ちょっと質問よろしいでしょうか(意訳)
刑事と向かい合う犯人、不貞現場を見られた浮気男、いや、蛇に睨まれた蛙にでもなった気分だ。
──本当にそれだけか?
三白眼は問うてくる。白熊さんの言った通り、バイト代の話をしていただけ。起きたことは確かに、それだけだ。
端からだと、そうは、見えなかったようだけど。
「にしては、距離が近くねえか?」
三白眼の鋭さが増し、思わず半歩後ろに下がっていた。こういう時、何と言えばいいのか。別に悪いことをしてたわけでは……ない、はず。
黙っていると、それまで斑鳩さんに背を向けていた白熊さんが振り返り、口を開いた。
「ちょっとね。別にキスしようとしてたとか、そういうんじゃないんだから、気にしないでよ」
その言葉に思わず吹き出してしまった。突然何を言っているんだこの人! 僕らってただの店主とバイトなはず! そんな冗談言う人だったのか!
斑鳩さん余計に怒るんじゃないかなと、そっと覗いてみたら──斑鳩さん、茹でダコみたいに顔が真っ赤になっている。
「キ、キキキキ」
「キス」
「何で真顔でんなこと言えんだよ! 恥じらいを持て! せっ……接吻……とか……口吸い……とか……日本語には色々あんだろうが!」
「そっちの方がちょっと恥ずかしくない?」
「……っ! てか、神聖な職場でそんな言葉口にするのも実際にやるのもやめろよな!」
「本当にベルーガってうぶだよね」
「うるせぇ!」
人は見た目じゃ分からないもんだな……。
少し冷静になってくると頭も回り、斑鳩さんが来たなら、おにぎりの箱を運び出そうと、もう一度積み重なった箱に手を伸ばす。
「酒も煙草も好きなのに、色事は苦手って、どういうことさ」
「そういう人間もいんだよ! てか、何度も言ってるけど、ダチとこんな話したくねえんだよ、そろそろ分かってくれよ、丁治!」
「ベルーガが変なこと訊いてくるから」
「ざっけんな!」
「すいません、ちょっと退いてもらってもいいですか?」
持ち上げた箱を持ったはいいけれど、扉の傍に斑鳩さんがいて外に出られない。話し中に悪いけれど、声を掛けさせてもらえば、ああ悪いと言って、斑鳩さんは退いてくれた。
「……とにかく、ああいうのは控えろ。お預かりしている大事なお子さんだろうが」
「ただバイト代の話をしてただけだって」
「にしては距離が……いや、もういい」
「バイト代渡したいから、終わったらあざらし君連れてきてね」
「あー。あ? あー……ああ」
ひとまず最初に言われた通りに、ベンチに置いた。次のを運ぼうと扉に向かうと、ちょうど扉から、箱を持った白熊さんと斑鳩さんが出てきた。
「箱はこれで全部だね。ペンギン君はもう来たの?」
「ペンギンなら車で待たせてる。ああ、あざらし、台車があるから、箱はそこに乗せてくれ」
「あ、はい」
ナチュラルにあざらし呼びされた。別にいいけど。人鳥も気にしてないんだろうな、逆に自分から呼んでくださいとか言ってそう。
台車は僕が箱を置いたのとは反対のベンチの傍にあり、箱をそこに移すと、二人も順次置いていく。そうして、斑鳩さんはハンドルを掴むと、さっさと歩き出してしまった。
「ちょっと待って、あざらし君」
追おうとしたら、柔らかな白熊さんの声が背中に届く。振り返ると、白熊さんは既にショーケースの定位置へと戻っていく所だった。
外を見ても、この位置からでは斑鳩さんの姿は見えない。置いていかれないか少し心配になってきた所で、はいこれと、すぐ傍から白熊さんの声がした。音もなく寄ってきたらしい。
視線を向けると、白熊さんの手が差し出されていて、そこには色剥げの目立つ白いカメラがあった。そういえば、カメラを貸してくれると言っていたっけ。
「使い方も教えたかったんだけど、ごめんね、ベルーガったらせっかちな奴なんだよ。分からないことがあったらベルーガに訊いて、使わせたことあるから」
「分かりました」
「じゃあ、いってらっしゃい」
「……いってきます」
手を振る白熊さんにお辞儀をし、慌てて斑鳩さんの後を追った。まだそんなに離れていなかったようで、すぐに追いつく。
「なあ」
「はい」
斑鳩さんは前を向いたまま、僕に語り掛けた。
「──丁治はな、何か誤魔化したいことがあると、すぐああいうことを言うんだよ」
「……」
その低い声には、何かを探るような警戒心が潜んでいる。
「お前には聞いてみたい話がいくつかある。いいか?」
「……」
こういう時の断り文句を知らないから、僕はまだまだ『お子さん』なんだろう。
◆◆◆
「よっす海……あざらし!」
「おはよう、ペンギン君」
今後この呼び方が定着するのかと思いながら、先に車の後部座席に座る人鳥の隣に腰を下ろす。シートベルトを締める頃には、運転席に斑鳩さんが座り、特に不安になるようなこともなく、車はあっさり動き出した。
「斑鳩さん、今日はよろしくお願いしますね!」
「声がでけえ。朝からよくそんなテンション高くいられんな」
「いやいやいや、これでも一応、いつもよりローテーションですよ」
「それでか?」
しっかり前を向いたままで、斑鳩さんが訊ねてくる。会話をできる余裕があるなんて、よっぽど運転に自信があるんだな。
あの家で唯一車の免許を持っているのはとうさんだけで、わりと運転が苦手なのか、いつも前屈みになってハンドルにしがみつき、母さんといもうとの会話に一切参加しない。母さんが呼び掛けても、返事ができないか、震えた声でちょっと待ってくれとか言うんだ。とうさんの車に乗るたびに、いつも不安を覚えていた。
「初バイトですからねー。緊張して、いつもより遅く寝たせいか、身体や頭の動きが鈍い気がしますよ」
「なら、少し寝てても大丈夫だぞ」
「逆に目が冴えてきたから大丈夫です! ちなみにあざらしは? 眠れた?」
「……」
「あざらしー? ……海豹?」
「……普通に眠れたよ」
「さすが先輩。今日は一日よろしくー」
曖昧に笑って、バックミラーに視線を向ける。斑鳩さんと目が合うことはなかったけれど、どことなく、三白眼は機嫌が悪そうに見えた。
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