旭は今まで見たことがなかったのだ。

「まさか本当に一般人だったなんて。今日は颯太の手伝いに来たのか?」

「そうですよ。一般人ですので」

「おい、日向……」

 日向の失礼な態度を咎めるように旭が声をかけると、その長身の男性は旭に気がついて軽く会釈した

「突然失礼しました。颯太の手伝いに来られた方ですよね? 兄の東十条隼人と申します」

 旭もハッとして慌てて頭を下げた。

「私はこちらの日向の母親の弟でして、日向に頼まれて手伝いに来ました」

(この人が東十条隼人か。どうりでどこかで見たことがあると思ったら、CMで見たんだな)

 颯太ほど父親似の印象は受けなかったが、端正な顔立ちをしている青年だった。颯太に比べるとずっと愛想が良く、常に口角が上がっている雰囲気だ。体つきからしても、優秀なアルファであることは明白だった。

「彼の叔父さんですか。そんな年上には見えませんね。お姉さんとは結構歳が離れてらっしゃるんですか?」

「いえいえ、もう四十手前ですよ」

「ちょっと旭、早く颯太のブースを手伝いに行かないと」

 日向は隼人のことが苦手なのか、早くその場を離れたくて必死のようだ。

「私も今日はこちらのブースにおりますので、何か困ったことがあればお声がけください」

 隼人もそれ以上は無理に引き留めず、にこやかに会釈すると自分のブース内に戻っていった。

「……日向、どうしたんだ? なにもあんな喧嘩腰じゃなくたっていいじゃないか」

 旭が小声で嗜めると、日向は不満そうな表情で軽く旭を睨んだ。

「あいつ今日は人目が多いからか紳士ぶってるけど、本当は傲慢で嫌なやつだよ」

「なんでそんな事知ってるんだ?」

「こないだホテルであったからさ。それに颯太からしょっちゅう話も聞いてる」

(そうなのか。爽やかで好感の持てる青年だったけど)

 旭は基本自分の目で見て感じたものを信じる質で、他人の意見は参考程度にとどめる傾向にあった。もちろんそれで失敗することもあったのだが。

(人の意見にはどうしてもその人の主観が入る。尾ひれがつくことだってあるし、日向が知らない側面だってあるかもしれないじゃないか)

 とはいえ隼人の存在は颯太の立場を脅かしかねないというのは事実である。日向が過剰に警戒するのは仕方のないことなのかもしれなかった。

「そういえば、隼人さんは抑制剤のCMに園田カレンと出てたよな。今日はまた園田カレンが彼のサポートをするんだろうか?」

 芸能界のことに全くと言っていいほど興味のない旭だったが、この女優に関しては実際に本人に会えたこともあって気になって調べてみたところ、東十条隼人との熱愛がまことしやかに囁かれているようだった。ただし園田カレンの事務所は交際については否定しているらしい。

「まさか。園田カレンを一日レンタルするのにいくらかかると思ってるの? 僕たちだから日当一万円で引き受けたけど、芸能人をこんな仕事で使えるわけないでしょ。せいぜい芸能人の卵か、その辺の小綺麗なバイトを使うんだよ」

 男性不妊薬のブースで待っていると、程なくして長身のスーツ姿の青年が姿を現した。今度は間違いなく颯太だと旭にも一目で分かった。高校生の頃の面影はほとんんど見当たらないので、彼のかつての友人や近所の知り合いにはおそらく気付かれないだろうが、彼を十六年間育てた旭には感じるものがあった。歩き方の癖や、無意識に指を動かす癖、何も考えていない時に遠くを見る目つきなどは、四年の月日が流れても変わらず彼の体に染みついたままであった。

「颯太……」

 旭が思わず感慨深く呟くと、遠くを見ていた颯太の焦点が旭に定まった。

 旭に気がついた瞬間、颯太の目が驚きに見開かれた。

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