図体だけの脳無し

 頂上近くはあれだけ萌えていた草木も無く、岩肌と地層が見える崖だった。


 ここまでくると僕らの将来と言ってもいい、下の世界が一望でき、なんとも感じたことのない優越感に襲われる。あそこの住人たちは、この風景を一度も見たことがないのは確かだ。


 僕は両手を広げて、息を大きく吸った。


「うん!冷たくて美味しい。呼吸して見なよ、レベット」


「ん、確かに気持ちがいいな。今日の不快な山登りも、このためだったと思ってしまう」


「珍しいね。この場面、君なら『ここに来たのはヌシを倒すためだ』とか言いそうだったから」


「ああ、ここはヌシのテリトリーには違いないがな。だが、こんな景色、山に住んでいても滅多に見られるものじゃないだろ?」


「ああ……レベットが風情を分かっているなんて、僕、感動」


 軽く頭を小突かれた。


「バカにするな」


「ごめんね」


 レベットの拳は軽くてもごつごつしているから痛いんだよな。でも軽口を叩くのはやめられない。楽しいから。


「さ、後もうちょっとで目的地だ。休憩はここまでにして行こう」


「おい、休憩じゃないぞ。まだ一分も経っていない」


「行くぞ」


 レベットが歩き始めれば、僕が止まるわけにもいかない。日常生活でも戦闘スタイル同様に、後に動いてくれればいいのに。


 岩肌が見えるこの山は道という道はない。傾斜は無いが、草の茂みより歩きづらいと思う。


 僕らが目指さないといけないのは、この先にある本当の頂上。どう登るのかも分からない、高い崖。そこにヌシが君臨しているのだから、崖の上の広さだって村よりも大きいかもしれない。


 僕らはゴツゴツとした岩を登っていく。たまに手を使わないといけないので一苦労だ。


 本当なら浮遊魔法を使いたいところだが、どうせレベットが許してくれないだろうし。崖までの距離もそこまで遠くない。岩が無ければ、目と鼻の先だろう。面倒なことをやるのも、少し慣れてしまった僕もいる。レベットに調教されてしまった。あ―嫌だ嫌だ。


「ヌシの見当はついているのか?」


 少し高めの岩から跳んだレベットは、その高い岩を躱して回り込んだ僕にそう聞いた。


 ヌシがどのような魔物か、獣か、生物かが見当ついているかを聞いているのだろう。


「まあね。どの系統か……どの種族化までは簡単に推測できたよ。でも問題は大きさだね。でっかいってだけで、魔物だったり獣だったりは強力になるでしょ。それが分からないとどうにもね」


「対策は難しいか?」


「対策はできるさ。でもそれ以上に瞬発力とか、対応力が鍵になってくると思う」


 レベットは意味ありげに目の前にある大きな高い崖のてっぺんを見て目を鋭くさせる。それはヌシに向けての敵意ではなく、ヌシとの戦闘に向けての不安だろうか。


「大丈夫さ、僕にも君にも持ち合わせている力さ」


「そうだろうか。ララにはともかく、俺にはそれがあるとは思えない。お前もよく言うが、俺は自分が得意な戦闘しかやってこなかった」


「それとこれとは違うと思うけどね。でもそう思っていても構わないさ。だってヌシと戦うのは、レベットだけじゃないだろ?」


「ああ、どうなんだが……」


 どうやらまだ彼の心のしこりは消えていないようだ。


 正体不明なヌシとの戦闘前に、それ以外に考えることがあるのはいい事とは言えない。でも道中で考えさせてしまう言葉を言ったのは僕だ。「君は、僕の魔法をうまく使えるのか?」と。レベットには悪いが、僕はただ単に魔法で楽したいだけ。


 それをレベットはズルと言っているだけ。まあ俯瞰的になら、そう見えるかもね。


「さあやっと着いたね」


「ああ、だが……どう登る?」


 僕らはヌシが上にいるであろう岩の山。崖を見上げた。


 その崖は誰かが整えたとしか思えないくらい、綺麗な岩肌をしている。これじゃあ有名な登山家も足を滑らせて落ちてしまうだろう。まるで塔のようだ。


「僕らには二つ選択肢がある。この崖は君のような剛腕でも登ることは不可能だ。ヌシのご尊顔を見るためには、僕の浮遊魔法が最適だね。ズルとは言わないでね」


「ああ、認める」


 表情は認めていると言っていないけれどね


「それを前提に考えて、選択肢の一つ目が二人であの崖の上に上がりそこで戦う。二つ目が僕があの崖上からヌシを誘導してここで戦う。あの上はここよりも足場はいいけど、狭い。ここは足場が悪いけど、広い。どうする?レベット」


「……二つ目だ」


 僕は渋々そう言ったレベットに笑いかけて、指を鳴らす。


「じゃあ、うまく連れてくるから。剣も構えて、準備しておくこと!」


「分かっている」


 浮遊魔法で地面から離れながら、指を差して一応レベットに注意しておく。おびき寄せてすぐに戦闘。準備せずに丸呑みなんてことが無いようにしなけばいけない。


 それにしても少し拗ねていたな。全く融通の利かない奴だ。


 僕は高度を上げる。目指すはあの頂上を一望できるくらいの高さまで。今レベットがいる下でも結構寒かったけど、上昇すればするほど徐々に寒くなる。ここまで上に来れば、たかが数メートルの差でも気温の変化が激しいのかもしれない。


 そう思えば、レベットが選択肢の二つ目を選んでくれたのは、よかったのかもしれない。浮かべる僕は下でも上でもいい。レベットがあの岩場では戦い辛いかもと気を遣ったけれど、彼の男気を汲むとしよう。


 あっという間にこのガルガ岳の頂上へ。それよりも高い、一望できる高さにまで到着した。一応、指先が凍らないようにすりすりと擦り合わせていた。


「予想通り。しかし予想以上にデカいな」


 赤い鱗を纏い、閉じられていても存在力のある大きな翼には、禍々しいとも思える爪が付いている。この頂上は僕らの村以上に広いかもしれないが、それをこの一匹で占めている。全長は計り知れないが、あれから見た僕らは、僕らが持つゴブリンの目玉くらいだろう。


 村の広場で夜に起こす大きな焚火よりも赤く、長い尻尾を自分の身体に巻くように閉まって眠っているのは、ドラゴン。赤鱗のドラゴンだ。


「あれは倒せないと諦めて、村からは下りれないと説得した方が現実的かな?」


 僕はこの馬鹿げた大きさの蜥蜴もどきに思わず感服して苦笑した。


 大きさとは力だ。それを僕はレベットから十分に学んでいる。小さい人がいくら努力しても、大きい人には勝てないと言えば、残酷だが、概ね正しい。力という点でいえば、小さい時点で人としての限界値は低く、大きい時点で限界値は高い。才能というやつだ。


 レベットは村一番の巨漢で、村一番の力持ち。それは当たり前だ。体格が大きいうえに、努力を欠かさない男だからだ。


 しかし目の前のドラゴンの大きさに比べれば、レベットの大きさなど僕と変わらない。ドラゴンが努力せずとも、レベットの努力では届かないほどの身体の大きさだ。


 僕は長い息を吐く。そして驚いて見開いていた目を閉じて、ゆっくりと瞼を開けた。


 地位が高ければ高いほど、動物のヒエラルキーのてっぺんにいる奴ほど、賢く頭がいいと聞く。しかし僕は思う。動物に理性は無く、本能的に動くやつらは、いくら頭がいいと言ってもそれは動物基準だと。いつも何かを考えている人間に、知能で勝てるはずがないと。


「さあ、図体だけの脳無しをただ狩るだけだ」


 これが開戦の合図だと言わんばかりに、僕は威勢よく指を鳴らす。


「麻痺」


 僕の魔法が届いたという証拠に、直径僕の身長くらいある大きな瞳が開き、その原因を探すために長い首を曲げて空を見る。そしてその首と頭が僕の発見して、止まった。


 その体の大きさ故に、ゆっくりに見えるその動き。覚醒するようにドラゴンはその四つの足の裏で大地を踏みしめ、首下の肺であろう部分を大きく膨らませた。


「まっず」


 ドラゴンは大きな牙の生えた口を大きく開けて、そこから木の丸太何十個分の火のブレスを僕に向けて吐く。直線的な火の柱は、ドラゴンの余裕のあるゆっくりとした動きに反して、一秒にも満たない時間でこの火のブレスは到達した。


 僕はすぐに指を鳴らす。


「危なかった……!結構距離はとっておいたはずだけどな」


 僕は火があたる直前で、ブレスが当たらない少し横へ転移する。


 あれ?さっきまでこの高さはさすがに寒いと思っていたけど、一気に暖まったな~。


 一瞬で気温まで変えてしまう高火力。あのでかい肺にはマグマでも入っているのかな?どちらにしても規格外。でかいってやっぱり偉大だな。あれを直で受けたら灰になること必至。


 ドラゴンは僕が生き残っているのを見ると、仕舞われていた翼を大きく広げて周囲の塵を散らし、風を巻き起こす。その風は冷気と共に、僕ところにまで届かせる。


「寒暖差で死んじゃうよ……」


 体を震わせながら僕はドラゴンが空に浮かぶ姿を見た。


 それは生物としての完成形。かっこいいとは違う、翼を広げてはためかせるその生命力あふれた姿はとても美しい。やっぱりあれを倒すというのは現実味がない。というよりも、倒してしまうのがもったいない。


 ドラゴンはその大きな翼の推進力で、あっという間に僕がいる高さまで飛んできた。


 僕は今、この素晴らしき生命体と対峙している。思わず僕は吐息を漏らす。いつも魔物狩りは面倒くさいし、魔法でぱっぱか片付けたい。このドラゴンもそうできればいいと思っていたが、気が変わりそうだ。


 自分がその気になっているのが分かる。できるなら、全身全霊命を賭して一人でこの生き物と戦いたい。


「やば……!」


 ドラゴンはまた大きな火柱を口から吐く。


 それを僕は慌てて、指を鳴らして転移する。あくまでドラゴンの視界に入る位置で。それでも僕は、心臓がバクバクして冷や汗をかいた。あの距離感で、あの速度のブレスを躱すのは一苦労。転移魔法を覚えておいてよかった。


 さて、僕のドラゴンへの憧れに近い感情が勘違いだってことも分かったことだし、予定通り僕らの獲物を最強の戦士の元へとお届けしようじゃないか。


「麻痺」


 僕は指を鳴らして、魔法を放つ。


 するとドラゴンは顎下の皮を伸ばすことで、僕の魔法への反応を示す。要するに、ほぼ効いていないということだ。それでもドラゴンの意識はさらに僕へと集中する。


「行くぞ……!!」


 僕にしては珍しいくらいの大声と意気込みだったと思う。


 指を二回鳴らして気合を入れながら、浮遊魔法へ深く深く意識を傾ける。転移魔法では誘導の確実性が薄れる。ならば浮遊魔法に集中して、ドラゴンに追いつかれないように、そしてあのブレスを避けられるようなスピードで飛ぶ。


 直接的に戦っていないのに、何だこの難易度は……!


 僕は空気の壁を蹴るように足を伸ばして、ドラゴンへ向かって飛び出す。そして相手を横切ることによって、ドラゴンの視線を誘導する。


 あまり奴と直線上の位置にいると、あのブレスを放ってくる。空である程度距離を取っていれば、僕の知らない攻撃手段を使ってこなければ、あのドラゴンはブレスしか吐かないと思う。


「急……上昇!」


 ドラゴンの首の限界が来る前に、僕はさらに高度を上げる。それに応じてドラゴンの首と視線が上へ。


 僕がこのドラゴンの首の主導権だけを握っていると思うと、馬鹿々々しくてちょっと頬が緩む。結構余裕あるのかな、僕。


 そして最後に、魚が川から飛び跳ねるたような腰のしなやかさを見せながら――


「急・降・下……!!」


 一気にレベットの待つあの岩部へと、髪の毛と頬を乱れさせながら最速度で高度を下げた。


 ドラゴンは僕を追いかけるために、さらに上へと上昇する体勢を取っていたので、僕のこの高速移動に追いつけているのは奴の首だけだろう。僕を追いかける準備をするが、その間に僕はみるみる地面に近づいている。


 ドラゴンは広げた翼を閉じて、この空を滑落し始める。


 さあて、問題はここからですよ、ララライド君。都合のいい予測より、悪い予想をしていた方が、戦闘においてのリスク管理はうまくいく。


 僕はドラゴンが下へ降りる速さよりも、僕の速さの方が遅いと予想。だから、横切って高度を上げて、ドラゴンより一足早く落ちたが、ドラゴンのスピードが予想より速ければ、僕は死ぬことになるだろう。


「そしてこの……!」


 僕はまた空気の壁を横に蹴り、直角に曲がる。すると、僕が落下していたその場所的確に火のブレスが通過した。こいつのせいで僕は減速せざる負えない。そして僕は両足を折り曲げて、また蹴って落下する。


 ああもう、これじゃあ非効率かな~。でも直線に落下した方が一番速い事は確かだし、それでもブレスの時に一気に減速、一気に加速はかなりのロスだ。それかあちこち回りながら下へ向かうか?それはそれだな~、ブレスを躱す確実性が足りない。何かの拍子にあれに触れでもしたら、落下どころのさわぎじゃない。


 これはもう混乱です。何が最善手か分かりません。


 それでもブレスは少しの間隔がある。一つ一つ避けるべきだ。ちゃんと意思を持て、僕は間違っていないぞ。くそっ、もっと余裕があれば他の魔法も使えるのにな……!!


 僕は笑顔ではなく、口角を上げて、歯を見せた。だって――


「もう気配がガンガンに感じるんですがーー!」


 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ―――!!


 追いつかれて噛み砕かれる!!この位置でブレスを吐かれても死ぬーー!!


「死ぬーーーー!!!!」


 僕はこれが人生最後の叫びと思いながら、鼻の先に迫った地面へダイブした――

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