第3話

 なんやかやで、もうじき昼時という時間になった。

 ヤイバは今夜の夕食用に用意していた牛肉を解凍し、昼食の準備に取り掛かる。母のミラは己を肉食系と言ってはばからない女性で、朝昼晩ALL肉料理でも喜んでくれる。

 とりあえず、今日はイクスもいるので、さてどうしようかと振り向けば。


「むむっ、こっちの板は絵の映るラジオじゃと? 馬鹿な、活動写真が家で見られるのかや!? こっちの小さな板は……これが書物にあるタブレットなるものか。ふむ!」


 イクスは今、夢中で広辞苑や百科事典を読み漁っている。

 そうして凄い速さでページをめくりながら、テレビを見てタブレットをいじっていた。

 どうやら退屈していなさそうで、ヤイバも料理に集中できそうだった。そして、キッチンのテーブルの上には、イクスが持ってきてくれた古風なラジオが歌っている。

 異世界の電波で王国の放送が聴けるのは、先程イクスが両世界をゲートで繋いだ余波らしい。物の行き来こそもうできないが、小さな穴が数週間は残ってしまうそうだ。


「異世界ラジオを聴きながらの料理、ね……悪くないけど」


 牛肉は贅沢に厚切りステーキにすることにして、付け合せやサラダの調理に取り掛かる。ご飯はもうすぐ炊けるし、味噌汁はインスタントで済ませることにした。

 その間も、やや不鮮明な声だがラジオ放送がゆっくりとたゆたう。


「そういえばさ、イクスさん。異世界の言葉、日本語みたいだけど」

「ああ、それはワシが魔法で中継しているからじゃ。ワシが指定した空間内では、空気の振動を規則的に調律して、異世界語を日本語にしておる。日本という国じゃったよな、ここ」

「ああ、なるほど。じゃあ、イクスさんが日本語の本を読めるのは」

「それは単純に、ワシが知ってるからじゃ。200年前、ツルギとミラに習ったのよな、グフフ……っと、これは! ややや、奇っ怪な……日本の科学技術、凄いのう!」


 よくわからないが、エルフという種族は知識欲、探究心や好奇心が強いらしい。ヤイバにとっても、知的な種族のイメージがあるので妙な説得力を感じた。

 エルフとは、森の妖精とも呼ばれる亜人種だ。

 ファンタジー世界ではお馴染みで、必ず美男美女ばかりで外見的には歳を取らない。そして、酷く長寿で弓や魔法に長けるというのが定番である。

 そんなことを思い出していると、ラジオは音楽から朗読劇へと切り替わった。

 聴いたこともない弦楽器の妙にオリエンタルな楽曲が去り、朗々と役者たちが芝居がかった台詞を並べ始めた。


『見よ、あれぞ魔王城! 今こそ決戦の時だ! ミラ、そしてイクスロール! 俺に続けっ!』

『そう叫ぶや否や、大賢者ツルギは杖を振りかざす。するとどうだろう、魔王城に垂れ込める暗雲の中に、虹の橋がかかったのである』

『ああっ、ツルギ様! わたくしが必ずお守りします。さあ、イクスロール! 共に参りましょう!』


 おいおい、誰だこれ……と、思わず苦笑が込み上げる。

 創作劇らしいが、史実を下にしているならヤイバの両親、ツルギとミラの若かりし頃の冒険活劇というところだろう。

 ヤイバにあまり父親の記憶は無いが、こんな勇ましい勇者感バリバリの人ではなかった。その名の通り切れ者の一面を度々見せるが、基本的にはのんびりとした温厚な優しい人だった。幼い頃の父は、いつも医者として忙しそうに働く合間に、よくヤイバと遊んでくれたものである。

 そして、母のミラはといえば――


「たっだいまー! うーん、いい匂い! 先にお風呂入るね、その後昼飯、ニ時間の仮眠! 夕方にはまた研究所に戻るから!」


 突然、快活で闊達な声が叫ばれた。

 同時に、ガラガラと玄関の戸が開いて、バタバタと一人の女性が上がり込んでくる。短く切りそろえた黒髪に、シャンとスーツにタイトスカート姿の才媛才女だ。彼女はその仮面ごと衣服を脱ぎ散らかしながら、居間を横切り洗面所へ直行してゆく。


「あ、母さん。あの、お客さんが」

「いいの、あとあと! 一緒にお昼でも食べてってもらえば?」

「えっと、お客さんっていうのは……」

「っと、洗濯物は……全部一緒でいっか! あー疲れた! っと、いけない!」


 ドスドスと強い歩調で母は戻ってきた。

 下着姿で冷蔵庫を開けながら、缶ビールを一本取り出す。

 風呂上がりのビールならぬ、入浴中のビールというやつだ。

 ヤイバはこの、奔放で豪快過ぎる母親に動じることはない。仕事一筋のキャリアウーマンで、もう何年も見慣れた光景だったからだ。


「母さん、お客さんの前でその格好はないでしょ。ほら、あの人」

「んー? ……あれ、やだ、嘘……イクス? イクスロールじゃない。え、なんで!?」

「久しいのう、ミラ。……相変わらず騒がしくて忙しい奴じゃ。うん、元気そうでなによりぞ」


 流石のミラも固まった。

 ヤイバはやれやれと、脱ぎ散らかされたスーツを広いハンガーへと整える。

 同時に、イクスは立ち上がるやトテトテとミラの前に歩み出た。


「お主もデカくなったのう。……というか、少し太っ、あ、いや、ふっくらしたかや?」

「う、うっさいわね! あたしももう34だもの。……ふふ、20年ぶりくらいね」

「やはりか……ワシの世界では200年は経っておるんじゃが」

「あら、あたしは知ってたわよ? こっちに戻った時、異世界の数ヶ月がだいたい十倍、数年になってたもの」

「なるほど、時間の流れが違うからかのう。なんにせよ、久しいの、友よ」

「おうっ! あ、イクスもお風呂入る? ほら、ビールもあるし! ほら、いこいこっ!」


 小さなイクスを抱えるようにして、ドタバタとミラは洗面所の奥に消えた。

 その背を見送り、やれやれとヤイバも肩を竦める。

 母親のミラは今年で34歳になる。息子のヤイバが見ても美人で優しく、気立てがよくて、そしてラジカルでワイルドだ。シングルマザー特有の強さがあるし、我が道を行くタイプの女性なのだった。

 浮いた話を一つも聞いたことがないのは、ヤイバというコブ付きだからだけじゃない。

 ヤイバが父親は一人だと思うように、彼女にとっても夫はまだまだ一人しか考えられないのだと思った。


『さあ、イクス! 援護して、わたくしが突撃しますわ! 必ずツルギ様に勝利を!』

「……いやいや、そういうキャラじゃないでしょ、母さん。まあでも、後の世の創作ってだいたいこんな感じかな」


 ラジオからは、どこかチープな効果音を織り交ぜオルガンで音楽がなっている。その中を、キン! キン! キン! と剣戟と爆発が演じられていた。

 あっちの世界では200年前の、偉大な救世主にして大英雄の一大叙事詩だ。

 それを聴きつつ、ヤイバは料理の続きに戻る。

 だが、賑やかな風呂場からの声は丸聞こえで、少しラジオのボリュームを上げざるをえなかった。


「ちょっと、イクス……あー、エルフだから? 全然っ、変わらないわね!」

「当然じゃ、成人してから数千年、ずっとこの体型ぞ? それに比べてお主ときたら」

「ちょっと、つままないで! 引っ張らないでってば! 研究者は慢性的な運動不足になっちゃうの! この、ロリボインめっ! こうだ、こう、こうっ!」

「ま、待て待て、よせ、よすのじゃ! ……と、ととっ、ふう。ちょっと手を貸してくれんかのう。最近は沐浴も一人では億劫じゃて」

「なにを年寄り臭いこと言ってんの。ほら、手を取って」


 懐かしの戦友、同志の再会。

 賑やかで華やかで、ミラもなんだか普段より浮かれたように話が弾んでいる。

 毎日が仕事で忙しく、家にいないからヤイバとは会話も少ない。だが、LINEやメールで頻繁にやり取りしているし、こうして忙しい中でも時間を作って帰ってきてくれる。

 ミラがなんの研究をしているかはわからない。

 ただ、お給金がいいのと、夫の医療分野に関わりの大きい仕事とだけ聞いていた。


「くそー、肌がツルツル、髪も翡翠みたいにツヤツヤ……長命種むかつくー」

「ニフフフフ! 羨ましかろう、羨ましかろう定命種。じゃがまあ、ワシとて不死身ではない。ヴァンパイアの真祖や魔王たちのようにはいかんよ」

「なによ突然……何千年も生きてるんでしょ?」

「うむ、じゃからそろそろじゃ。長寿とて命には限りがあるもの。ワシも、もうな」


 二人の会話が少しトーンダウンした。

 聴く気はないのだが、都牟刈家は古い木造家屋なので防音性などないに等しい。


「あちらの世界ではあのあと、人間たちの手で復興が始まったんじゃ。同時に、魔王と戦うための盟約も失効し、エルフたちは森へ、故郷へ帰った」

「そう、だったんだ……それで? 200年経っても平和? あの人の……ツルギの守った異世界は」

「平和そのものじゃよ。人間たちは独自に魔法を封印し、争いが起こらぬように多くの法を布いた。錬金術の研究が盛んになり、魔法は廃れ……そして、エルフやドワーフ、ホビットは皆、滅びた」

「え、ちょっと、なんで?」

「もともと、魔王を倒すために協力していたのが亜人種たちじゃからのう。それに、人間の生存圏と文明レベルが広がり過ぎて、古き種は絶えてしまったのじゃよ。エルフなんか、もうワシ一人かもしれん」


 ヤイバも流石に驚いた。

 それほどまでに、魔王との戦いは異世界に色濃く深い傷を刻んだのだ。

 湯船につかっているのか、少し反響したイクスの声が響く。


「当時、追い詰められたワシたちは禁忌を犯した。禁断の秘術、封印されし禁術を復活させ、その一つを使って救世主を召喚したのじゃ。それがお主とツルギよ」

「それは聞いてたけど……まさか、あたしたちが帰ったあとに」

「皆、殺し殺されて減り過ぎた。僅かな数から再び増えて地に満ちたのは、人間だけじゃったんじゃよ。それに、魔法を忘れたことによって逆に、科学がより世界を豊かにした」

「……なんで魔法、駄目になっちゃったの?」

「もともと、魔王を倒すための外法、それが魔法故な。魔王が倒されれば無用となろうし、手放さねば次の災いをもたらすと人間たちは考えた。無論、ワシを含むエルフたちも、他の種族たちもそれに応じたのよ」


 魔王を倒すための、外法。

 故に、魔法。

 その全てをイクスは使いこなし、惜しまず父ツルギに与えたという。そうして、異世界から召喚されし二人の英雄とイクスで、魔王は無事に倒されたのだ。

 めでたし、めでたし。

 とは、とても思えない。

 ただ、ラジオが歌う英雄譚が盛り上がるほどに、ヤイバの肉を焼く手が微かに凍えるのだった。

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