第7話
日曜日の早朝、旭はいつもより早めに起きて入念に身支度を整えた。CMのことはさておき、久しぶりに颯太に会えるのだ。見苦しい姿で四年ぶりの再会を果たしたくはなかった。
(この四年間で颯太はどんな青年になっただろうか。別れた時はちょうど第二の性の発現期だったから、あれからの成長は目覚ましかったに違いない。一方の俺は人生の盛りを過ぎてただ老けただけだ。せめて四年前とあまり変わってないという印象を与えたい)
「旭ってばおしゃれしちゃって。彼氏にでも会いに行くつもり?」
日向が茶化してきたが、旭は鏡を凝視したまま素っ気なく言った。
「息子ってのは恋人より大事なもんだ」
「じゃあ甥っ子は?」
「甥は論外だろ」
「それは酷くない?」
旭は散々悩んだ挙句、白のカッターシャツとブルーのジーンズを身につけた。
(張り切ってめかし込むのも痛々しいし、ちょっと普段着過ぎるけどこれなら一応爽やかに見えるんじゃないか。できればあんまり目立ちたくないし)
「なんか周到に準備してた割には地味じゃない?」
「お前は派手過ぎるだろ」
お気に入りなのかよく分からないが、日向はよく着ている派手なオレンジ色のTシャツにベージュのズボンという出立ちだった。こんな人を選ぶようなコーデでもカッコよく着こなしてしまうところが憎らしい。
二人は連れ立って日曜日の街に繰り出した。休日に日向と外出するのは珍しいことだった。二人とも何かと忙しかったし、時間のある時は基本家でゴロゴロしていたい性だったので、こうやって身なりに気を遣ってどこかへ出かけるというのはなかなか貴重な機会であった。
「ここだよ」
日向が旭を連れてきたのは、駅から少し坂を登った場所にある三十階建ての高級ホテルだった。ガラスの窓に遠くに連なる山脈が映るよう計算された設計で、最上階からは紺碧の海も眺めることができる。都会にいながらリゾート気分を味わえるということで、芸能人も御用達の有名ホテルだった。
(ひえ……)
大人のプライドで、日向に怖気付いている様を気づかれないよう、旭は精一杯背筋を伸ばしていたが、それでもエントランスをくぐるときは足の震えが止まらなかった。貧乏生活の長い旭は普通のビジネスホテルですら泊まったことがない。結婚式に呼んでくれる友人もいないうえ、姉の朝子はフォトウェディングを選択したので、こんな高級ホテルに足を踏み入れたことなどかつて一度もなかったのだ。
(やばい。もうすでに場違い感が半端ない)
旭に比べて日向は堂々としたもので、すたすたと真っ直ぐ受付に向かうと「東十条颯太の紹介で来た、村上旭と佐藤日向です」と淀みなく告げた。受付の者も心得ていたようで、にこやかにカードキーを日向に向かって差し出す。
「お待ちしておりました。最上階になります。二十五階以上はエレベーターにカードキーが必要になりますので、お気をつけ下さいませ」
キーを受け取ってエレベーターに向かって歩く日向を慌てて追いかけながら、旭が不安そうに尋ねる。
「日向、エレベーターにカードキーがいるってどういうことだ? そもそもこのエレベーター二十四階までしかボタンがないぞ」
「二十五階からは別のエレベーターに乗り換えるんだ。そのエレベーターに乗るのにキーが必要なんだよ。その階はVIP専用のスイートルームとラウンジになるから、一般の宿泊客は入れないようになってるのさ」
「そうなのか」
(同じホテル内にも関わらず上層階と下層階にそのような格差があるなんて……)
最上階にエレベーターが止まり、扉が開いた瞬間、明るい日差しに旭は一瞬目が眩んだ。屋外に出たのかと思ったが、そこは全面ガラス張りの広々としたラウンジだった。所々に椅子やテーブルが置かれ、バーカウンターにはバーテンダーも控えていたが、空間を贅沢に使っていてそれらがこの部屋から見える景色や開放感を損なわないよう計算されている。今日みたいに晴れた日だと、遠くに見える海と空の青が一つに溶けて、ため息が出るほど美しかった。
ラウンジにはちらほら人の姿があったが、ほとんどが堅苦しいスーツ姿の男性で、とても宿泊客には見えなかった。そんな中で、赤いドレス姿の女性が薄水色のソファーに腰掛けている様が人目を引いており、旭は無意識にその女性を盗み見ていた。
(何だろう……どこかで見たような気がするんだが……)
女性の方も普段着姿の旭と日向が気になったらしく、旭と目が合ったことに気付くと立ち上がって二人の方へつかつかと近づいてきた。
「見たことない顔だけど、どこの事務所?」
旭は女性が何を言っているのか分からず、ぽかんとして目をぱちくりさせていたが、日向が素早く女性に笑顔を向けた。
「申し訳ありませんが、僕達は芸能関係の者ではないんです」
「じゃあアズマグループの関係者なの? にしてはスーツじゃないけど、ここに何しに来たの? 今日はこのフロアはCM撮影用にアズマグループが貸し切ってるはずだけど」
「そのCM撮影のお手伝いで来たんです」
「何の機材も持ってないじゃない」
「一応出演者なんですよ」
それを聞くと、赤いドレスの女性は驚いて目を見開いた。
「そんな話聞いてないわよ」
「失礼ですが、園田カレンさんですよね? 春のドラマ毎週楽しみに観てました。今日は東十条隼人さんと共演されると聞いております。僕らは隼人さんの弟の颯太さんと共演するよう依頼を受けて来たんです」
園田カレン! 旭は思わずまじまじとその女性を上から下まで凝視した。今最も勢いのある若手女優の一人で、その美貌はさることながら、お金持ちのお嬢様で有名私立大学出身という肩書で売り出していた。普段テレビをあまり見ない旭でもそれぐらいは知っていた。確か父親が大学病院の院長だったはずだ。
(すごい! 芸能人なんて直接見たの初めてだ! テレビで見るよりずっと綺麗だけど、思ってたより小さいな)
「えぇ? あなたたちがルミカの後釜なの?」
カレンの言葉に旭は眉をひそめた。
(後釜? 俺たちは誰かの代わりで滑り込んだのか?)
「後釜だなんて恐れ多い。僕が颯太さんの家庭教師をやっていたことがあったので、その時の繋がりでお声がけいただいただけで、僕らを西野さんと同じ土俵で比較できるわけないじゃないですか」
日向は颯太の家庭教師をやるはずだっただけで実際はやっていないのだが、颯太が旭に育てられていたことは公にされていない。おそらく日向は颯太との繋がりについて説明するために適当な嘘をついたのだが、旭が気になったのは日向の別の発言だった。
(何だって? ルミカって西野ルミカのことか! 何でまた俺たちがそんなすごい人の代わりに?)
西野ルミカも若手女優の一人で、確か園田カレンと同じ事務所に所属していたはずだ。二人の会話から察するに、元々颯太と共演するのは西野ルミカだったらしい。
「東十条颯太が何したのか知らないけど、ルミカはもうカンカンで、ギャラは要らないから下ろしてくれって大変だったんだから」
「それは颯太さんに明確な落ち度がない限り、西野さんの方が賠償責任を負わなければならないんじゃないですか?」
「あんた生意気ね。確かにそうなんだけど、うちの事務所とアズマグループは付き合いが長いし、東十条社長がそれで納得して下さったから大事にならずに済んだのよ。その後うちのマネージャーがルミカの代わりをすぐに探すって言ったんだけど、東十条社長が息子に責任を持ってやらせることにしたらしくて。でもまさかあんたたちみたいな一般人を連れてくるなんてね。東十条颯太は二十歳になるまでずっとメディアには姿を現さなくて謎の多い存在だったけど、本当に何を考えているのか分からないわ」
その時、スーツ姿の男性が旭と日向の元に近づいてきた。
「颯太さんのご紹介の方々ですね。お待たせしました。こちらへご案内いたします」
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