第2話「異邦人と異世界ラジオ」

 イクスはどういう訳か、一人で歩けない程に弱っていた。

 それでも、ヤイバが肩を貸してやって家へと上げる。都牟刈家は平屋の古い日本家屋であり、水回りや電気ガス以外は築70年というなかなかの物件である。

 縁側を上がってすぐ、イクスに今を抜けて奥へ行くようヤイバは促した。

 一人でも平気じゃよ、と、よたつきながらもイクスは興奮が隠せないようだった。

 不思議と罪悪感を感じつつ、ヤイバは台所へ向かう。


「エルフって緑茶飲めるかな。紅茶とかコーヒーの方が……ああ、イクスさん? あの」


 茶の準備をして戻った、そこは仏間だ。

 和室の奥に仏壇があって、その前にぺたりとイクスが座り込んでいる。

 仏教も寺も知らなくとも、父ツルギの写真が飾られたその意味がわかるようだった。無言で振り返ったイクスは、ヤイバが頷くと落胆に肩を落とす。

 その姿は美少女なのに、しおれた老婆のようにも感じられた。


「そうか、そうかや……ヤイバ、死んでしまったのか」

「僕が4歳の時に、だからええと、12年前ですね。……すみません、先に伝えるべきでした」

「いやなに、人間の寿命は短いからのう。まして、10年も経っておるのじゃ」

「……えっと、さっきから少し時間の感覚に違和感があるんですけど」

「ああなに、ワシはエルフ、それもハイエルフじゃ。しかたあるまいて」


 涙ぐみながらイクスは、無理に笑って見せた。

 はにかむ彼女のまなじりに光が灯る。

 しかし、涙が頬を伝うことはなかった。

 イクスはじっと遺影を見詰めて、そして手を合わせる。

 死者への祈りは異世界でも、大きく作法は違わないらしい。


「で、少年。ツルギは立派な最期であったかのう? 誰じゃ、大英雄ツルギを倒せた者は」

「え、あ、いや、その」

「ツルギはワシの最強の弟子、人間で始めて全ての魔法を体得した大賢者じゃぞ? 生半可な敵ではあるまい。……もし望むなら、ワシが仇を討ってしんぜよう。死に遅れの老骨でも、それくらいはできようて」

「いえ、いい、です。ありがとうございます、イクスさん。父は……病死でした」


 イクスは目を丸くして、何度も瞬きを繰り返した。

 ちょっと前に、世界規模のパンデミックがあった。謎のウィルスが蔓延し、世界中で沢山の感染者が死んだのだ。医者だった父ツルギもまた、昼夜を問わぬ治療に真骨粉砕したのち、自らも感染して命を落としたのである。

 そのことを説明したら、イクスはブンブンと首を横に振った。


「う、嘘じゃ、ツルギが……あのツルギが、病魔なぞに」

「当時はワクチンも薬もなくて」

「あらゆる魔法を教えて与えたんじゃ! 病魔如き、回復魔法ですぐじゃろうて。竜や魔王にも負けなかった、あのツルギが……馬鹿弟子めが」

「父は……立派に戦って死にましたよ。少なくとも、僕はそう思ってます、けど」


 よほどショックだったのか、イクスは瞼を決壊させた。

 ボロボロと大粒の涙は、まるで宝石のように彼女の顔をグシャグシャにしてゆく。


「……う、ううっ! そうじゃの、そうじゃろうて。ツルギは立派な男じゃ。民のために魔法を使って、自分を回復させる暇もなかったのじゃろう」

「いや、っていうか……魔法? みたいなの、やってませんでしたけど」

「う、うおーん! なんじゃ馬鹿弟子、どうして死んだんじゃああああああ!」


 人目もはばからず、イクスは大泣きし始めてしまった。

 どうしていいかわからず、おろおろとしつつヤイバは湯呑みや急須、ポットを隅にどける。正解などわからなかったが、父のために泣いてくれる人を放っておけなかった。

 それに、自分も父の死に泣いた日があったし、その時の母を思い出した。


「泣かないでください、イクスさん」

「……およ? しょ、少年……な、泣いてなどおらぬ! ワシはハイエルフじゃぞ」

「人のために流す涙は、恥ずかしいものではないって。母さんがそう言ってました」


 そっと抱き締め、背中をポンポンと叩く。

 本当に華奢で、力を込めれば折れてしまいそうな程だ。それでいて女性的な身体の曲線美は起伏に富んでおり、いわゆるトランジスタグラマー的なアンバランスさが刺激的だった。

 だが、そんな青い考えを頭から追い出し、ヤイバはそのままイクスを抱き締め慰めた。

 ただ身を重ねて、体温を通わせる。

 それだけでも、人の気持ちは落ち着くことがあるのだ。


「うう、ぐすっ! も、もう良い……すまんの、少年。ワシ、せめて最期にと思って来たんじゃが」

「いえ、わざわざありがとうございます。……最期?」

「ん、ワシももう歳じゃ。先のない身での。死ぬ前にもう一度、ツルギとミラに会いたかったんじゃよ」

「……エ、エルフって、長寿なんじゃ」

「そうじゃよ。ワシかて数千年は生きたものよ。じゃが、エルフの寿命は無限ではないのじゃ」


 またイクスは、ニカッと無理に笑った。

 泣き笑う彼女は、そうそうと手を拳でポン! と打った。


「少年、世話をかけたな。ミラが戻るまで待たせてもらってもいいじゃろうか」

「ええ、勿論」

「ハイエルフともあろうものが、醜態を見せたわい。まあ、でも……こうして見ると、よく似てるのう。あの日のツルギにそっくりじゃ」

「母さんもよく、そう言います」

「うむ! では……フフフ、ワシとて手ぶらで来たりはせぬ。土産をやろう」


 なにもない空間に、そっとイクスは手を伸べた。

 だが、なにも起こらない。

 そう思っていると「これ、ちゃんと励起せい!」とイクスが眉根をひそめる。そして……ぐずるように仏間の空気は渦巻き歪んでいった。その中心から、リボンと包装紙にくるまれた小包が現れた。

 ポトン、と落ちてきたので、慌ててヤイバが受け止める。


「あけてみよ、少年。向こうの世界ではもう財産を処分したでな。王国でも数少ない、職人による最新式じゃぞ?」

「は、はあ、これは」


 リボンをほどいて、優しく包装紙を脱がしてゆく。

 プレゼントはいつだって、もらう者の心をワクワクさせるものだ。まして、異世界からハイエルフが持ってきてくれたお土産である。

 だが、出てきたのは無機質な、そしていかにもレトロな機械だった。

 ボタンとダイヤルがいくつかついていて、あとは全体がスピーカーになっている。


「これはな、少年! ラジオじゃよ!」

「……あー、ラジオ。うん、た、確かにそうですね」

「なんじゃ、驚かんのか? 貴重な品じゃぞ? 王侯貴族の間でも、こんなに良い品を持ってるやつなどおらぬ。皆、街角か酒場で聴くしかないからのう」

「そ、そうですよね。う、うわー、すごいなあ! うーれしーい!」

「うんうん、そうじゃろ! 魔王が倒れて10年……人間の進歩は目覚ましいものじゃった」


 そういってイクスは、得意げにスイッチを入れてダイヤルを回す。

 電源はどこからとも思ったが、そこは異世界ラジオである。きっと魔法的なサムシングで動いてるんだとヤイバは思った。

 だが、その考えは間違っていた。


「充電はしてあるぞよ? 電気という奴で動くのじゃ。人間は精霊や魔法を用いずに、電気を作ることに成功しておる。切れたらこのハンドルを回して充電じゃよ」

「あ……え、異世界なのに!? こ、これ、電気で動くんですか?」

「そうじゃよ、ふっふーん! こちらの世界とて文明は発達しておろう。人間たちは魔王討伐後の復興で、様々な発明をしおったのよ。石炭の発見や火薬の開発、これは錬金術……否、科学というやつじゃな!」


 そして、ノイズ混じりながらも異世界ラジオが歌い出す。


「これは王立放送局の公共電波じゃ」

『本日、国王陛下は王都のガス灯を全て電気灯へと移行させる旨を――』

「電気はのう、石炭を燃やして作ることもできるし、貯めることもできるんじゃよ」

『さて、次のニュースです。星の泉を探すと旅立った冒険家、キルライン男爵が消息を絶って、今日で一ヶ月が過ぎました』


 その時だった。

 不意にヤイバのポケットでスマートフォンが鳴った。

 それを取り出すために、ヤイバは見逃してしまった。

 なにか気に入らないニュースがあったのか、不意にイクスがラジオを消すのと同時だった。


「もしもし? ああ、母さん。えっ? これから戻る? それからまた会社? うん、うんうん……あ、そうだ。母さんにお客さんが来てるんだけど――」


 通話しつつチラリと見やれば……あんぐり口を開けたイクスが固まっていた。

 その両手が胸に抱くラジオが、一瞬で骨董品以下になってしまった瞬間だった。

 イクスには、スマートフォンがなにをする機械かが瞬時にわかったようだ。電話も恐らく、普及率こそ低いものの異世界にもあるのだろう。


「なっ、ななな、なんじゃあ……その板、電話なのかや? ……線がついておらぬぞ」

「ま、まあ、帰ってきたら説明するね。これから戻り? うん、じゃあお昼作って待ってる。あと、お風呂ね」


 通話を終えると、さっきまで幼子のように泣いてたイクスがすり寄ってきた。ガッシ! とヤイバの手を掴み、スマホへとキラキラと目を輝かせる。


「これは、こちらの世界の電話じゃな? 何故、線がつながってないのに話せるんじゃ」

「えっと、電波が……わかるかな」

「こんな薄い板切れがのう。お、光りよるわい。なんじゃ、色々並んでおる」

「まあ、僕が入れてるアプリのアイコンで」

「……ひょっとして、こっちの世界……ワシが知ってる以上に凄いのでは」


 ヤイバは言葉に詰まった。

 が、ひたすらに感心するイクスは、泣き顔が一転して好奇心に輝いている。その表情を見てると、見た目通りのうら若き乙女に見えてくるのだった。

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