第4話「あちらの百年、こちらの百年」

 女性陣がざっくり雑に入浴を終えて、髪を乾かし合う頃には昼食の準備が整った。

 因みにイクスは、その長い髪を熱風で撫でるドライヤーには驚かない。

 むしろ、ただただ「濡れた髪を乾かすだけの機械」という、その存在自体に目を白黒させてはいたが。彼女からすれば、魔法一発でどうとなる、熱風を生み出すとはそういうことだった。

 そういう訳で、正午を回って少し経っての遅めの昼食が始まった。


「ビールも美味いが、ワインも凄いのう。なんじゃ日本、ひょっとして凄い国なのでは?」

「わはは、凄かろう凄かろう! もっと飲みなー、イクス。あたしはもう飲めないけど」

「まだ仕事があるのかや?」

「そそ、因みに徹夜明けだし、このあと少し寝たらまた研究所にとんぼ返り」

「忙しいのう。……ん! んんっ? この肉、この味……! 少年、これは!」


 ミラのグラスに烏龍茶をついでやっていたヤイバは、不器用に箸を握りしめるイクスに詰め寄られた。ミラはいつも通り、部屋着のホットパンツに見せブラだが、風呂上がりのイクスはTシャツ一枚である。下にはいてるのか身につけてるのか、知りたいような知りたくないような。

 そんなイクスがあぐあぐと肉を頬張りながら身を寄せてくる。


「新鮮な牛肉じゃな! 焼き加減も最高じゃよ。……いつ捌いたんじゃ? 庭に牛でも飼っておるのか? そういう匂いはないが」

「あ、えっと、スーパーの特売牛肉ですよ。厚切りサーロイン、オーストラリア産ですね」

「……言っている意味がわからん。じゃが、先ほどまで生きてたように新鮮じゃ」

「多めに買って冷凍してます。本当の捌きたては、もっと美味しいかもですね」

「なんと! この家、氷室があるのかや? 生肉の保存ができる環境が!」


 ミラは夢中でステーキを頬張っているので、代わりにヤイバが説明することになった。

 魔王討伐から10年……イクスの世界はまだまだ発展途上、ヤイバが思うに多分19世紀末程度の文明レベルだろう。なるほど、それならば冷蔵庫というものはないかもしれない。

 勿論、地下や洞窟を利用した氷室と呼ばれる低温貯蔵庫の概念はあるだろうが。


「えと、あれです。台所のあの大きな機械が冷蔵庫……あと、冷凍庫も兼ねてます」

「え……マジかや?」

「マジなんです」

「マジなのかや……あの巨大な宝箱に入れておけば、生鮮食品の鮮度が保たれるんじゃな」

「ええ。ある程度の限界はありますが、基本的にはそうですね。電気で内蔵されたガスを冷やしてるんです」

「なんと……ワシはツルギやミラと冒険中、氷の魔法であちこちの王侯貴族の氷室を維持してきたがのう。いやいや、結構な金になるんじゃよ。しかし、まあ」


 そのままイクスは、国産の安くて美味しいワインを一口飲んで、肉に舌鼓を打つ。あえて食べごたえを重視して厚く大きく切ったステーキは、ミディアムレアで赤い活きの良さをほんのり中心部に残している。

 イクスは勿論、ミラも美味しそうに食べてくれた。

 食事を準備した身としては、とても嬉しく思うヤイバだった。

 だが、大盛りごはんをかっこみながらミラは箸を行儀悪くイクスに向ける。


「んで? さっきのなにさ、寿命って……エルフって長寿なんじゃないの?」

「そうじゃよ、ワシは三千年から歳を数えなくなって久しい。しかし、もうそろそろというとこじゃろう」

「……それで、あたしに会いに? あっ、あと……ツルギに」

「お主がツルギと結ばれ、子をなし立派に育てていた。それを知れて嬉しく思うぞよ」

「そっか……あの時期、すっごいうるさかったもんね、イクス。早く抱かれろ、すぐ抱かれろ、いいからとにかく既成事実だって」

「そ、そうだったじゃろうか……いや、そうじゃな。お似合いの相棒にして恋人同士と思ったからのう」


 箸を二本束ねて握り締め、ドスン! と串刺しにしたステーキをイクスが頬張る。ナイフとフォークを出そうとヤイバは席を立ったが、そのまま動けなくなってしまった。

 あぐあぐと肉を咀嚼し噛み千切って、豪快に食べながらイクスが言葉を続ける。


「ワシはもうすぐ生を終える。最後にお主とツルギに会いたかったが、よもや子をなしておるとはな。ツルギの死は残念じゃったが、良き息子に恵まれたではないか」

「やど、ちょっとやめてよ、イクス。……本当に? その、あたし、ちょっと」

「ミラ、命には限りがある。限りがあるからこそ有限なる命は輝くのじゃ」

「いかにもいいこと言ってるみたいなの、やめて。……死んじゃ嫌よ、イクス」


 そういえばと、ヤイバも今日の午前中を振り返る。

 謎の光と共に現れたイクスは、常によろけて危なげだった。魔法も少し見せてくれたが、あまり調子がいいようには見えなかった。

 見た目は乙女、見るも可憐な少女だ。

 蕾がほころび開花した、朝露に揺れる一輪の花。

 そんな容姿とは裏腹に、彼女は既に晩年を迎えた老婆なのだった。

 だが、そう思うヤイバは、同じ感覚を共有したであろう母親と絶叫する。


「寿命じゃよ……ワシはもう、もって百年というとこじゃろう」

「アホかっ! イクス、あと百年もあるんじゃん! ああ、損した……今日明日の話じゃないのね。あのねえ、昔からそうだけど! その、持って回って思わせぶりなの、どうなの?」

「……百年、かあ。僕もてっきり、旅立ちの日が迫っているのかと」


 そこはそれ、エルフの感覚である。

 イクスが百年もない余生を語れば、人間には僅か数年という価値観に等しいだろう。

 だが、めっきり弱ってなんだかババ臭いイクスは、あと百年前後は生きるらしい。

 そのことに親子で驚いてみせると、イクスは露骨に不満を表情に出した。


「百年じゃぞ? あと、たった百年じゃ……それでワシは星に還る」

「人生百年時代って、ようやく言われて一喜一憂してんの! この日本は!」

「そ、そうなのかや? ミラ」

「そうなのかやですよ、そうなのかよクソォ! です! はあ……これだからエルフは」

「そうじゃった、人間とエルフでは時間の感覚が違うのじゃな。失念しておったぞよ」


 百年、それは地球という天体では一瞬だ。

 宇宙レベルで見れば、瞬きする瞬間よりも短い。

 そして、地球に生きるヤイバたち人類にとっては、生涯まるまる全てを内包してしまう程の時間である。運が良ければ百歳まで生きちゃう、そういう時代でのイクスの言葉は妙にカジュアルで軽く感じた。

 だが、エルフにとっては手の届く先の見えた時間なのかもしれない。


「まー、話はわかったわよ。いいんじゃない? うちに住みなよ、イクス」

「いや、ミラ……最期にお主たちに会いたかっただけじゃ。ツルギの死にも向き合えた、ワシは満足じゃよ」

「じゃ、このあとどうするの? 元の世界に帰って暮らす? 百年も独りで?」

「……いや、まあ、その……故あって、元の世界にはできれば帰りたくなくての」

「はい決まり! いいの、いいのよイクス! ……同じ勇者パーティの仲間でしょ? おばさんになっても、あたしを頼ってよ。百年でしょ、ヤイバもいるし、その先も、ね?」


 いやまあ、母たるミラのそういう性格は知っている。

 この人は困ってる人を捨て置けないし、困ってる人を見た瞬間から考える前に行動する。この場合、自分が百年先のイクスを看取るつもりはさらさらないだろう。

 そこでヤイバの名前が出てくることに、ヤイバ自身も深く考えはしなかった。

 その少女たちが列挙されるまでは、だが。


「百年ならさ、まあ……ヤイバもいるし、その子もね。ちょっと聞いてよー、イクス! この子ってば結構モテるのよ? さっすがツルギとあたしの子よね」

「ほう? そうなのかや? 既に伴侶がいるか、さらには妾もいるか」

「そうじゃないけどさー、母親的には何人かフラグ立ってる気がするんだよねー!」

「フラグ? それはどういう……おい、少年。お主、好いたおなごはいるのかや?」


 こういう話は、困る。

 こそばゆいとか、むずがゆいとかじゃない。

 普通に迷惑だと思ったが、やれやれとヤイバは溜息を零す。


「母さんは、僕が父さんみたいに女性受けする男だと思いたいだけなんですよ」

「いやまあ、それもあるけど……あの子は? 毎日午後にプリント届けてくれる子」

「ただの学級委員、幼馴染でしょ。……いらないって断っても、毎日来るんだけど」

「なんかこう、ギャルギャルしい子もいたよね? あたし、会ったことあるけど」

「あいつは……あの子は、そんなんじゃないし」

「まー、ぶっちゃけその辺はいいけどさ。どうでもいい。でも、ヤイバはヤイバの人生を生きなよ? あたし、イクスとはマブダチだから、最終的にはこっちでなんとかするし」


 今どき、マブダチなんて死語である。

 でも、その意味と意義がまだ、母のミラの中に生きているのだ。

 基本的に放任主義だし、自分の対人関係には無理を押し付けてこないのがミラという母親だった。それでいて、忙しい中で母親の義務を放棄したことはないからかなわない。

 そのミラだが、ステーキの皿に残った肉汁をダバダバと白米にかけながら話す。


「イクス、エルフって……ハイエルフって、最期はどうなるの? どうなりたい?」

「ん、それはのう。先程も言ったが」

「仏教のお寺でいい? 神社? 教会とかもあるけど。お葬式とかさ」

「ふふ、そういうのはいらんよ。エルフは皆、死ねば星に還るだけよ」

「それって……」

「むむっ! 野菜も美味いのう! これも先程の冷蔵庫とやらか? 新鮮な野菜が生で食べられるなぞ、王侯貴族でもめったにないぞよ。普通は発酵食品として貯蔵するからのう」


 イクスはサラダの小さなボウルにも箸を突きたて、美味しそうに頬張ってゆく。マヨネーズが気に入ったのか、テーブルの小さなボトルを手にして、たっぷりかけてさらに食べて食べ尽くした。

 まあ、新鮮な生野菜を生のまま食べられる国は現代でも少ない。

 恐らく、イクスの世界では漬物、発酵食品として保存して食べるのだろう。


「日本という国は凄いのう。こっちの世界ではもしや、日本が一番の超大国かや?」

「いやまあ、そうではないですが……結構、安定してて豊かな国です」

「良いことじゃ。争いも諍いもなく、衣食住に彩りを感じる。とてもいい国じゃの!」

「ま、まあ……表向きはそうですね」


 日本はいい国、それはヤイバの偽らざる本心だ。

 この地球では平和もまばらで、世界中に闘争の火種が燃え上がり、そしてまた燻っている。それでも、多くの人が尽力してくれるおかげで日本は平和だ。

 その自覚を新たにした時、ミラが昼食を完食して烏龍茶を飲み干す。


「ぷはーっ! よし、二時間寝る! 二時間後に起こして、ヤイバ」

「うん、わかったよ」

「それとイクス! しばらくあたしの家にいなさいよ。なんかさ、あんた……面倒事に巻き込まれてるでしょ」


 イクスが、皿にこびりついたマヨネーズを舐めるのをやめた。

 その時の表情は、驚きと狼狽えに凍って固まっていた。

 だが、遠慮なくミラは言葉を続ける。


「残り百年、楽しく生きたら? イクス、それだけのことをやった、やり抜いたでしょ。積み重ねてきたし」

「し、しかし、ワシは」

「ツルギがいないから、ちょっと残念? 彼に……あの人に本当は会いたかったんだよね」

「ち、ちが……わなくも、ないんじゃが。でものう」

「ま、あたし寝るから。寝てまた仕事に行くけど、また帰ってきたら……ヤイバと一緒に出迎えてよね。イクス、あたしは歓迎するしヤイバも付き合いいい子だから! ねっ!」


 それだけ言うと、全裸になってミラは自分の寝室へと消えた。

 やれやれと脱ぎ捨てられた着衣を拾うヤイバは見た。マヨネーズを指で舐めながら、イクスが意外とも思える深刻な顔をしているのに少し驚くのだった。

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