第11話

「ちょっと日向!」

 銀行から血相を変えて帰ってきた旭を振り向きもせず、日向はテレビの画面を凝視しながら手で旭を制した。

「ちょっと待って! 今いいところなんだから」

 ドラマのエンディングが流れ始めてようやく日向は旭のほうに向き直った。

「いやぁこのドラマけっこう面白いわ。園田カレンって顔とバックグラウンドだけじゃなくて演技も上手で実力もあるし、このドラマは人気出るよ」

「お前、そんな、よく呑気でいられるな?」

「えぇ? アズマ製薬がスポンサーのドラマだし気になるじゃない? それにほら、実際園田カレンにも直接会えたわけだし、やっぱり彼女主演のドラマは見ておかないと」

 頭の中お花畑の日向の前に、旭は銀行通帳をバシンと叩きつけた。

「お前、これ一体どうなってんだ?」

 日向は旭の反応を予測済みだったのか、顔色一つ変えずに通帳を覗き込む。

「うん、僕と全く同額振り込まれてるね」

「五百万だぞ、五百万! なんでこんなに入ってるんだ?」

「なんでって、CMの出演料ってこれくらいの相場なんじゃないの? 僕も気になって芸能人のCM出演料の相場調べてみたんだけど、五億とかもらってる人もいるみたいだし、若手の人気女優とかでも二千五百万とか普通にもらってるみたいだよ」

「お前何考えてるんだ? それは人気のある芸能人の話だろ?」

 そもそも日向に聞いたところで埒が開かない話だ。颯太に直接確認しようとスマホを取ると、それを察した日向が慌てて引き留めた。

「だめだよ! 颯太は今すごく忙しくしてるんだから、そんなことで手を煩わせちゃ」

「いや、でも、そんなことって……」

 そう言いながらも旭はスマホを掴んでいた左手を力無く下ろした。

「お前はまだ社会人経験が無いから知らないだろうが、正社員の新卒の年収が二百万くらいだ。俺は正社員になれなかったから、もう四十手間だけど必死に働いて年収それくらいになる。五百万って言ったらその二倍以上だ。あれっぽっちの仕事でもらっていいような額じゃないんだよ」

「僕も詳しく聞いたわけじゃないんだけど、元々西野ルミカに支払うはずだったギャラが二千万だったんだって。その半額で済んでるから、颯太からしてもかなり安上がりになったはずだよ」

「いやだから、それは西野ルミカの相場であり価値であって、俺たちはむしろこっちがお金を払ってCMに出してもらわなきゃならないレベルなんだぞ」

「でもあのCMすごく効果あったみたいだよ。広告打った後で、あの香水の売上以前の五倍以上伸びてて、現在も記録更新中なんだから」

「本当に?」

 日向のスマホの画面に映し出されたグラフを眺めながら、旭は半信半疑で眉をひそめた。

「本当だって。それにCMの成功とこの報酬はそもそも関係ないよ。クライアントがオーケー出して支払われてるんだから、CMが失敗でも僕達にはもらう権利はあるんだから。本来は最初から報酬額を提示してから契約を結ばないといけないんだけど、何せ時間がなかったし身内だから甘えさせてもらって、こんなぐだぐだの形になっちゃって申し訳ないって颯太も気にしてたよ」

「そんな、颯太が?」

 颯太が気にしていたと聞いて、旭の中にあった闘争心がしゅるしゅると萎んでいくのが日向には手に取るようにわかった。

「そんな、契約の手順なんてどうでも良いんだ。俺はそもそも颯太に頼まれたんなら無償でかまわなかったんだから……」

 旭の勢いがおさまった隙を見逃さず、日向はダメ押しに効果的な発言を畳み掛けた。

「これは颯太なりの親孝行の形なんだって。僕は旭と違って颯太とのやりとりもあるし、色々相談にも乗ってるからよく分かってる。自分を育ててるせいでまともな仕事に就けなかったんだって、颯太はずっと旭に対して後ろめたい気持ちを持ってたんだよ。これだけあれば借金なんて十分返せるんじゃない? これは颯太を後ろめたいしがらみから解放することでもあるんだから、旭は素直に受け取らなくちゃ」

(颯太、そんな事を今まで気に病んでいたなんて)

 極力家ではお金に苦しい素振りは見せてこなかったつもりだったが、聡い颯太が気がつかないはずがない。高価なおもちゃやゲームを買ってやることもできなかったし、服だってプチプラか古着ばかりだった。友達と比較すればその差は明確だ。颯太は決しておねだりをするような子供ではなかったが、きっと欲しいものは沢山あったに違いない。それを不満にこそ思っていて当然なのに、まさか自分のことを気遣っていてくれていたなんて。

(俺には勿体無い、あまりにも出来すぎた子供だったんだ。東十条夫妻に引き取られたのも、神様が本来あるべき場所に彼を戻してくれたに過ぎなかったんだ)

 目頭が熱くなったのを悟られたくなくて、旭は日向に背中を向けて俯いた。日向は何もかも分かっていると言わんばかりに旭の背中をポンポンと叩いた。

「それでね、旭。またまたバイトの依頼なんだけど」

 今にもこぼれ落ちそうだった涙が一瞬で引っ込んだ。旭は顔を上げて勢いよく日向を振り返った。

「お前一体何考えてんだ? どれだけバイト入れたら気が済むんだよ? 勉強したくて時間がないんじゃなかったのか?」

「勉強したくて時間がないから、割りのいいバイトで短時間で一気に稼がなきゃ。とは言っても今回のは前回ほどじゃないけどね」

「五百万も貰っといてまだ金が必要なのか?」

「お金はいくらあってもいいんだって言ったでしょ」

 旭は大きくため息をついて首を振った。

「俺は今回はパスする。颯太のおかげで借金が返せるんだから、お前と違ってこれ以上バイトを増やしてまで金を稼ぐ必要は無くなったからな。分相応な年収で細々とやっていくよ」

「それが今回もアズマ製薬からの依頼なんだよね」

 旭の指先がピクリと痙攣した。また颯太絡みか。

「まさかまたCM撮影じゃないだろうな?」

「だから今回は前ほど割りのいいバイトじゃないって言ったでしょ? 今度製薬会社の大規模な展示会が行われるんだけど、颯太の担当するブースでアテンド業務を手伝って欲しいんだって」

「製薬会社の展示会?」

「医者とか医療関係者向けに行われる展示会で、製薬会社がそこで自社の製品をアピールするんだって。僕達は病院に行って処方されるがままに薬を受け取ってるけど、それってその病院の担当者が数ある同じような薬の中から選んだものなんだよ。例えば抑制剤の最大手はアズマ製薬だけど、シロノ製薬の抑制剤を処方する病院も多いよね。どっちも効果はほとんど同じだから、昔からある病院とか大きい病院はアズマ製薬製を使ってて、新しい病院とかがシロノ製薬製を使ってるイメージかな」

「へえ……」

「颯太が担当するのはこないだの香水をより医療目的に改良した男性不妊薬のブースなんだって。今回は別に僕達じゃなくても他のバイトを雇ってもいいって言ってたけど、僕はできれば行ってあげたほうがいいと思う」

「どうして?」

「インパクトが強いからさ! 僕らはあの香水のCMに出てる。それだけでも客引きのきっかけになるでしょ? 男性不妊薬で一番有名なのはシロノ製薬で、アズマ製薬がこの分野に手を出したのは最近なんだ。今回もお兄さんの東十条隼人は抑制剤のブースを担当するらしい。CMの時も思ったけど、颯太はお兄さんより難しい商品を任されてるみたいだよ。まあ後から来た人間だし、当然と言えば当然なんだけど、颯太の立場ってやっぱり微妙なんじゃないかな。周りはきっと隼人さんに長いこと仕えてきた人ばかりで、夫人がバックに付いているとはいえ仕事や様々なことまで全て面倒見れるわけじゃないでしょ。僕らはそんな数少ない颯太の協力者なんだから、できることは全て手助けしてやるべきなんじゃない? きっとアテンド役なんてもっと上手な人材はいくらでもいるだろうけど、心から颯太のことを思ってる人間に側にいてもらったほうが、颯太も安心すると思うよ。颯太もそう思って、僕らに依頼してきたんだよ」

 旭は東十条家に引き取られ、一人孤独に戦っている颯太を思った。旭の知っている颯太は寡黙で意志が強く、滅多に人を頼らない。側にいて支えて欲しいだなんて、きっと口が裂けても言えないだろう。仕事の依頼として日向に伝えてきたのも、彼なりに体面を守るためなのかもしれない。

「……分かった。協力しよう。だけど今回は報酬は無しだ。俺は颯太の手助けに行くんであって、金をもらいに行くつもりはない。金ならもうもらいすぎるほどもらったからな」

「うーん、流石に無償労働は契約的にまずいんじゃないかな」

「契約書も無しに五百万も振り込ませておいてよく言う」

「分かったよ。旭の分の日当は僕がもらっておくから」

「おい!」

 日向はニヤニヤとイタズラっぽい笑みを浮かべた。

「じゃあ今度の土曜日は空けておいてね。颯太には僕から行くって連絡しておくから」

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