とあるエルフの隠居生活
ながやん
第1話「ハイエルフのロリババア、現る」
それは、うららかな春の日だった。
遠くに学校の鐘の音を聴きつつ、少年は朝の日課を終える。庭に干された洗濯物は皆、陽光の中で春風に踊っていた。
彼の名は、都牟刈ヤイバ。
高校二年生だ。
だが、先日の始業式にも行かなかったし、今後も予定はない。
「さて、今日は母さんが帰ってくるんだったな。夕食は奮発しなきゃ」
都牟刈ヤイバ、16歳。いわゆる不登校児だ。
高校受験は頑張ったし、希望校にも入学できた。そしてもう、どうして不登校になったのかも忘れてしまった。覚えてはいるが、思い出したくないのだった。
家でも勉強はできるし、大学進学も考えてはいる。
そういう制度もある国日本の片隅、田舎の小さな町がヤイバの世界だった。
今日、この朝、この瞬間までは。
「ん、なんだ? 雨になるのか……? 空が……雷?」
突然の光だった。
縁側から家に上がろうとして、サンダルを脱ぎかけたヤイバは背後を振り返る。
庭に今、光の柱が屹立していた。
煌々と輝く光条の輝きに、周囲の景色が白く染まる。
衝撃波で洗濯物はバタバタとはためき、思わずヤイバも顔を手で庇う。
そして、指と指の間から見た。
徐々に集束してゆく閃光が消えて……地面には巨大な魔法陣が刻まれていた。それもまた、チリチリと音を立てて静かに燃え尽きてゆく。
その中をゆっくりと歩み出てくる、華奢な矮躯が声をあげた。
「転移完了、我ながら完璧じゃよ、フフフフフ……ん? あ……っ!」
青とも緑とも言えない、艶めく長髪の少女だった。その声は水晶が歌うように可憐で、それでいて並ぶ言葉はいささか時代めいている上に年寄り臭い。
その彼女が、真っ赤な瞳を丸くしてヤイバを見詰めていた。
次の瞬間、少女は全力ダッシュで走り出す。
「お主……久しいのう! ツルギ! 元気じゃったか、ツールギィー! おわっ、とっ、とと」
「あ、危ないっ! ツルギ? ああ、それって」
慌ててヤイバは振り返ると同時に、転びそうになる少女へと滑り込む。
転倒直前の身体を受け止めれば、細くて両手がおっかなびっくりになった。あまりにも華奢で、ともすれば砂糖菓子のように砕けてしまいそうな身体だった。
それでいて、年頃の乙女の柔らかさはたわわで、その温もりが押し付けられてたわむ。
突然、光と共に現れた謎の少女は、完全にヤイバに抱き止められた形で顔をあげた。
「やれやれ、まともに走ることもできんとはのう。しかし、ツルギ! 本当に久しぶりじゃ、あれから10年……ん? およよ? 少年、お主……ツルギ、じゃよなあ?」
「イテテ……都牟刈ツルギは僕の父親です」
「なんと! まあ、10年も経っとるからのう。……ん? 妙じゃな」
倒れたヤイバにまたがったまま、少女はグイと顔を近づけてくる。
互いの呼気が肌をくすぐる距離に、なんとも甘やかな香りが広がった。
ゴクリと思わず、ヤイバの喉が鳴る。
絶世の美少女とはまさしく、こういう人物のためにある言葉だ。
だが、少女はけげんな顔で小首をかしげつつ、ようやく立ち上がる。
「確か、人間の寿命は長くても100年……ワシの世界ならその半分がせいぜいじゃった」
「え、ええと、まあ……今は人生100年時代とか言われてますけ、ど――あっ!」
ツルギは見た。
少女の翡翠のような髪から、長く尖った耳が飛び出ている。
それはまるで蝶の翅のようにパタパタと羽撃いていた。
昔、子供の頃に夢中になった本に、その姿を思い出す。
妖精のように儚げな姿は、見慣れぬドレスのような薄布を纏っていた。
「も、もしかして……え? エルフ? あ、映画の撮影とか」
「オッホン! ツルギの子よ、少年よ。驚かずに聞くがよい。ワシの名はイクスロール! イクスと呼びならわせ」
「イクス、さん」
「うむっ! で、少年。ツルギはおるかのう? ワシ、最後に……最期にツルギとミラに会いたいのじゃが」
ふと、イクスは寂しげに笑った。
それはまるで、咲かずにしぼんでゆく蕾のような、どこかわびしい美しさだった。
それで思わず、ヤイバは言葉に詰まる。
「え、えと、母は仕事で……午後には戻ってくると思います。父は」
「御母堂はもしや、ミラかや? そうじゃろ、うんうん! そうな筈じゃ!」
「え、ええ」
「やはりあの二人、くっついたか! うむ、良き良き……何度も抱け抱けと言った甲斐があったものじゃ」
「……と、とりあえず、あがってきます? あの、お客様、でいいんですよね?」
「苦しゅうないぞよ、気を遣ってくれるな少年。……とと、およよ? 脚が、こ、腰が」
イクスはその場にぺたりとへたりこんだ。
その姿は間違いなく、エルフ……まるで絵本や漫画から飛び出してきたかのような、あのファンタジー世界のエルフなのだった。
こうしてヤイバは、珍客イクスをもてなすために彼女に手を貸すのだった。
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