肆の壱 千春と陣佐

 どうぅん!! という轟音が轟いた。


 飛来した巨大な炎に呑まれ、モノの全身が油でも塗ってあったかのように燃え上がった。

 しわくちゃの老人とも、胎児ともつかない顔、その下のばかでかい蛭のような体にまで満遍なく炎が廻り込み、モノは激しく捻れ、のたうった。


 赤々とした炎に照らされて、その男はまだ戦いの構えを解かない。


 大柄だ。六尺と七、八寸くらいはあるだろう。

 上等な黒基調の羽織袴の上からでも、筋骨隆々たる体格が窺える。

 羽織にも袴にも、裾や袖口から這い登るような炎が紅いぼかしで染め抜かれ、家紋のあるべき場所にも渦巻く炎が縫い取られている。

 髷も結わない髪はやはり炎を思わせて癖が強く、それを伸ばして根結いにしていた。


 男っぽい物静かな表情の顔はまだ若い。

 目の前でのたうつモノが放つ照り返しと熱気が整った目鼻に影を落とすが、男は目をすがめる様子もなかった。


 男は手にした奇妙な武器を振り上げた。

 古い時代の剣だろうか。

 両の縁から枝のように突起が飛び出している。形以上に奇妙なのは、その刀身全てにうねくる炎が巻き付いていることだ。

 もしや、モノを焼き尽くそうとしている炎は、この剣から放たれたのか。


 激しくのたうつモノに、男は炎の剣を降り下ろした。

 鎌首のようにもたげていた胴があっさり両断された。

 傷口から噴き出した体液も凄まじい炎に呑まれ、モノは燃え盛りながら地面に倒れた。

 見る間に縮み、黒い灰になっていく。


「んもう、きりがないよ! 本当にどうなってんの!?」


 背後から聞こえた声に、男は振り返った。

 可愛らしい、幼子と言って良い程の年頃の姿。

 十二、三だろうが、頭に乗せた狐面と着込んだ法被のお陰で更に幼く見える。


「仕方あるまい。ちゃんと付いてこいよ、千春。結構、あてにしているのだからな」


 男がうっそり言うと、千春は口を尖らせた。


「付いてこいったってさ、陣佐じんざ。これ、どうやったら収集付くのか、見当付いてんの? さっきからモノを始末しまくってるけど、ぜーんぜん、へ、ら、な、い、じゃないのさー!!」


 小さな手足をぶんぶんと振り回しながら駄々をこねる千春に、陣佐と呼ばれた若い男はうっすら苦笑してみせた。


「天海大僧正にすら全貌の見えぬもの、俺に見当付く訳なかろう。とにかく俺たちは、大僧正から命じられた通り、モノを一匹でも減らすしかない」


 ごうごうと音を立てて燃え盛る剣をぶんと振ると、炎が尾を引いた。

 今の口振りだとかなり戦ってきたようだが、さして疲労の色がある訳ではない。

 感情を察しにくい、くっきりとしているが物静かな面が、嫌な臭いを含んだ周囲をゆっくりと見回した。


「あ、上! 動くなー!!」


 突如上空を見上げて声を張り上げた千春に釣られるように、陣佐は右手の炎の剣を突き上げた。


 千春の声と同時に、ねじが引っ掛かったからくり細工のように、がくんと止まった何かが頭上から落下してきた。

 あやまたず、陣佐が掲げる炎の剣にぶすりと貫かれる。

 噴き上がる炎に触れた瞬間、首から上を除いた全身を覆う羽毛が爆発的に燃え上がった。

 火の粉が舞う。


「助かったぞ、千春」


 子供程の大きさもある鳥の姿のモノを、陣佐は剣を振って地面に放り出した。

 人間の髑髏に赤黒い羽毛を持つ鳥の体を継いだモノは、先程の巨大蛭同様、急速に燃え尽きていった。

 まるでモノの纏う濃密な妖気や邪気が燃料になっているように、炎は凄まじい勢いでモノを舐め尽くす。


「ふふん、油断大敵~!」


「……いかんな」


「え?」


 千春はきょとんと、自分の倍くらいの位置にある陣佐の顔を見上げた。


「俺たちは平気だが、どうも瘴気を纏うモノが増えているような気がするな……これではモノに直接害されなくとも、側をうろつかれるだけで、並の人間には毒だろう」


 難しい顔で呟く陣佐の言葉を受けて、千春は小さな可愛い鼻をひくつかせた。


「……本当だ。こいつも疫鬼だ。重病人の死骸の、あの臭いがする」


 炎が運んできた僅かな熱の中から、千春はその臭いを嗅ぎ分けた。


「分かるか? おかしいぞ。俺たちが出ているのに、より質の悪いモノが増えているとは、どういうことだ?」


「やっぱり、誰かが江戸の守りを担う術と逆の術を使ってるんだ。モノを追っ払うんじゃなく、モノを湧き出させる術。今も使い続けてるんだ、だからモノが……」


 使ってるのは多分、江戸市中のどこか。

 恐ろしい想像と同時に、千春の脳裏に別のことが閃いた。


「……あの人、無事かなあ。あたしが見張ってた人」


 鮮やかに傾いた若衆小袖、とんでもない長刀、そして魅了されずにはいられない艶麗な美貌。

 過酷な状況にあって尚飄々と生きる伊達な女。

 かの者を監視する任務は、明後日に放り出される形となってしまった。

 この地獄の五丁目のようになってしまった町で、あの人はどうしているだろうか?


「丁度悪い時に居合わせたな、その佐々木小次郎の娘御……だったか。神刀を持っていると聞くから、並の人間よりは安全なはずだが」


 はたしてこの事態と、千春がその女と接触を持ったこととの間に関係があるのか、迷う口調で陣佐が口にした。


「それに強いしね。並のモノでは太刀打ち出来ないだろうけど、並じゃないのも出始めてるから、無理しないでくれれば良いんだけどね……」


 千春はふと、視線を陣佐の後ろに反らした。

 それを追った陣佐の目に、転がった水桶の陰から突き出した、二組の腕が見えた。

 まるで何かを塗り付けたように、奇妙な色に変色している。

 陣佐は水桶をぐるりと廻り、覗き込んだ。


「ああ……」


 そこにあったのは、母子とおぼしい、肌に奇怪な色の斑点の浮いた死骸だった。

 斑点は病の症状だろう。

 恐らく先程の疫鬼のどちらかにやられたのだ。


 陣佐は無言で片手を拝む仕草に上げ、申し訳ばかりの弔意を見せた。

 今はしかるべきやり方で弔ってやる余裕などない。


「ごめんね、この件が終わったら、何とかしてもらうから」


 千春の声が暗い。

 目の前の光景が、知っているあの人に重なりそうになるからか。

 そうだ。

「佐々木花渡」は人間なのだ。まだ。


「珍しくお前らしくもなく落ち着かないらしいな?」


 陣佐はその場を離れながらさらりと口にした。


「ん……ちょっと悪い想像してる」


 大股に歩く陣佐に小走りになる様子もない身ごなしでついて来ながら、千春は白状した。


「聞かされたような恐ろしい状況を生き延びた女だ。そうそうヘマはすまい。それより、俺たちは俺たちの使命を果たさねば」


「……そだね」


 それきり何も言わず、二人は修羅の巷と化した江戸の町に歩みを進めた。

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