第6話

 しかし結局、優二からの連絡が来ることはなかった。

(そりゃそうだろう。現実的に考えて、若い盛りの二十歳のアルファと三十七歳のアラフォーオメガじゃまったく釣り合わない。彼も冷静になって考えてみれば、その事実に気が付かないはずがないんだ)

 最初から期待していたわけではなかったし、あの病院での出来事が異常で今の状況が正常なのだと頭では分かっていたが、それでも旭は少しばかり心が落ち込んだ。

(あんなに真っ直ぐな目で俺のことを見ていたのに……)

 かといって、こちらから連絡するのもなんだか未練がましくて気が引ける。なんといっても相手は十七歳も歳下の大学生なのだ。

(いい歳した大人……どころか四十手前の独り身のおっさんが若い男に縋り付く絵面とか……想像しただけで寒気がするな)

「あーさひ! ちょっと聞いて聞いて! すっごくいい話があるんだ」

 旭の心中を知ってか知らないでか、やたらテンションの高い日向に後ろから抱きつかれて、旭は前方につんのめりそうになった。

「……もう若くないんだから気をつけてくれ」

「何言っちゃってんの? まだまだぴちぴちの現役でしょ〜?」

 何とか日向を引き剥がし、旭は疲れた様子で腰をさすりながら椅子に掴まって立ち上がった。そのままその椅子に腰掛けて日向をジロリと見る。

「いい話ってなんだ? ろくな話じゃなさそうだが」

「なんでそう思うのさ? いい話って言ってんだから素直に受け入れなよ」

「勿体ぶってないでさっさと話せ」

 日向も旭の前に腰を下ろすと、にこにこしながら机に頬杖をついた。

「すっごくいいバイト紹介してもらったんだ」

「またバイトか? お前ただでさえ羽振りの良すぎるバイトさせてもらってるくせに、まだバイト増やす気なのか? もしかして金に困ってるのか?」

「別にお金に困ってるわけじゃ無いけど、お金はいくらあったっていいじゃない。ていうか僕よりお金が必要なのは旭でしょ? まだ借金残ってるじゃん」

「え? そのバイトって俺がするのか?」

「二人でするんだよ」

 旭ははぁっと大きなため息をついた。

「あのな、お前と違って俺はこれでも一応社会人なんだぞ。正社員になれなかったからパートしたり、たまにバイトも入れたりしてるけど、基本的に一般的な社会人と同じような生活をしてるんだ。学生のお前みたいに簡単にホイホイバイトを増やせるほど時間は無いんだぞ。シフト詰めすぎてメインの仕事が疎かになったり、体調崩したら元も子もないからな」

「そんな心配ご無用。今週の日曜日ちょっと時間を作るだけでいいんだ。ほら、僕と休日ショッピングに行く感覚で出かけて、夕飯までに帰ってくるって感じで。しんどい仕事じゃないから次の日にも響かないよ」

「なんだそれ。一体なんのバイトだ?」

「なんと、テレビのCMに出るんだよ!」

「はあ?」

 一体日向がどんなバイト話を持ちかけてきたのか、旭なりに色々予想していたつもりだったが、まさかそんな答えが返ってくるとは夢にも思わず、旭は思わず素っ頓狂な声を上げた。

「何で俺たちがCM? てかなんのCMだ? お前絶対騙されてるぞ!」

「僕ってそんなに騙されやすそうに見えるわけ? 旭よりよっぽど用心深いと思うんだけど」

 確かに日向は見かけよりずっとしっかりしているのだが、それにしても最近彼が持ってくるバイトの話があまりにも突拍子もないものばかりで、旭でなくても疑わずにはいられないだろう。

「お前、芸能人でも目指してるのか?」

「まさか。そんなわけないでしょ」

「世の中にはテレビに出たくて努力している芸能人の卵たちがごろごろいるってのに、俺たちみたいな何の変哲もない一般人が簡単にCM出演できるなんて明らかにおかしいだろ。しかもお前バイトって言ったよな? つまり出演料が出るんだろ? 金払ってでもテレビに出たい奴がいっぱいいるのに、そんな上手い話あるわけない。絶対騙されてるね。いかがわしいバイトか闇バイトに決まってる」

「旭、世の中には努力ではどうにもならない、越えられない壁ってのがあるんだよ」

 日向は旭の忠告を聞くどころか、逆に偉そうな態度でわざとらしく諭してきた。

「何だよ。まさかビジュアルとか言うんじゃないだろうな」

「そんな人によって定義の変わる曖昧なものなんかじゃない。そう、それはズバリ、コネだよ!」

 身も蓋もないことを言われて、旭は一瞬言葉に詰まった。

(……それは確かにそうだ。そういうことに関して、きっとコネより強力な力は存在しないだろう。しかし……)

 旭の表情から全てを読み取った日向は、満足そうに最後の追い打ちをかけた。

「僕達に一体どんなコネがあるかって? じゃあこう言えば分かるかな? これはアズマグループからの依頼なんだよ!」

 旭ははっとして顔を上げた。アズマグループとは、東十条健が社長を務める国内屈指の大企業である。様々な分野に進出しているが、最も有名なのが製薬業を生業とするアズマ製薬会社で、ヒートやラットの抑制剤の市場シェアに関しては、二十年連続で全国首位の快挙を成し遂げている。扱っている商品が多い分打ち出しているCMも多岐に渡り、その時旬の俳優や女優が起用されることが多いのだが、主力製品である抑制剤の宣伝には東十条社長自ら出演することでも有名だった。

「お前、東十条社長と何か接点があったのか?」

「旭じゃないんだから社長には会ったことないけど、息子とは仲良しでしょ?」

「颯太が? お前颯太と連絡取ってるのか?」

 元育ての親である自分はこの四年間一度も連絡を取っていないにも関わらず、日向が颯太と連絡を取り合っているとはつゆとも知らず、旭にとって青天の霹靂とはまさにこのことであった。

「そりゃ連絡くらい取るでしょ。絶交して別れたんじゃあるまいし。むしろ何で旭は連絡取ってないのさ?」

「それは……だって一度も向こうから連絡来てないし……」

 旭はこの四年間、颯太のことを考えなかった日は一日たりともなかった。元気に過ごしているのか、慣れない環境で苦労していないか、新しい両親とは上手くやっていけてるのか、心配しない日は一日たりともなかったのだ。しかし、颯太が連絡してくるまでは、こちらからは決して連絡は取らないと心に決めていた。新しい環境で、新しい両親と幸せな家庭を築けているなら、過去の人間である自分はむしろ彼の記憶から消えたほうがいい。そう考えて、スマホの発信ボタンを押下しそうになる自分を何度も止めたのだ。

「まあ颯太も色々忙しくて大変みたいだしね。僕達みたいな一般人からいきなり大企業の跡取り息子になっちゃったわけだし」

「……それで、颯太がお前にCMの話を持ちかけてきたのか?」

「颯太は忙しいなりに旭のことを心配してるんだよ。借金のことだって知ってるわけだし。それで少しでも力になりたくて、このバイトを持ちかけてくれたんだ。芸能人にCM出演を依頼するとすごい額かかるらしいんだけど、なんか僕達にも結構払ってくれるみたいなこと言ってたよ」

 なぜ学生の身分のはずの颯太にそこまでのお金を動かす権限があるのか、企業のイメージ戦略に関わるCM出演者の決定権があるのか、旭には全くわからなかった。しかし、颯太が自分のことを気にかけてくれているのだと思うと、知らず知らずのうちに目頭が熱くなった。

「……分かった。颯太がスポンサーならいかがわしいバイトでも闇バイトでもないはずだし、俺たちでどこまで力になれるのか分からないけど、行くだけ入ってみよう」

 それに堂々と、大義名分を持って颯太に会いに行くことができる。旭はそれだけでも十分行く価値があると思った。

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