第4話
息子の颯太がいなくなり、代わりに謎にハイスペックな甥と暮らし始めてから四年の月日が流れた。
日向は毎月の家賃を滞納することはなかったし、家事も怠る日は一日もなかった。おかげで旭は仕事にノーストレスで邁進でき、借金はこの四年間で三分の一も減らすことができた。十六年間毎月利息分しか返せなかった以前の生活に比べると、この四年間は金銭的にも精神的にも十分恵まれ過ぎた四年間だった。
日向との生活は申し分なかったが、一つだけ問題点があった。
(そろそろ俺もパートナーが欲しい。燃えるような恋愛までは期待してないけど、安心して一緒にいられるような相手と身を固められたら……)
日向との生活にも慣れてきた頃、旭は思い切ってマッチングアプリに登録した。すぐに数人の男性から連絡が届き、数回アプリでやり取りしたのち気の合いそうな男性と会ってみることにした。
「え! 旭そんな淫らなこと始めたの?」
男性と会う約束をした日、小綺麗なシャツを選んでいる旭を見ながら日向が仰天して叫んだ。
「淫らって……今時みんなマッチングアプリぐらい使ってるんじゃないのか。むしろお前の方が詳しそうだけど」
「ないない! 僕は絶対使わないね。ヤリモクで使ってるアルファがいっぱいいるんだよ。オメガはそういうの慎重にならないと。ねえ辞めた方がいいって」
「そんな。でももう会う約束しちゃったし……」
「そんなんドタキャンすればいいじゃん!」
「いや普通に相手に失礼だろ。それに何回かメッセージやり取りしたんだけど、いい人そうだよ。俺と趣味も合いそうだし。一度も会わずに勝手に決めつけるのは良くないだろ。そんなことしてたら一生出会いなんて期待できないよ」
日向はまだ何か言いたそうだったが、これ以上は言っても無駄だと思ったのか別の作戦に出た。
「どこでその人と会う約束したの?」
「駅前のカフェだけど」
「分かった。心配だから僕もついていくよ」
「ええっ?」
初デートに親戚、しかも甥同伴だなんて聞いたことがない。
「それは嫌だって」
「大丈夫。なんか起きないか見張ってるだけだから」
人に見られながらデートするのも嫌なんだけど。
しかしそこまで心配されると旭も少し気になってきた。
(確かにマッチングアプリは良くない噂もよく聞く。軽率な行動だったのかも……)
それで旭は心配性の甥に見守られながら、初めてマッチングアプリで知り合った人と対面することになった。
約束の時間より十分早く待ち合わせ場所に着いたのだが、相手のアルファの男性はすでに店の前で待っていてくれていた。何度かメッセージをやり取りした時の印象通り、知的で温和な雰囲気を纏っている。歳も三十五歳と旭の二つ上で、結婚を意識して付き合うにはちょうど良い人物だった。
軽く初対面の挨拶を交わし、店に入るとテーブル席に向かい合って腰掛けた。相手は終始笑顔を絶やさず、旭のことを気に入っている様子だ。
「写真で見るより数倍美人さんですね。本当に独身ですか?」
「はい、訳あって実は一度も誰ともお付き合いすらしたことがないんです」
「それはご家庭の事情か何かでしょうか?」
十六歳で未婚の父親になったなど、初対面で聞くにはあまりにも衝撃的な話だと思ったが、これから結婚を前提に付き合うことになるのなら相手に誠実でなければならないと旭は考えた。
「実は……」
旭が答えようと口を開いたその時、突然隣の席に誰かが軽やかに座る気配がした。
「……え?」
「こんにちは〜」
輝くような笑顔で旭の隣に現れたのは、旭とそっくりだがより華やかで妖艶な若い男だった。
「え、日向? どうしたんだ?」
「えっと……もしかして弟さんか何かですか?」
驚く婚活中の二人に、日向はとびっきりの笑顔で応えた。
「こちらの村上旭の甥の佐藤日向です。叔父さんがマッチングアプリで人に会うなんて言い出すから心配で見にきちゃったんですよ〜」
旭はちらっと婚活相手の男性を見た。日向は旭の身を案じて見張りに来ると言っていた。旭が気がつかなかっただけで、実は相手に怪しい動きがあったのかもしれない。
(全くそんな素振りはなかったけど……)
それより旭はこの男性の日向に対する態度の方が気になった。先程まではずっと旭を見つめていたはずなのに、いつのまにかすっかり視線を日向に奪われている。
「あの……」
痺れを切らして旭が声をかけると、男性ははっとして慌てて旭に向き直った。
「ああ、すみません。あまりにも魅力的な方だったのでつい。しかし遺伝子ってすごいですね。本当に似ていらっしゃる」
「僕は十九歳の大学生なんですよ。今が身も心も満開って感じかな〜」
目の前の男性から強いアルファのフェロモンを感じて、旭ははっとした。
(この人、欲情してる……!)
しかし彼を責めることはできなかった。明らかに日向が彼を誘っているのだ。こんなに若くて妖艶なオメガに煽られて正気でいられる方が、むしろアルファとしての沽券に関わるだろう。
こんな状態でこのままこの男性とデートを続けるわけにもいかず、旭は一人とぼとぼとその店を後にした。夜まで帰らないかと思ったが、驚いたことに日向は旭を追ってすぐに帰ってきた。
「だから言ったでしょう。マッチングアプリで知り合ったアルファなんてろくな男いないって」
いけしゃあしゃあと抜かす日向を、旭は感情の無い目でじっと見つめた。
「……あの人、何か怪しい動きでもしていたのか?」
「怪しいもなにも、ずっと旭にデレデレしてたくせに、ちょっと若いオメガが現れたくらいですぐに鼻の下伸ばしちゃってさ。あんなの不純だよ、不純。本当の愛とは言えないね」
(初めて会った相手にやたらと手厳しいな……)
そう言われるとそんな気がしてきて、もやもやしていた気分も吹き飛び、旭は仕方なく苦笑したのだった。
しかしその後も旭が婚活をする素振りを見せるたびに、日向はことごとく邪魔しに入ってきた。どんなに旭が綺麗でも、より若くて花盛りの日向に適うはずもなく、どのアルファも必ず日向に目移りした。では日向のいない所で婚活すればいいはずなのだが、日向が言った「本当の愛」という言葉が引っかかって、むしろ旭は日向の妨害を許容していた。
(燃えるような恋愛は期待しないけど、愛に誠実さは期待したい。若い日向が横にいても、それでも俺を選んでくれるような人がいるなら、そういう人と一緒になるべきなんじゃないだろうか)
要するに誠実で無い人をふるいにかける網目役として、日向は適任だったのだ。旭はそんなつもりはなかったのだが、日向が勝手にその役を買って出ているのだから仕方がない。そしてこの四年間でその網目を通り抜けられたアルファは誰一人として存在しなかった。さすがにその頃になってくると、年齢も年齢なのもあり、旭の心に「諦め」の二文字が浮かんでくるようになった。
(別に今の生活に何の不自由もないし、このままでもいいのかもしれない。むしろおかしな人と付き合って不幸になる可能性だってあるんだ)
旭は三十七歳、日向は二十三歳の大学院生になっていた。そんな婚活四年目の夏の日、その人は突然現れた。
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